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私ではなくキリストⅣ

「私は、神に生きるために、律法によって律法に死にました。私はキリストと共に十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。」(ガラテヤ2:19-20)

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兄弟たちを訴える者に打ち勝つ小羊の血潮と証の言葉の衝撃力

(ひとこと欄に掲載した文章から。)
 
ようやく週が終わろうとしていますね。勤務のためなかなか時間が取れませんが、今後、偽りの教えに関する分析の予定をここに書いておきます。
 
まず、教会時代の初期に起こった異端グノーシス主義から、近代の革命思想、そして近年の教界におけるエキュメニズムの動きや、カルト監視機構設立の構想に至るまで、その根底に流れる霊的な影響力が全く同じであることについて、さらに厳密に分析を進めていきます。
 
十字架によらない人類のユートピア社会建設は、初めこそ輝かしい理想のように見えても、必ず恐ろしい粛清機関を伴う恐怖政治(監視社会)という反ユートピ アに終わること…、これは実は学生時代からの私のテーマなのです。振り返れば、その頃から主の召命としてこのテーマが与えられていたことを疑いませんが、 今は学問的な観点ではなく、御言葉に基づき、霊的な視点に立ってこのことを捉えたいと願っています。時代の流れを考え合わせるならば、今後、これは命がけ のライフワークとなっておかしくありません。
 
私たちクリスチャンは、偽りの教えに対しては毅然と立ち向かわねばなりません。それはよく誤解されるように個人感情などの血肉による戦いではなく、主が真 理を曲げる偽りを忌み嫌われる方であるがゆえに、聖徒たちが決して避けて通ることのできない、真理と虚偽との霊的な戦いなのです。私たちはどんな時にも、 御言葉との照合と、御霊の内なる油塗りによって、何が真理で何が虚偽であるか識別することをやめてはなりません。人前で主を拒む者を主も拒まれるのです。
 
この戦いの武器は肉によるものではありません。私たちはただ子羊の血とあかしの言葉によって、偽りに立ち向かいます。
 
「あなたがたが先祖伝来の空疎な生活からあがない出されたのは、銀や金のような朽ちる物によったのではなく、きずも、しみもない小羊のようなキリストの尊い血によったのである。」(Ⅰペテロ1:18)
 
キリストが十字架で流された血潮だけが私たちを救うことができます。十字架によらない「理想」や「救済」はすべて虚偽です。たとえ「愛」や「平和」や「弱 者救済」などの美辞麗句が用いられていたとしても、人の力ではいかなる平和も一致も打ち立てることはできず、「理想」の名のもとで最悪の統治がもたらされ るだけであることを私たちは知るべきです。
 
平和は私たちの内にはなく、ただ十字架を経られたキリストのまことの命の内に、血潮の中にのみあります。クリスチャンがキリストの命にあって、この地を主 の御旨にかなって統治するためには、私たち自身がまず主の十字架の死に自分自身を絶えず同形化し、主に対して完全に明け渡すことを知らなければなりませ ん。私たちの魂はことごとく十字架に渡され、自己信頼の気持ちと肉の欲は最後まではりつけにされねばなりません。
 
私たちが自分のアダムの命を信頼し、いかにして自分の魂を十字架に渡すかを知らないまま、自分の生まれながらの魂の愛や美徳によって人々を愛し、治めよう とするならば、致命的な危険に陥るでしょう。私たちは自分の天然の魂が好む「愛」や「一致」や「弱者救済」や「平和」などの美徳に容易に欺かれ、肉による 人類のバビロン建設という誤りに落ちていくでしょう。しかし、御言葉による真理を持って虚偽に毅然と立ち向かうなら、虚偽は正体を暴露されて恥をこうむり 逃げ去ります。
 
残念ながら、今後は時代の霊の流れとして、世と教界のありさまが悲惨になればなるほど、キリストの十字架を抜きにして、人の自己を高く掲げる甘く麗しい人 間本位の偽りの教えが大流行し、(特に教界においては)異端が主流にさえなり、多くの人々がその耳ざわりの良さに欺かれて、肉によるユートピア建設の作業 に取り組むことでしょう。そしてこの偽りの「統治」がもたらされる時、教界は今以上に完全な監視社会となり、破滅的な影響をこうむるでしょう。その時、個 々人のクリスチャンもそれと無関係ではいられません。
 
エキュメニズム、カルト監視機構などの構想の裏側にあるのは、クリスチャンの一致や、弱者救済を口実に、プロテスタント教会の自治を破壊し、キリスト教界 全体に一元的な支配を打ちたて、末端の教会に至るまでもその統制下に置き、監視化しようとの狙いです。これらの運動は、一見、教会の弱体化を憂い、虐げら れた弱者を救い、クリスチャン間の分裂を取り払い、教界に新たな理想的な秩序を打ち立てるという美名の下に登場するでしょう。しかし、それが決して弱者を 救済することはなく、正義を打ち立てることもありません。そのようにして確立される新しい支配体制は、教会から自由を奪い、反キリストの支配に道を開き、 最後には無実のクリスチャンに対する大いなる迫害を生むのです。
 
その予表と言うべき事件が、すでに(自称)クリスチャンによるクリスチャンに対する監視と激しい告発という形で現れています。十字架を否定していると自ら 明言しながら、それでもクリスチャンを装い、諸教会の上に裁き主として君臨しようとしている、自己を神とする人々の、正義の名を借りた恐るべき粛清の暴走 ぶりを見る時、私たちはこの出来事がプロテスタントの自治の遠からぬ終焉を象徴しており、教界にやがて打ちたてられようとしている反キリストの精神に基づ いた恐ろしい監視体制の予表であり、それにより、やがて個々のクリスチャンにまで及ぶ激しい迫害の前触れであることを予想できるのではないでしょうか。
 
今後、目に見えるものはより一層大いなる欺きの中に落ちていき、激しく震われるでしょう。けれども、私たちは震われない都を受けているのですから感謝します。私たちの目指す都はこの地上にはなく、来たらんとする目に見えない都です。「わたしたちは、見えるものによらないで、信仰によって歩いているのである。」(Ⅱコリント5:7) 
 
どうか目に見えるものの混乱に惑わされませんように。混乱に乗じて登場してくる、肉による「愛」や「統一」や「正義」や「平和」や「弱者救済」といった、 地上に理想的なユートピア共同体を建設することを目指す、十字架を経ない見せかけだけの甘い計画に欺かれませんように。我らの救いは人による救済ではな く、神による救いです。そしてキリストにより、救いはすでに達成されたのです! 人が自力で付け加えられるものはもうないのです! ですから、私たちは虐 げられた人々を救済するという名目で、地上に理想社会を打ち立てるために権力を取ろうと目指したりすべきではありませんし、そのような計画の偽りを知って います! 私たちの目的は人の上に立つことではなく、むしろすすんで自己を否んで十字架の死にとどまり、主の達成された御業の内に信仰によってとどまり、 彼のまことの命によって御旨を成就し、その命のうちに安息することです。
 
感謝します、私たちは尊い子羊の血潮によってすでにあながい出されました! 「主はわたしの牧者であって、わたしには乏しいことがない。」(詩篇23:1)と ダビデが謳ったように、全ての欠乏を満たして余りある大いなる神が、私たちの味方なのです。世に打ち勝った子羊が私たちの贖い主なのです。ですから、クリ スチャンはどんな貧しさや試練の中を通らされる時にも、救済してくれる人を求めて走り回る必要はありませんし、新たに登場してくる救済運動に惑わされるこ ともありません。
 
神の聖にあずかる者として、クリスチャンが前もって来るべき時代への警告を汲み取り、真理の内に、十字架の死のうちに堅くとどまる者であれますようにと願います。これから行う作業は来るべき時代への警告です。どうぞ耳のある人は汲み取って下さいますように。
 
補記:グノーシス主義の起源は古代バビロニアとペルシアにあるとする学説もあるようです(新約聖書学者ヴィルヘルム・ブセット)。
 
 
 
(以前にひとこと欄に掲載した文章から)
 
 「神の怒りは、不義をもって真理をはばもうとする人間のあらゆる不信心と不義とに対して、天から啓示される。」(ローマ1:18)
 
 聖書には、不義を持って真理を阻もうとする不信の者には、天から主の激しい御怒りが臨むことが記されています。
 
 今、ある不信の者がクリスチャン全体に大きな害を与えています。彼は兄弟について偽証することで、大勢のクリスチャンを惑わせて欺きました。そして自分 の仲間を次々と裏切り、友であったはずの人間を罠にかけて罪に陥れ、さらに、一年以上も前から、彼と一面識もない私に対しても、執拗に絡んでは嫌がらせを 繰り返し、真理を証するクリスチャンの言葉に戦いを挑んでいます。
 
 この者はにせ兄弟であり、その主たる目的は、クリスチャン全体をあざけり、ペテンにかけ、悪質な異端の教えを言い広めることです。彼は真理に逆らって汚 し言を言い、偽りを流布し、兄弟姉妹の名誉を傷つけ、キリストの十字架と血潮を踏みにじって、霊と魂との切り分けを否定し、全ての人間の心に生まれながら に神が宿っているとする、異端グノーシスの教えを言い広めています。
 
 しかし、彼は自らの恥知らずな行為によって、彼の良心がいかに汚れているか、彼の奉じている教えがいかに彼自身を救済しえないかを明らかに示していま す。彼の唱える「幼心」や「愛」がただの空想であり、欺瞞に過ぎないことは、彼の老獪で自己本位で厚顔無恥な生き様を見れば、誰の目にもはっきりします。
 
 聖書はこの者の唱えているような悪質な異端をクリスチャンが識別し、遠ざけることは、神の御旨にかなっていることをはっきりと示しています。
 
 「すべてのものを識別して、良いものを守り、あらゆる種類の悪から遠ざかりなさい。」(Ⅱテサロニケ5:21-22)

 「彼らは、滅びに至らせる異端をひそかに持ち込み、自分たちをあがなって下さった主を否定して、すみやかな滅亡を自分の身に招いている。」(Ⅱペテロ2:1)

 「異端者は、一、二度、訓戒を加えた上で退けなさい。」(テトス3:10)

 
 終わりの時代には偽りがはびこりますが、クリスチャンはキリストの十字架の勝利にとどまり、血潮と証の言葉により、真理を曲げようとする偽りに打ち勝た ねばなりません。主イエスの栄光の御名によって祈ります! どうか主が、真理に逆らって異端の教えを奉じる者の末路を全世界の前ではっきりと見せて下さい ますように! クリスチャンを陥れ、欺き、罠にかける人間を、あなたが幾重にも叱責し、この道から完全に退けて下さいますように! 悪しき霊を打ち、真理 に逆らい汚し言を語るその口を封じて下さい! 
 
 主よ、どうか虐げられた者のために、あなたの裁きの正しいことを見せて下さい。不義を働く者に対するあなたの御怒りが正しいことを見せて下さい。国と力 と栄とはあなたのものです! 不義を愛し、偽りを愛する者たちが恥をこうむり、御言葉が地の果てまで宣べ伝えられ、あなただけに栄光が帰されますように!
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主の血潮!

仕事が本格的に実践に入ったため、週日をやり過ごすだけで精一杯の日が続きます。ですが不思議な安らぎを覚えています。主によってひとみのように守られる者は何と幸いなのでしょう。

寄り頼む者をそのあだから右の手で救われる者よ、あなたのいつくしみを驚くばかりにあらわ し、ひとみのようにわたしを守り、みつばさの陰にわたしを隠し、わたしをしえたげる悪しき者から、わたしを囲む恐ろしい敵から、のがれさせてください。… わたしは義にあって、み顔を見、目覚める時、みかたちを見て、満ち足りるでしょう。(詩篇17篇7-15)

地にあるものを慕い、肉に生きることを喜び、エジプトの富に恋焦がれる人々はなすがままにまかせましょう。 私たちは地からやって来るすべての重荷と、絡みつく罪を振り捨て、ひたすら上にあるものを求め、天を見上げるのです。いつか復活の身体で顔と顔を合わせて 主にまみえるその時のために、新エルサレムが夫のために着飾った花嫁のように天から降りて来るその日のために…、主よ、私たちの居場所は今から天であるべ きなのではありませんか?

ジーザス 贖い主
神の子羊
恵み 赦し満ち
ジーザス わが救い

見よ 子羊 わがため死ぬ
ジーザス たたえます
よみがえられて ひきあげられ
尊厳もて治める

血潮 主の血潮
罪きよめ 自由与える
十字架の血潮で聖とされ
勝利に生きる
神の子羊 王の王


Jesus my Redeemer
Holy Lamb upon the throne
Full of grace and forgivness
Jesus the Saviour of my soul

Behold the Lamb upon the throne
Who bled and died for me
Jesus Christ exalted One
Risen and ascended
You rose in victory
Now reigning in your Majesty

It's the blood, the blood of Lamb
Purifying, setting free
By the power of Your cross
Made holy in Your sight
Living in Your victory
Worthy is the Lamb of God
Mighty King of kings

ひとこと

神である主、イスラエルの聖なる方は、こう仰せられる。「立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る。」(イザヤ30:15)

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