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私ではなくキリストⅣ

「私は、神に生きるために、律法によって律法に死にました。私はキリストと共に十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。」(ガラテヤ2:19-20)

罪と罰――Sさんへの手紙

Sさんへ

 メールでお尋ねいただいた件にお答えしたいと思います。

 「人をさばくな。自分がさばかれないためである。」(マタイ7:1)、御言葉がこう述べているのは、人が人を正しく裁くということは、元々、不可能なことだからです。私たちは皆、不完全な存在であり、真実を見通す目を持っている人は誰一人としていません。

 しかし、社会の秩序を守るためには、ある程度、人が人を裁く制度が必要です。そこに法が制定される必要性があります。法律はさまざまな場合を想定して、 細かい条文や項目から成り立っておりますが、それでも、明文化して定められた法にも、欠陥がないわけではなく、いつの時代にも、時代の移り変わりや、個別 の必要性に合わせて、改良が加えられる必要がなくなることはありません。法学を学んだ方に、このようなことをあえて言うまでもないと思います。

ところが、キリスト教界における、いわゆる反カルト運動(カルト被害者救済活動)には、何一つとしてそれを取り締まるための法律や規約が存在しないので す。ですから、そこでは、無秩序状態が繰り広げられることが初めから懸念されていました。そこでは、ただ各々の牧師や、各々の被害者や、もしくは「自称」 被害者や、「自称」被害者の支援者や、めいめい個人が、好き勝手な思惑に基づいて、自分勝手な正義の旗を掲げて、好きなように運動を繰り広げることができ るのです。極端な話、誰でも自分から名乗りを上げさえすれば、今日から、「カルト被害者の支援者」を名乗れるのです。当然のこと、このような運動には虚偽 の告発や、中傷も起こって来るでしょうし、偽りの被害者も登場し、さまざまなトラブルが持ち上がることが予想されますが、それを取り締まる規定がそもそも 存在しないのです。ですから、このような野放図な運動の登場を一旦許してしまえば、それがやがて暴走し、甚大な混乱と損失をクリスチャンの社会に生むであ ろうことは、誰にでも予想可能でした。

 そこで私は当初から、反カルト運動がどれほど危険であるかを訴え、この運動はカルト被害者を救済するどころか、むしろ、カルト化教会と同じかそれ以上に 著しい損失をクリスチャンにもたらすであろうと主張して来ました。この運動は、掲げている目的を達成することはできず、むしろ、それとは逆に、被害者を踏 みにじって暴走し、多くの無実の人々を断罪した上で、疑心暗鬼により自壊するだろうと述べました。

数奇なめぐりあわせにより、私はそのような自分の主張を、自分自身の身によって証明する羽目になったのです。これは神の憐れみによります。なぜなら、もし も私でない誰か他の人が、私と同じ仕打ちを受けたなら、その人は恐らく、苦しみに耐え得ず、心身の健康を完全に失ってしまっただろうと思うからです。

さて、話を戻せば、反カルト運動について、私はこの運動が御言葉に基づかず、御霊の導きによらず、まことの裁き主なるイエス・キリストの義を退けてまで、 人間の正義を高く掲げ、人間が神になり代わって、自ら裁き主となろうとする危険な運動であることを、繰り返し警告して参りました。私たち人間は、たとえど のような被害をこうむったとしても、それを私怨に基づいて晴らそうとすべきではなく、むしろ、自らへりくだって、神の正しい裁きに服し、神ご自身に自分の 嘆き悲しみを訴えて、神に正しい裁きを求めて祈るべきなのです。そして、被害を世に訴える時には、きちんと法律に基づいて、常識の範囲内で、礼儀正しく行 わなければなりません。多くのカルト被害者はそのように礼儀にのっとって訴えても、キリスト教界から訴えを取り上げてもらえないという苦悩を味わいました が、しかし、そこに私たちの信仰が働く余地があります。全能の神は、私たちの全てを見ておられます。たとえ私たちがみなし子であり、やもめであり、寄る辺 ない存在であったとしても、神ご自身が自ら私たちの保護者になって下さると御言葉は約束してくれているのです(詩篇68:5)。

それなのに、恵み深い御言葉を否定し、まことの保護者であり、裁き主である神を退けてまで、私たちが神よりも自分自身を高く掲げ、神よりも先走って、自分 の正義をふりかざし、自分が裁き主になって、大勢の罪人を独断で裁いたり、罰を下したりして良いものでしょうか? そんなことがクリスチャンに許されるで しょうか? そのようなことをすれば、自分の高慢さによって、必ずや、私たち自身が神の怒りを買い、裁きを受けずにいられるでしょうか?

Sさん、あなたはカルト被害者の権利を守るために、今まで活動をして来られたと主張しておられますが、本当の被害者の大半は、随分前から、あなたの主張の 中に、あまりにも行き過ぎた怒りや、憎しみを見出して、あなた方の運動から離れて行ったものと思います。今となっては、一体、どれくらいのカルト被害者 が、あなたを支持しているのでしょう。失礼ながら、大半のカルト被害者の支持をあなたはとうに失っておられるようにお見受けします。

さらに、あなたは元被害者であった私を、どんな犯罪を犯したカルト化教会の牧師よりも、さらにひどく糾弾し、誰よりも厳しくつるし上げ、断罪し、見世物に してしまった時点で、致命的な誤りを犯してしまったのです。私は教会を開いたこともなく、牧師という職業に就いたこともなく、公の場でメッセージを一回も 述べたことのない、法律に触れるようなことはしていない、ただの民間人の、無名の一クリスチャンに過ぎません。しかも、キリスト教界を去って後、そこで受 けた打撃から、主の憐れみによって立ち直り、ようやく被害者の身分を脱し、自分の人生を健やかに、元気に歩み始めたばかりでした。その私に対して、あなた はまるで猛獣か何かのように襲いかかり、狼藉の限りを尽くして、私に病人のレッテルを貼ったのです。

 「木を切れば木っ端が飛ぶ」ということわざがありますが、あなたはカルト化教会の牧師たちを非難しているうちに、勢い余って、無実の人間を標的に据え て、暴虐の限りを尽くしてしまったのです。このようにして、あなたは非難すべき相手を間違えたために、自ら守るはずであったカルト被害者を、自分で「冒 涜」したのです。Sさん、あなたはまるで私がカルト被害者を冒涜したかのように主張しておられますが、事実は全くその逆であることは、誰の目にも明白なの ではありませんか。あなたこそが、自らの行為によって、カルト被害者を誰よりもひどく冒涜したのです。あなたは元被害者の人権を踏みにじり、元被害者の名 誉を傷つけ、元被害者の立ち直りの努力を否定し、キリスト教界さえも加えたことがないほどの深刻な打撃をその人に加えることにより、全世界の前で、カルト 被害者の存在をさらしものにし、辱めたのです。

私は主の憐れみにより心癒され、キリスト教界の被害者であることから、ようやく自由にされたばかりだったというのに、今度は、Sさん、あなたが私に打撃を 加え、私は今度はあなたの被害者とされたのです。カルト被害者を救うと言っているあなたが、考えうる限りの残酷な仕打ちによって、被害者の立ち直りを徹底 的に阻止したのです。このような愚かな話があるでしょうか。繰り返しますが、通常の人であれば、あなたがなさったような仕打ちを受ければ、恐らくは生涯に 渡る心の傷を負うでしょう。元被害者であるならばなおさらのことです。しかし、私が今も健康であり続けられるのは、ひとえに主の憐れみのゆえであり、兄弟 姉妹の心からの励ましと支援があるからです。

Sさん、このような残酷な行為を、ようやく立ち直りつつあった元被害者に行いながら、あなたは今でもカルト被害者の支援者を名乗る資格がご自分にあると 思っておられるのでしょうか? このような形で「被害者への冒涜行為」を行えば、真のカルト被害者からの信頼を、あなたは完全に失ってしまうことがお分か りにならないのでしょうか? それだけではありません。あなたはご自分に敵対する者を退けようと思うあまり、我を忘れて行き過ぎた行動に走り、クリスチャ ンにあるまじきこととして、十字架を否定し、キリストの御霊を否定し、兄弟姉妹の証を否定し、無実の者を訴えることにより、それまでのご自分の仕事の価値 をも、すっかり台無しにしてしまわれたのです。

さらに、Sさん、あなたはそのようにしてクリスチャンにあるまじき行動に及ばれただけでなく、社会的にも無責任な行為に及ばれたのです。なぜなら、あなた が私について書かれた記事には、多くの虚偽が含まれているからです。事実に反する事柄を積極的に言い広めた責任が今後あなたに問われるでしょう。

ほんの一例を挙げるなら、「東洋からの風の便りⅡ」の中で、私がウォッチマン・ニーの著書を紹介したことについて、あなたはそれがあたかもDr.Lukeの指導や影響下で行われたかのようにお書きになっておられますが、これは全くの嘘です。

なぜならば、私がその当初(昨年10月から昨年末のブログ閉鎖の時点に至るまで、要するに私がニーの著書の引用をブログで行っていた期間に)参加していた のは、県外で開かれていた、たった5人程度が出席しているだけの小さなクリスチャンの交わりだけだったからです。その間、私はDr.Lukeに一度も会っ ていませんし、KFCに足を運んだことも一度もありません。ブログ上での彼とのやり取りも、たった数回あったきりで、Dr.Lukeに個人的にコンタクト を取ったことは一度もありませんでした。ですから、私が当時、Dr.Lukeの指導や影響を受けながら、ブログに記事を発表していたという話は、Sさんの 想像に基づいた作り話です。ニーの著書を私に紹介してくれたのも、もちろん、Dr.Lukeではありません。

にも関わらず、事実関係をきちんと確かめることをせずに、あなたはただ推測に基づいて、私が当時、Dr.Lukeの指導の下で信仰生活を送り、記事を発表 していたかのように思い込み、その虚偽を公に発表してしまわれたのです。そして、記事内容についてただ私を激しく非難したばかりか、その当時、私とは無関 係であったDr.Lukeにまで非難の矛先を向け、何の責任もなかった彼に対してまで、厳しい断罪を行ったのです。

確かに、福音書房から出版されているウォッチマン・ニーの著書には、ローカル・チャーチの影響が及んでいることは否定できません。後日、私が自分の目で確 かめたところによれば、巻によっては、ニーが言わなかったはずの事実が後から付け加えられています(この問題については別途、紙面を割いて詳述する予定で す。)ですから、福音書房の書物を読む際には、読者は、真理でないものが文脈の中に混入していないかどうか、細心の注意を払って文章を読む必要がありま す。そうでなければ、欺かれてしまう危険性があります。しかし、その点について、当時、ブログで予め十分な断り書きや警告をしておかなかったのは、当時の 私の認識の甘さのためであり、私自身は真理であると確信できる部分を引用したとはいえ、それでも説明不十分として責められるならば、その忠告はへりくだっ て受け入れたいと思います。しかし、そのことで責められるべきは私であって、Dr.Lukeではありません。

 (注:このように、福音書房の書物については吟味の必要性があることを認めますが、私はウォッチマン・ニーその人の証の真実性に疑いをさしはさむつもりはありません。)

 しかし、Sさん、あなたが記事で私へ向けられた非難は、そのような穏やかな忠告の域をはるかに超えており、我を忘れるほどにまで激しい憎しみと敵意を私 に向けておられることがひしひしと感じられました。記事やメールの中で、あなたは私があたかもカルト団体に入信している、マインドコントロールされている 信者であるかのようにお書きになっておられました(当時私が通っていたたった5人程度の交わりが、カルト団体に相当するのでしょうか?)。さらに、ウォッ チマン・ニーもアンドリュー・マーレーもひっくるめて、あなたはカルト思想と決めつけてしまわれ、十字架を否定し、キリストの御霊を否定し、先人たちの証 の言葉をも退けてしまわれました。果ては私がその頃、全く関係していなかったKFCまで、カルトとして一緒くたに断罪なさり、こうしてあなた方の非難は、 空想によってとめどなく膨れ上がっていき、事実無根の想像に基づいて、数え切れない人々の名誉を貶めるものとなったのです。

こうしてあなたのブログ記事は、まるで虚偽の温床のようになってしまいました。

その上、そこには、KFCの元信徒が「自称Dr.Lukeの被害者」を名乗って登場し、Dr.Lukeが彼に対して「呪いの預言」を行ったなど、 Dr.Lukeへの様々な中傷を書き連ねました。この元信徒は未だにDr.Lukeの話し合いの呼びかけにも応答せず、自分の発言に対する社会的な責任を 微塵も負う姿勢を見せないままに、ただ自分のブログ記事を一方的に発表し続けています。しかし、Dr.Lukeの主張ははっきりしており、彼の発言は虚偽 であるというものです。この元信徒は幾度かネット上で自殺をほのめかし、読者を騒がせましたが、いずれも狂言で終わっているという経緯もあります。このよ うな人の発言が社会的に信頼に足るかどうかは、多くの良識ある人々の目にはすでに明らかであると思います。

仮に、この元信徒の訴えが虚偽であるとすれば、彼は個人の名誉を著しく傷つけただけでなく、公然と偽りを社会に流布することにより、多くのクリスチャンを 惑わせ、欺くという罪をも犯したことになります。さらに、彼は自分のブログの中で訴えを行うのではなく、わざわざSさんのブログにコメントを書き込むこと により、自分の非常識な発言の責任を、他人であるSさんにまで負わせたのです。この元信徒のかくも無責任な発言のために、Sさん、あなたはまるで彼と連帯 責任を負わされるかのようにして、民事で責任を問われるかも知れない事態となっているのです。それでも彼を信頼に値する人物とお考えになられるでしょう か。

この元信徒は未だに被害者というレッテルを隠れ蓑にして、自分は陰に引っ込み、自分の発言の責任を他人に負わせたままで、自分は世間の同情を一方的に買う だけの姿勢に徹しています。その上、あろうことか、彼は自分のブログに、最近になっても、他人のプライバシーに著しく触れる内容を新たに書き連ねては、そ の人の名誉を傷つけています。このようにして、自分の発言の後始末もせず、大勢の読者を惑わせて振り回し、さらに周囲の人々に、本来、負わなくても良いは ずの責任を転嫁し、大勢の人々の名誉を貶めている人物が、果たして、本当に「被害者」を名乗るにふさわしいのでしょうか。そのような発言が本当に社会で信 頼されるでしょうか。

私たちは「被害者」と聞けば、まるでパブロフの犬のように、誰彼構わず同情の涙を流すほどの愚か者になってはならないと私は思います。

とにかく、真の被害者と、「自称」被害者の二つを明確に区別する必要性は、前々から唱えられてきたのです。しかし、初めから何の法律も規定もなしに始まっ た反カルト運動には、被害者の発言の真偽のほどを見分ける方法があろうはずもなく、ただそれぞれの旗手の掲げる自己流の正義だけに基づいて、運動は暴走し て行きました。その結果、真実と虚偽が混じり合い、流言飛語が飛び交い、次第に、訴えの内容が事実から逸脱して、空想に基づく非現実的な作り話へと膨れ上 がっていったのです。それは当初から懸念されていた事態でした。

今年に入って、私はこの事件のことで、KFCへ赴き、Dr.Lukeに相談を持ちかけました。この事件について、随分経った今、やっとここに私の意見を書 いているのは、私の中で整理がついたからです。このような事件に巻き込まれた人が、その事件について客観的に振り返ることが可能となるまで、どれほどの時 間がかかるか、それは当事者にしか分からないでしょう。Dr.Lukeの今回の提訴の予告は、私の声にならない声を、彼が汲み取って下さった結果であると 思っています。私は彼を主にある兄弟として信頼しています。

Sさん、「復讐するは我にあり」(申命記32:35)と言われる方が私たちの神 です。私たちはたとえ誰からどんなにひどい仕打ちを受けたとしても、どんなに義憤を感じることがあっても、自分で他人に復讐してしまってはならないので す。自分が裁き主となって、自分の力で正義を打ちたてようとしてはいけないのです。真理を真理とし、偽りを偽りとして明るみに出す作業は大切ですが、それ は憐みを持って、虚偽ではなく事実に基づいて、常識にのっとって、礼儀正しく行わなければなりません。虚偽を言い広め、私怨に基づいて人を断罪するので は、どうして世間の信頼を得ることができるでしょうか。しかも、神の義を退けてまで、己の正義を掲げ、神より先走って私刑を実行する人は、必ず、神の領分 を侵してしまったことで、神の御怒りを我が身に招き、自分が裁きを受けることになるでしょう。

Sさん、キリスト教界に対するあなたの義憤が、私に理解できないわけではありません。しかし、あなたは神に正義と真実を求めて、神に自分の嘆きを訴え、神 の裁きを求めるのではなくて、自分の判断を信用して、自分で裁きを行ってしまいました。それゆえに、あなたは自らの知恵に欺かれたのです。神の愚かさは人 間の知恵よりも賢い(Ⅰコリント1:25)、 と御言葉にあります。私たちはどんなに自分が正しいと感じる時でさえ、ただ一人の罪人としての立場を超えることなく、十字架の御前に頭を垂れることを忘れ てはならないと思います。カルト被害者を冒涜することが罪なのではありません。神を冒涜することが罪なのです。私たちは主の御前で自分の分をわきまえるべ きだと思います。

あなたは法学を学ばれた方なのですから、ご自分の専門を尊ばれ、法に服されるのが一番よろしいかと思います。ご存知のように、社会正義のために私刑を実行 したラスコーリニコフは、自ら法の裁きを受けて、流刑に赴きました。あなたもへりくだって、神の御前に一人の罪人として頭を垂れ、神の御手にご自分の訴え を委ね、主の裁きを信頼して待つべきではないでしょうか? あなたは多くの人々の罪を公に責められましたが、ご自分が犯した罪に対しても、公平に目を向 け、神と人との前で、正直に告白なさるべきではないでしょうか? そうでなければ、無実にも関わらず、あなたによって苦しめられた人たちの叫びが、アベル の血のように、いつまでもあなたの罪を訴えて、天に向かって叫ぶかも知れません。

Sさん、どうかあなたの心に主が直接、働いて下さるようにと願います。あなたが真理へと導かれ、真の悔い改めにより、キリストの贖いの血潮を受けられます ように。キリストの十字架を通して、真に心の解放を受けられますように。あなたの心に主の平安がありますように、あなたと兄弟姉妹として語り合う日が来る ように祈ります。
                       主にあって真心から  ヴィオロン

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