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私ではなくキリストⅣ

「私は、神に生きるために、律法によって律法に死にました。私はキリストと共に十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。」(ガラテヤ2:19-20)

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永遠の契約

ハレルヤ。主を誉めたたえます。

今朝は出勤途中に降車駅を乗り過ごし、別のルートで何とか会社にたどり着いた。ノルマに達するまで、残りわずか一件。今日、成約が取れなければ、来月の更 新はないかも知れない。自分では落ち着いているつもりであっても、動揺は隠せなかった。何よりも、私の心を占めていたのは、同期の誰かが万一、ノルマに達 せず、契約を打ち切られたら…との不安だった。

私自身の将来については、全ての結果を主にお委ねしているつもりであったので、たとえノルマを果たせなかったとしても、その時はその時で、主は必ず別の行 き先を用意して下さると信じることができた。だが、他の同期生は、信仰者ではない。しかも、一人を除いて皆、私よりも相当に年上の人々である。それぞれ名 の通った会社の正社員や、この業界のプロ、もしくは別の分野で長年、働いて来た経歴の持ち主であり、プライドもあれば、経験も持っている。だが、この会社 に入って以来、誰もが、経験の全くない私と同じように、まるで白紙のスタートを切らされていた。

どんなに立派な経歴の持ち主でも、これまでに培った経験、自分なりに積み上げて来たスキルが、ほとんど通用せず、年下の上司に、まるで子供のごとく、逐 一、注意を受けなければならない、その苦痛はいかばかりのものだろう。しかも、この雇用情勢では、年齢が高ければ転職が困難であるために、理不尽に遭遇し ても、耐え忍ぶしかない。うかうか不満も口に出来ないのだ。彼らはただ黙ってへりくだり、理不尽な制度の中で、最大限、実力を発揮し、年下の私にも配慮を 示してくれていた。

だからこそ、今回、決して、卒業試験で誰も落とされませんようにと私は祈った。とはいえ、今日になっても、まだノルマに達していないのは、私と他にわずか に一人を残すばかりとなっていた。皆が私よりも先輩なのだから、私が最後の一人となって構わない。とにかく、OJTは全員無事卒業でなければいやです、と 主に祈った…。

センターの上司は何日も前から、新しい業務の合間をぬって、研修島の付近にやって来ては、一人ひとりの様子を見ていた。いつもは猛禽類のように高飛車で冷 ややかなまなざしで、遠くからこちらを見下ろしているだけの彼が、心配そうにうろうろしている。一旦、あんな理想論を披露してしまった以上、彼も、これ以 上の犠牲者を出すわけにいかないと思っているのだろう。何だか可笑しかった。

ハレルヤ、主は私の思うところを超えて、豊かに恵みを施して下さった。在宅率の悪いはずの平日の今日、出勤し、架電を始めてすぐに一件の成約がすんなりと 取れただけでなく、主はその勢いで、おまけの二件をも、私につけて下さった。主の恵み深さを思うのは、かろうじてノルマに達したというのでなく、ノルマの 超過達成という結果となったことだ。しかも、もう一人の研修生も、早々と一件を取り、獲得競争は終了、13件に達せずに契約打ち切りとなった人は、結局、 誰一人としていなかった。

自主的な退職者がまた一人出たが、とにかく、卒業試験で落とされた人は誰もいなかった。これで、上部の面目も保たれたし、かつ、全員の必要が満たされた。 ハレルヤ、主は素晴らしいお方である。人間の会話内容の数値化という非人間的な制度に、あえて羊のように従順に身を委ねることを決意して以後、私がひたす ら主に願ってきたのはこのことだった。たとえ制度そのものは廃止不可能であっても、主は必ず、それを超える方法で、解決を与えて下さるはずだと、私は信じ た。果たせるかな、主は恵みを現して下さった…。

4月いっぱい、たった一ヶ月間の契約更新の契約書に、やっと今日になって、サインした。月の末日になるまで、翌月の更新の有無さえはっきりしないとは、何 という会社だろうか。たった一ヶ月ぽっちの雇用継続を得るために、これほどまでに力を振り絞ったことが、今まであっただろうか。派遣とは、このようなもの だったのかと改めて思い知らされる(注:派遣だと思っていたのは私の勘違いで、本当は出向の契約社員でした)。しかし、これが世の中である。そして、私の 心の内は至極、平安である。

信仰という119番通報が与えられている幸い。どのような状況下にあっても、主によりすがることを許されている幸い。私の中で確かなものは、ただ主、この お方だけである。たとえ地上における雇用契約書の保障期間がどんなに短くとも、私は、契約の主と、双方合意の上で、永遠の雇用契約書にすでにサインしてい るのだ。私は主の僕である。主がそれを永遠の昔から、お決めになり、信仰によって、私が応答した。主は永遠に変わらない愛を持って私を招いて下さり、そし て私はそれに同じ愛を持って応答し続けたいと願っている。誰が一体、この幸せな契約の意味、この絶大な特権の意味を十分に理解しえようか? 

「主は言われる、わたしがあなたがたに対していだいている計画はわたしが知っている。それは災を与えようと いうのではなく、平安を与えようとするものであり、あなたがたに将来を与え、希望を与えようとするものである。その時、あなたがたはわたしに呼ばわり、来 て、わたしに祈る。わたしはあなたがたの祈りを聞く。

あなたがたはわたしを尋ね求めて、わたしに会う。もしあなたがた一心にわたしを尋ね求めるならば、わたしはあなたがたに会うと主は言われる。わたしはあな たがたの繁栄を回復し、あなたがたを万国から、すべてわたしがあなたがたを追いやった所から集め、かつ、わたしがあなたがたを捕われ離れさせたそのもとの 所に、あなたがたを導き帰ろうと主は言われる。」(エレミヤ29:11-14)

いつの日か、必ず、主は私の失った全てを、豊かに回復して下さることを、信じています…。
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ひとこと

神である主、イスラエルの聖なる方は、こう仰せられる。「立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る。」(イザヤ30:15)

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