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私ではなくキリストⅣ

「私は、神に生きるために、律法によって律法に死にました。私はキリストと共に十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。」(ガラテヤ2:19-20)

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空の鳥と共に

朝、 うぐいすの鳴く美しい声を耳にしながら、快適な目覚めを迎える。我が家の文鳥も、朝になると、愛らしい声でさえずって、私の目覚めを助けてくれる。文鳥に 起こされるとは何とも情けない話だが、本当に、朝が苦手な私のために、毎朝、文鳥は私を早く起こそうと、あらゆる手を尽くしてくれるのだ…。

長年連れ添った鳥には、夫婦のような愛着と親しみが生まれる。文鳥は私の体調も気分も全て知っており、私が朝、いついつまでに起きなければ、職場に遅刻するかも、どうやら、全部、知っているらしい…。

今朝は、かつてなく、晴れ晴れとした心で目覚めを迎えた。これは良いお天気のためか、それとも、職場でようやく即日のリストラの危機から解放されたことか ら来る解放感なのか…。残念なことに、また一人、研修生が去って行った。今後も、獲得成績次第で、雇用が打ち切りとなる可能性に直面することになるのは目 に見えている。上司は私たちを気遣って、毎日のように、一人ひとりのところへやって来て、声をかけてくれている。その優しさは心にしみるが、正直に言っ て、翌月、今いる全員が残っているかどうか分からない。
 
全く、この仕事には、明日の保障というものは本当にない。まるで船乗りのような仕事だと思う。だからこそ、日々、主により頼むことが必要だ。今、将来のこ とはほとんど気にならない。野の花を育て、空の鳥を養い、私たちのことを心配し、世話をして下さっている方は主である。だから、その日の苦労はその日にて 足れり。明日のことは明日が思い煩う。

先日、職場での試験が全て終了したと書いたが、それは間違いであった。もう一つ、いよいよ正式な資格取得の試験が今週に控えている。これにパスすれば、ほぼ全ての試験をクリアしたことになる…。

主が私と共にいて下さり、主が私と共に生きて下さる。だからこそ、状況がどうあろうと、自分がどうあろうとも、生きていける。このお方を内に得ていることの幸い。このお方と共に生きることのできる喜び。それは言葉に表すことはできない。ここにこそ、平安がある。いや、ここにだけ、平安がある。今、私がこの 肉体にあって生きているのは、私自身の努力や、力量によるのではなく、ただ、私を愛し、私のために、ご自身の命をお捧げになり、私のために、死んで下さっ た御子の信仰によって生きているのです…。


<2016年>

今、筆者の家には、四羽の鳥とそのほかの二つの命がある。どれもこれもかけがえのない命である。文鳥は、上の記事を書いた当時に飼っていたものに比べれば、かなり強気である。

筆者は、上記の記事のような毎日は二度と送りたくないと考えているし、そんな日々を送る必要もないものと思っている。働くとは、決して、以上のような劣悪な労働条件を耐え忍ぶことを意味しない。いかに神はどんな状況でも信者を力づけて下さり、災いから救い出して下さると言っても、信者が自分から過酷な生き方を望む必要はない。

しかしながら、この世の経済はますます悪化の方向へ向かっているので、信者は、そこからエクソダスして、天の違った法則によって自分を養う必要があろう。

だから、この世の常識にとらわれることのない、神の偉大さにふさわしい夢を持ちたいものだと思う。環境が信者を定義するのではなく、信者が信仰によって抱く望みが、信者の歩みを規定する。

野の花のように、空の鳥のように、蒔くことも刈ることもせずとも、神が養って下さっているのが信者の人生である。一切の思い煩いを神の御手に委ね、自分から何かをしようとする前に、神の命を受け取り、それによって豊かに成長して行きたいものである。
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ひとこと

神である主、イスラエルの聖なる方は、こう仰せられる。「立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る。」(イザヤ30:15)

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