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私ではなくキリストⅣ

「私は、神に生きるために、律法によって律法に死にました。私はキリストと共に十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。」(ガラテヤ2:19-20)

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私の歩むべき道―御名によってすべてのものを統治する―

「まことに、シオンの民、エルサレムに住む者よ
 もはや泣くことはない。
 主はあなたの呼ぶ声に答えて必ず恵みを与えられる。
 主がそれを聞いて、直ちに答えてくださる。

 わが主はあなたたちに災いのパンと苦しみの水を与えられた。
 あなたを導かれる方はもはや隠れておられることなく
 あなたの目は常にあなたを導かれる方を見る。
 あなたの耳は、背後から語られる言葉を聞く。
 『これが行くべき道だ、ここを歩け 右に行け、左に行け』と。

 <…>

 主は、あなたが地に蒔く種に雨を与えられる。
 地の産み出す穀物は豊かに実る。
 その日にはあなたの家畜は広い牧場で草をはみ
 地を耕す牛やろばは ふるいや箕でえり分け発酵させた飼葉を食べる。」
(イザヤ30:19-24)


主に従う者は、乏しいことがない。
生きる限り、いつくしみと恵みとが追ってくる。
そうダビデも書いている通りだ。

足りないということもなければ、間に合わないということもない。
何が起きても、主ご自身が解決となられ、すべてに行き届いて下さるのである。

最近、家の給湯器が壊れるという出来事があった。
点検に来てもらうと、「もう古いですね。これは直せません。取り替えましょう」と、
診断書を書いてくれた。
むろん、取り換えは全て無料である。
だが、工事にずいぶん時間がかかるという。
事情により、なかなか対応できない。
それに、何か心にためらわれるものがあった。

業者はとにかく早く新しいものに取り替えたいらしい。
新しい機械を導入することで、何か彼らに儲けでもあるのだろうか?と思うほどであった。

だが、筆者はハイテクで新しい機械には関心が全くない。
どうせ取り替えても給湯器ごとき、そんなに性能が変わるわけでもない。
普通に暮らせさえすればそれで良いのだ。

ところが、筆者が何もしないでいる間に、不思議なことが起きた。

まず点検に来た人が、給湯器をある程度復旧させて行ったので、
機械が使えるようになった。
ランプは点くようになり、お湯もある程度出るようになった。

ただ機械が古いので、冬場、お湯がきちんと出ないかも知れないと脅かされ、
やっぱり早く取り替えるようにとの促しが何度も業者から来た。

ところが、それにも関わらず、それでもまだ対応をぐずっていると、
驚くべきことに、もうダメだと言われたその機械が、
時を追うごとに、正常に作動するようになって行ったのである。

一体、これはどういうことだろう?
呆れる人もいるかも知れないが、筆者にはよく理解できるのだ。

筆者はこれまでにこのような形で壊れたはずの機械を何度も復旧させて来た経験がある。

自動車がエンストを起こした時に、レスキューが来る前に復旧させた。
窓を自動で開けられなくなった時にも、自力で元通りに直した。

もっと以前には、コーヒーをこぼして一度動かなくなったパソコンですら、
復旧させたことがあった。

工具を使ったのではない。
中を開けて修理をしたわけでもない。
そんな技術が筆者にあるわけではない。

すべてはただ主の御名によって復旧させたのである。
御名によって命じ、何事もなかったかのように、元通りにしたのである。

信じられないという人は別に信じなくても良い。
アホらしい、さっさと買い替えてしまえと思う人は買えば良い。

だが、筆者の信念は、壊れたからと言って、古いものをどんどん捨てて、
新しいものに買い替えれば良いというものではない。

使えるものは可能な限り使い続ける。
可能な限り、寿命をのばすのだ。
おそらくは、それが道具にとっても本望であろう。

さらに、テクノロジーは人間が造ったものであって、人間に従わなくてはならない義務があるのだ。だから、テクノロジーの反乱は、御名によって静めるのである。

テクノロジーだけではない。環境も、天候も、自分自身の体も、人の思いも、御名によって従わせるのである。

今、一体、その実験がどこまで可能なのかを試しているところである。

別に筆者は超能力者を目指しているわけではない。
キリストが信じる者にお与え下さった御名の権威によって、信仰者がどれほど自然で豊かな生活を送ることができるか、主がどれほど全ての場面において、あらゆる問題の解決となって下さるかを試しているだけである。

いずれにしても、どんな状況でどんな問題が生じても、御名を信じる者には、足りないということはないし、手遅れということもない。もうダメだという時は来ないのである。

キリストの復活の命は、信じる者を通して、生き物だけでなく、道具にも、環境にも及んでいる。これは本当のことである。

貧しい者は、御名によって命じるが良い。
主はご自分に羊に、命を豊かに与えて下さる。

[2016]
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ひとこと

神である主、イスラエルの聖なる方は、こう仰せられる。「立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る。」(イザヤ30:15)

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