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私ではなくキリストⅣ

「私は、神に生きるために、律法によって律法に死にました。私はキリストと共に十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。」(ガラテヤ2:19-20)

ルツ記(2)

こうして民の大半が霊的飢餓にあえぐ時、この大きな流れに、主に忠実な少数の者たちも少なからず巻き込まれる。エリメレクの一家は飢饉を避けるため、約束の土地を去って、異教モアブの地へ赴かざるを得なくなった。

「さて、エリメレクとその妻と二人の息子は、とても上品な人々、とても良い人々、とても善良な人々でした。彼らの道徳生活と尊厳に関して、彼らに反対して 述べることは全く何もありません。おそらく、神を畏れる心についてもです。しかし、注意すべきことが一つあります。教会の一般的状況のために、善良で正直 で誠実な神の民が悲劇に巻き込まれてしまうことが何と多いことでしょう。」


祝福を約束されているはずの土地で、かえって霊的飢餓に陥り、異教の地へ助けを求めて出発せざるを得なくなったエリメレク…。私自身にも全 く同様の経験があったことを思い出す。私も同様に、信仰へと導かれたはずの教会で、まことの食物が得られなくなり、自分を養ってくれる食物を求めて、信仰 から遠ざかり、世へと出て行った。だが、世で待っていたのは、偶像崇拝からのあってはならない影響と、悲劇であった。

エリメレクは異教の地で死亡し、彼の二人の息子も死んだ。夫と子を失ったナオミに残されたのは、祝福から除外された呪われた異教徒の二人の嫁だけであった。「ナオミは言った、『私をナオミと呼ばないで、マラ――苦い――と呼んで下さい。私は満ち足りて出て行きましたが、主は私を素手で帰されました。なぜ私をナオミと呼ぶのですか?主は私に反対して証しし、全能者が私をつらい目に会わされたのです』」(ルツ1:20-21)

私もまたナオミとほぼ同じように叫んだことがあった。霊的飢餓を避け、命を養うまことの食物を探し求めて移住して行ったはずの土地で、私は以前に持ってい たはずのものまで失い、ただ空手で故郷へと帰らざるを得なくなった。すなわち、何もかも失って、ただ主の懐の中へ、信仰へ、エクレシアへと立ち戻らざるを 得ない時が来た。それは長い目で見るならば、まことに主の私への憐れみのゆえであったのだが…。
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ひとこと

神である主、イスラエルの聖なる方は、こう仰せられる。「立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る。」(イザヤ30:15)

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