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私ではなくキリストⅣ

「私は、神に生きるために、律法によって律法に死にました。私はキリストと共に十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。」(ガラテヤ2:19-20)

神の国と神の義とを…(3)

い みじくも、私の就いていた業務には、十字架を意味する名前が掲げられていた。それはまるで、この会社が従業員全体に課している過酷な重荷の象徴のようで あった。だが、主はそれが影に過ぎないこと、本当の十字架はただキリストにのみあって、キリストの十字架を抜きにしては、私たちがどんなに自分の手で作っ た十字架を苦心惨憺して負ってみたところで、何の希望もないということを、お示しになっておられる。

主は今日も、私たちに向かって、語りかけておられる。私たちが、人の手で作った十字架を早く捨てて、人間の善意と情けと正義と責任感に塗り固められた、負 いきれないプロジェクトを成し遂げようとする、痛ましいまでの努力を捨てて、ただ幼子のように、へりくだって、自分の無力を認めて、主の御許に駆け寄り、 救いを求めるようにと…。

「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。
わたしがあなたがたを休ませてあげます。
わたしは心優しく、へりくだっているから、
あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。
そうすればたましいに安らぎが来ます。
わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」(マタイ11:28-29)


あの戦場のような職場で、私の上司もまた、人の作った十字架という、負いきれない荷を負わされて、苦しんでいた一人であった。だが、それを私が自分の情け と善意で支えようとすることは、さらに見込みのない、無益な計画であった。私たちは双方が罪人で、キリストを抜きにしては、どちらがどちらを助けることも 不可能だからである。「あなたの善意を捨てて、あなたの責任感を捨てて、まずキリストに道を譲りなさい。キリストこそがあなたの重荷を担われる主なので す。あなたの重荷を丸ごと主に差し出し、主に解決を求めなさい、全てはそれからです」と、主は私たちに語っておられるように思う。

アダムを通して、被造物全体が、死と呪いと罪とに定められた。万物には、キリストの十字架を通して、すでに神による死刑宣告が出されている。私たちは万死 に値する存在であり、自分自身の努力によっては、改善の見込みなど全く持たない。ただキリストの十字架だけが、私たちを罪から救い出し、新しく生まれ変わ らせることができる。キリストの十字架だけが、被造物全体を、新しく贖うことのできる、唯一の脱出口である。万物を、キリストによらずして、人間の努力に よって改善し、理想的に変化させ、生き永らえさせようとする試みは、いかなる種類のものであっても、成功を見ることはない。

にも関わらず、私は、しばらくの間、会社と心中しても良いと思うほどに、人の情けに心惹かれていた。それほどまでに、そこには私の心を惹きつける魅力が あった。多分、もしも小説家ならば、ここからいくらでも愛の物語を編み出すことができるだろうし、人間のこの世には、これ以上に麗しい感情もないかも知れ ない。だが、我が主は、復活の主であり、私たちの魂の全ての情念は、十字架の刻印を経ていなければならない。主はあえて、上記のような出来事を通して、私 の人としての生まれながらの情けにNOを突きつけられ、私がそれに突き動かされて、崩れ行く建物の人柱となることを禁じられたのではないかと思う。

私は降板し、キリストにバトンタッチした。主がどのように働かれるかは、分からないが、主はきっと私たちにこう仰せになりたいのではないだろうか。全ては 私が解決するのだ、全ては私の力による、ただ主イエスの十字架の勝利に頼りなさい、そこに、あなたの努力を付け加えることは不要である、と。

今、私を支配しておられるのはキリストただお一人である。私の保護者はただお一人である。権威ある人が、私を守るのではない。ただキリストに従うことだけ が、私を真に自由にするのであり、キリストを介してこそ、私はこの世の秩序と権威に服従することができる。キリストの内にとどまるのでなければ、私には何 人をも、何物をも、愛し、仕え、敬い、従うことはできない。それは無益である。

「神の国と神の義をまず第一に求めよ。全てのものはそれに添えて与えられる」、と御言葉は言う。もしもキリストの復活の命を内にいただいているのでなければ、別離の度ごとに、私の魂は耐えられないほどに苦しんだかも知れない。その上、今回は、失業者となった。誰がそんな結果に心安らぐことができよう?

だが、状況に関わらず、今、私のうちには、不思議なほどに、不安はない。親しい人たちと別れるのは、とても心寂しく、残念なことではあるが、不謹慎なほどに、内側は平安である。「人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます」との御言葉が、私の内で成就しているからだろう。主の御名を讃えます。栄光がただ主にありますように。ハレルヤ。
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ひとこと

神である主、イスラエルの聖なる方は、こう仰せられる。「立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る。」(イザヤ30:15)

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