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私ではなくキリストⅣ

「私は、神に生きるために、律法によって律法に死にました。私はキリストと共に十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。」(ガラテヤ2:19-20)

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主は我が魂の救い(3)

この度、ようやく主に打ち明けられるようになった私の願いの一つは、できるだけ早く、本職に戻りたい、というものである。

センターを去る直前、私は上司にこう告げた、悲しまないで下さい、と。私がオペレータになりきれなかったのは、当然の結果なのです、何しろ、私の本職は話すことではなく、書くことなのですから、と。

それは負け惜しみでも、取り繕いでもなかった。私の職業は、本当に、書くことなのである。子供の頃からそうである。話すことに関しては、どちらかと言えば、ハンディキャップの多い私が、書くこととなると、まるで呼吸のように自然に出来る。

今は学術研究の世界を離れてもう数年が経つし、その間、一本の論文も書いていないので、業績表にまるで進展はない。だが、業績表の空白に一切、関わりな く、天より与えられた人の本分というものは変わらないし、偽ることも出来ない。私の本業はオペレータではない。それは変えられない事実だ。

このことを上司に打ち明けた時、親しい人たちを置き去りにしてまで、職場を捨て去ろうとしているのだから、私は遅くなっても、いつか必ず、自分の本職に立ち戻らなければならないと感じた。

私がなぜ自分の専門を離れたのか、その理由は、今まで書いたことがなかった。それには、このご時世での就職難という事情も、少しは関与していたが、何よりも、最大の原因は、大学の論文審査によって私が受けた印象が、生涯、忘れえぬほどひどかったということであった。

博士論文審査の際に、私はそれまで自分の研究意欲を支えて来た、内なる「魂柱」をへし折られてしまった。元来、子供のように臆病な性格の私は、自分の作品があまりにも世間から冷遇されるようなことがあると、創作意欲をめっきり失ってしまう。

幸運にも、学位は授与されたが、それ以来、専門とは無縁の場所に身を避けて、私は今日まで生きて来た。まあ、心弱かったのだとみなされても仕方がないだろう。このことについては、主に祈る気力さえも、起きなかった。

だが、主の憐れみによって、一度は倒れてしまった私の魂柱も、最近、建て直されて来ている。それには、主にある兄弟姉妹の親切や、先に書いた職場の上司の励ましの影響も大きい。

あたかも、こうした心ある人々に私を出会わせて下さることによって、主は一度は完全に閉ざされてしまった私の心をもう一度ノックして、吹雪は終わったから出てきても大丈夫だよ、勇気を出しなさいと、優しく語りかけておられるかのようだ。
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ひとこと

神である主、イスラエルの聖なる方は、こう仰せられる。「立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る。」(イザヤ30:15)

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