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私ではなくキリストⅣ

「私は、神に生きるために、律法によって律法に死にました。私はキリストと共に十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。」(ガラテヤ2:19-20)

内なる人と外なる人(2)

「そこで女が見ると、その木は、まことに食べるのに良く、目に慕わしく、賢くするというその木はいかにも好ましかった。」(創世記3:6)

私の魂はまことに活発です。愛すべき人がいれば、愛しすぎるほど愛し、落胆すべき問題が起これば、胃が痛むほど悩みます。私の魂は、いつも繊細な振り子の ように、周囲で起こる出来事に即応します。私ばかりでなく、多分、ほとんどの人が、ほとんど同じ自然な感情の揺れ動きを毎日のように経験していると思いま すが…。

魂が活動することそのものが、悪いと言うつもりはありません。私たちは霊だけでなく、心と思いを尽くして主を愛せよと言われていますが、それは魂があって こそできることであり、主も、私たちの子供のように単純な愛を喜んで下さるでしょう。私たちの魂の活動は、肉の活動と同様、生きるためには不可欠です。し かし、そんな魂の喜びでさえも、主に向かう際に、妨げとなってしまう場合があります。

私には、今でも、かつての職場の同僚たちとの喜ばしい関わりが与えられています。また、兄弟姉妹との嬉しい交わりが与えられています。私は子供のように無 邪気に、彼らから受けた恵みの一つ一つを数え上げ、それによって有頂天になります。私は何と、主からも人からも、覚えられ、愛されているのだろうか、何と 主は私の人生の面倒を優しく見て下さっているのだろうかと、恵みの一つ一つに感謝するのです。そのこと自体が悪いわけではありません。しかし、私はそのよ うな自分の浮かれやすい感情に左右されている人生が、非常に利己的な要素を含んでいることに、まだ気づいていません。つまり、自分が恵まれているから喜ぶというその状態が、極めて利己的であることを自覚さえしていないのです。

自分の心に喜びが満ちているうちは、私たちの天然の命は、その状態にOKを出します。人の天然の命は、利己主義に満ちており、自分にとって好ましいものだ けにOKを出すのです。そして、それを信仰の事柄と混同しています。こんなにも嬉しく、わくわくするのだから、これは御心にかなった喜びなのに違いない、 主に感謝するのは当然だ、喜んでいれば、世に対しても証になるだろう、と思います。

しかし、一度でも、喜ばしくない状況が起こると、今度は、心は思い悩みます。そして天然の命はその苦しみにNOを出します。自分にとって、痛みとなる全て のものを、天然の命は悪と断定し、拒否するからです。そして、人は霊的な事柄と、自分の魂の領域の事柄を未だ混同していることに気づかないまま、それは信 仰においても、良からぬ事態だと思うのです。こんなにも、苦しい状況になっているのは、自分の信仰が下降したからに違いない、この状況を拒否して失敗を早 く脱し、霊的に上昇し、喜びを取り戻さなくてはならない…と考えがちなのです。

しかし、本来、信仰とは、そのような、私たちの魂の一喜一憂に左右されるものではないのです。私たちの感情の揺れ動きと、霊的な領域の事柄は必ずしも一致 しないのです。ただ、人は、自分の魂が喜びに夢中になっているうちは、その喜びが、魂の活動に過ぎないものであり、霊的領域には達していない事柄だという ことに、気づかないのです。
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