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私ではなくキリストⅣ

「私は、神に生きるために、律法によって律法に死にました。私はキリストと共に十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。」(ガラテヤ2:19-20)

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キリストの苦しみにあずかる(1)

「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを見いだすのです。」(マタイ16:24-25)

今日、もし誰かが本当に主イエスの弟子となりたいと願うならば、その人は、主イエスが持っておられた、死に至るまでの従順とへりくだりの道を歩まなければ なりません。それは私たち自身の力で成すことは不可能ですが、もしも私たちの心の願いが真実であるなら、天におられる御父は、私たちの願いに応えて、キリ ストにあって、それを可能として下さるでしょう。

私たちの心が、真にへりくだっているかどうかが試されるのは、私たちが人に奉仕する時ではなく、むしろ私たちが人から奉仕を受ける側に立つ時であることを、どのくらいの人々が知っているでしょうか? 

一年前のちょうど今頃、私の人生はほぼ完全な破綻状態にありました。毎日が生存と安全を確保するための、絶え間ない戦いであり、私の心は、人生の宝をこと ごとく失ってしまったという悲しみと、惨めさで、張り裂けそうでした。無職だったというのに、日中、何をする気力もないほどに、疲れ切っていました。財産 はほとんどなく、外出もままならず、将来の希望もなく、誇れるものは何一つなく、当時は心も通い合っていなかった肉親の情けのおかげで、かろうじて生きて のびていました。

私はその頃、自分の悲しみに寄り添ってくれ、慰めてくれるキリスト者を求めていました。また、神による人生の解決を探し求めていました。そこで、夏になっ て、本物のキリストに出会いたいと希望をつないで、はるばる旅をして、ある兄弟の家を訪れたのでした。かなり遠距離の旅で、なぜそのようなことをどうして も成し遂げねばならないと思いついたのか、理由は分かりません。その当時、最も主に出会えそうな方法を私は選んだのです。兄弟は快く迎えてはくれました が、それは私にとって何と惨め極まりない旅となったでしょうか!

行きの夜行バスに乗車中、かなり大きな地震が起きました。そのため、バスは高速道路を使えなくなり、到着予定時刻を大幅に遅れ、いつ到着するのかさえ定か ではありません。ところが、携帯電話も持つ余裕のなかった私には、誰にも連絡する手段がありませんでした。そこで、私にできることは、車で迎えに来てくれ る予定になっている別の兄弟が、私を置き去りにして行ってしまわないように、たとえ到着が夜になろうとも、きっと待っていてくれるようにと神に祈り、神が 祈りを聞き届けて下さることを信じ、兄弟の情けにすがることだけでした。

何とか、無事に現地にたどり着くことができました。しかし、そこでは、子供たちがおおはしゃぎで駆け回っています。家の主人は、客人をもてなすことで心が いっぱいで、楽しいスケジュールを組んでいます。誰一人として、私のように、生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされ、絶望の一歩手前で、苦しんで、神に向かっ て叫んでいるクリスチャンはいませんでした。私は泣き出したい心境を何とか押し殺し、可能な限り、普通を装うことしかできませんでした。

滞在中、ずっと私の心を占めていたのは、帰りの交通手段をどうやって確保するかというやはり惨めな問題でした。最終日、家の主人が私を最寄り駅まで送り届 けてくれましたが、そこでさらに、私の魂を打ちのめす事件が起きました。車中で、兄弟は私に「献金」をしようとしたのです。それは私の貧しさに対する、兄 弟の憐れみの心から出た提案ではあったのですが、それは、私の残る最後の自尊心をも、吹き飛ばしました。私の心は悲鳴を上げていました、もうやめて、もう 耐えられない、これ以上、人々の幸せで余裕たっぷりな生活を見せつけられて苦しむのは、もう沢山だと!

私は神の御前に胸がつぶれる思いで訴えました、どうか主よ、こんな恐ろしい惨めな無一文に等しい生活から、私を抜け出させて下さい。いくら主に背き、自業 自得の愚かな失敗を繰り返して、こうなったとはいえ、私にも人としての最後のプライドがあることを、どうかご理解下さいませんか。私は乞食にならなければ ならないのでしょうか。そこまで落ちぶれることが私の使命でしょうか。主よ、どうかこの惨めな罪人の私を憐れんで下さい…。
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神である主、イスラエルの聖なる方は、こう仰せられる。「立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る。」(イザヤ30:15)

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