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私ではなくキリストⅣ

「私は、神に生きるために、律法によって律法に死にました。私はキリストと共に十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。」(ガラテヤ2:19-20)

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キリストの死にある命――魂の命の死(1)

「そよ風の服ころ、彼らは園を歩き回られる神である主の声を聞いた。それで人とその妻は、神である主の御顔を避けてその木の間に身を隠した。
神である主は、人に呼びかけ、彼に仰せられた。『あなたはどこにいるのか。』」(創世記3:3)


今日、私たちはどこにいるのでしょうか。自分の裸の恥を隠すため、恐れて、木陰に身を隠しているのでしょうか。それとも、苦しめられても、懲らしめられて も、パン屑でも良いから、主の御身体の分け前にあずかるために、主に追いすがり、御衣の房にすがっているのでしょうか。今日、私は自分のオルパとルツに向 かって、こう言いたいと思います。

「さあ、可愛い娘たち、お別れの時がやって来ました。あなたたちと別れるのはつらくて忍びませんが、それぞれ、あなたたちを産んでくれたモアブのお母さま のお家へ帰りなさい。私から離れて、自分の生活に帰りなさい。この十字架の死を絶えず負わされる人生から離れなさい。あなたたちが愛する故郷で、それぞれ 新しい夫を迎え、主に恵まれて、子供を産んで、財産を築き、平和に、豊かに暮らすことを私は願います…。

今日まであなたたちは、よくぞ私の心の慰めとなってくれました。あなたたちが私を愛して、ずっと助けてくれたことは感謝していますし、忘れません。あなた たちがいなければ、あの苦しみを耐えることはできず、今日までやって来られなかったでしょう。本当に感謝しています。けれども、今日、私は心を鬼にして、 こう言わねばなりません、もうこれからは、私に着いて来てはいけません。

私は主に、『はい』と答えました。ですから、今日から、私の名前は『マラ』です。全能者が私を懲らしめるために、御手を伸ばされたからです。主は愛する子 を全て例外なく懲らしめられます。あなたたちは異郷の娘たちでなので、そんな苦しみを負う責任はありませんが、私は主の娘です。私は卑しくされ、つらい目 に遭わされ、苦しみの中を通らされますが、最後まで耐え忍ばなければなりません。

以前、私は主に従うことができずに、飢饉の時に、浅はかにエジプトに下って行って、全財産を失いました。そのせい で、愛する夫ももう生きてはいませんし、子供たちもいません。私は愚かにも、何度もエジプトに下って行っては、失敗し、主の臨在を離れました。けれども、 たとえ主が私を捨てられるとも、私は主を探し求めて、何度でも、旅立たなければなりません。そして、ただ主の御手の中にあって、『ナオミ』に回復される日 を待ちたいのです。(*ルツ記ではモアブ)

どうか、可愛いあなたたち、もしもあなたが、隠れたところにおられる隠れた神を、私と同じように愛し、主から私生児と呼ばれるのを拒否して、サラの娘たち となり、主のために全ての辛苦を最後まで耐え忍ぼうとの覚悟を決めているのでなければ、どうか今、私から離れて下さい。今が去るべき時です。これ以上、私 につきまとってはいけません。私は今から地に埋められようとしています。この先、あらゆる汚名と、汚辱と、今まで以上の艱難と、誤解と、偏見と、孤立が私 を待っているでしょう。

私は地上のどんな利益よりも、真実、真理なるお方を取りたいのです。私自身は不義なる者に過ぎませんが、主の裁きに身を委ね、燃える炉の中を通らされてで も、不義を焼き尽くされることを選びます。それが主が私に求めておられることだからです。けれども、もしも私と一緒にいれば、あなたたちまで、地に埋めら れることになりかねません…。まだ若くて、きれいで、元気いっぱいのあなたたちに、どうしてそんな苦しみを味わわせられますか。行きなさい、娘たち。いい え、あなたたちはもう私の娘じゃありません。あなたたちは命を大事にして、ふるさとモアブへ帰りなさい、そこで願うものをしっかりその手で掴んで、幸福に おなりなさい…。」
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ひとこと

神である主、イスラエルの聖なる方は、こう仰せられる。「立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る。」(イザヤ30:15)

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