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私ではなくキリストⅣ

「私は、神に生きるために、律法によって律法に死にました。私はキリストと共に十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。」(ガラテヤ2:19-20)

神の焼き尽くす火――完全な明け渡し(3)

<ガイオン夫人著、短くて簡単な祈りの方法 続き>

<…>
聖パウロの次の言葉は、まさにこの思想を表しています。「この火が、それぞれの人の働きがどのようなものであるのかを試します」(コリント人への第一の手紙3章13節)。パウロはさらに付け加えて言いました。「もしだれかの働きが焼ければ、その人は損害を受けます。しかし、その人自身は、火の中をくぐるようにして救われます」。

ここでパウロは、不純な混合物によって価値を減じた働きがあることを、ほのめかしています。神はあわれみ深くそのような働きを受け入れて下さいますが、それでもなお、その働きは火の中を通って自己から清められなければならないのです。このような意味において、神は私たちの義を吟味し、裁かれます。なぜなら、律法の行いによっては、いかなる肉も義とされないからです。人が義とされるのは、神の義によります。人は、イエス・キリストを信じる信仰によって、神の義を受けます。
(ローマ人への手紙3章20節他)

ですから、神の義と神の知恵は、情け容赦ない焼き尽くす火のように、地的で、感覚的で、肉的な、自己の活動を、ことごとく滅ぼさなければならないのです魂が神と結合される前に、この清めが必要です

さて、被造物の働きによって、この清めを成し遂げることは決してできませんそれどころか、被造物はなかなかこの清めに服そうとしません

なぜなら、すでに述べたように、被造物は自己の鎧で覆われており、それが壊されることを大いに恐れるからです
神が自分の上に力強く、権威をもって働かれない限り、被造物は決して同意しようとしません

<…>焼き滅ぼして清める働きを神が開始される時、それが益のためであることに魂は気がつきません反対に、魂は正反対の印象を持ちます。最初、金が火の中に入れられる時、それは明るく輝かずに、黒ずんでしまいます。それと同じように、魂は「自分の美が失われてしまった」と考えます。<…>魂は、神の働きに逆らうことも、喜ぶこともできません魂にできることは、忍耐の限りを尽くして、神の働きを耐え忍ぶことだけですこのような状況にあって、魂は主の御旨を受動的に受け入れます

魂はこのようにして、自己から出る、感覚的で複雑な働きから清められます自己の働きは、神と魂を大いに隔てますこの清めにより、魂は少しずつ神と同じにされ、神と一つにされます。そして、受動性の容量を拡大されます。しかし、この過程は隠されており、人の目に触れません。<…>

最初、魂は活動しなければなりません。しかし、神の働きが強力になるにつれて、魂の働きは徐々に静まらなければなりません神の中にまったく吸収されるまで、魂は神の霊の力に自分を委ね続けなければなりませんこの過程は長期間続きます
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