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私ではなくキリストⅣ

「私は、神に生きるために、律法によって律法に死にました。私はキリストと共に十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。」(ガラテヤ2:19-20)

神の焼き尽くす火――完全な明け渡し(4)

<…>私たちが創造されたのは、ただ神を享受するためです。神聖な合一と創造の純粋さに今生で達しない魂は、火の中をくぐるようにして救われることしかできませんそれなのに、どうして私たちはこの過程を恐れ、避けようとするのでしょう? これはまったく奇妙なことです! <…>

神は至高善です。究極的な祝福は神との合一ですこの合一の完全さの程度によって、聖徒たちの栄光は異なります自分の力から出る活動によって、この合一に達することはできませんなぜなら、魂の受動性の容量に応じて、神はご自分を魂に伝達されるからです神と一つにされるには、私たちは単純かつ受動的でなければなりません。<…>

この道は危険ではありません。イエス・キリストは、いかなる道にもまして、この道を完全で必要不可欠なものにされました。もしこの道が危険だったなら、キリストはそうされたでしょうか? いいえ! 誰でもこの道を旅することができますすべての人が幸福に召されているように、すべての人が神を享受するよう召されています。<…>

神を享受することこそ、唯一の幸福です幸福をもたらすのは、神を享受することであって、神の賜物ではありません。<…>魂はあまりにも気高く偉大ですそのため、神の最高の賜物ですら、魂を幸福にすることができません神がご自身を与えられる時はじめて、魂は満足します神たる方の願いは、すべての被造物にご自分を与えることです神は、それぞれの容量に応じて、ご自分をお与えになります。しかし、ああ! 人は神に引き寄せられることを嫌がります! 
人は神聖な合一に備えることをとても恐れます!

<…>自分の働きによってこの目標に到達することのできる人はいません。ですから、私たちは誰もそこに導こうとはしません。私たちはただ、そこに至る道を指摘し、道ばたの宿や外面的な実行に固執しないよう懇願するだけです。<…>神聖な合一は存在します。そして、そこに至る道も存在します。これは議論の余地のない、明白な事実です。<…>この道には、出発点があり、行程があり、終点があります。完成に近づけば近づくほど、私たちはますます出発点を後にします。 一方を離れなければ、他方に到達することはできません。途中の行程を経ずに、入口から遠方へ進むことはできません。終点が良いものであり、聖なるものであ り、必要なものである以上、そして入口も良いものである以上、どうして入口から終点へ直接通じる道が悪いものでありえるでしょうか?

おお、科学と知恵に傲る大多数の人類の盲目さよ!
おお、わが神、あなたは本当に、これらのことを
知恵ある者や賢い者から隠して、幼子らに啓示して下さいました!
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ひとこと

神である主、イスラエルの聖なる方は、こう仰せられる。「立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る。」(イザヤ30:15)

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