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私ではなくキリストⅣ

「私は、神に生きるために、律法によって律法に死にました。私はキリストと共に十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。」(ガラテヤ2:19-20)

ジョージ・ミュラーの伝記から…(1)

アーサーT.ピアソン著、海老沢良雄訳、『信仰に生き抜いた人 ジョージ・ミュラー ―その生涯と事業―』、いのちのことば社、から

人が器に注目しないようになるのは、たいへんむずかしいことだ。そして、厳密に言って、行為者は唯一であることを忘れがちである。行為者は働く本人であり、器はその行為者が働く際に用いる道具にすぎない。」(pp.228-229)

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確信を実行に移すには、高価な犠牲を払わなければならないことは言うまでもない。またそれを実行に移す時には、捨てるべきものを捨て、離れるべきものから離れなければならないために、妙な損失感と孤独感に襲われるものである。しかし、わしのように、雲一つない大空にかけ上り、神の日光の下に住もうとする者は、どちらかと言えば孤独な生活に耐えなければならない

わしほど孤独な鳥はほかにいないわしは決して群れを成して飛ぼうとはしない一羽、多くて二羽――それはつがいであるが――で、それ以上がいっしょにいることはない。しかし、神のために生きる生活は、たといどれほど人間の道づれを失っても、常に神とふたりだけで交わることができる

また、その主がかつてされたように『いつも神のみこころにかなうことをしている』人は、主と同じようにこう言うことができる、(御父は)わたしをひとりで置きざりになさることはない『わたしはひとりでいるのではない。父がわたしと一緒におられるのである』(ヨハネ八・二九、一六・三二)

神の与えられるどんな光にもすぐに従う人は、人間の意見や習慣、伝統、あるいは賞賛などがどうであれこの言葉の深い意義を学び知ることができるわたしたちがせつに主を知ろうとして従うなら、知ることができる』(ホセア六・三 英訳)。」(pp.247-248)

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祈りに対する神の真の答えには、しばしば否定されたかのように見えるものがある神は外面的な要求の下に秘められている内なる切願をお聞きになる。そして、人間の要求の不完全な誤りの多い表現の言葉に従って応答せず、御霊のみこころに従われる。更に、その無限の知恵によって、私たちの求める次善的なものを与えるよりも、保留するほうがより多くの祝福を与える結果となることを知っておられる。

それゆえ、真の祈りというものは、神が最善と見られる答えを与えて下さると信頼すべきである。しかもそれは、私たちの欲する時期に、私たちの欲する方法によってではなく、また、私たちの言い表した願いのとおりでさえなく、むしろ私たちのうちにいます御霊の、言葉に表わせない切なるうめきに基づいて応答されるのである。この御霊こそ、私たちの真の願いを私たち自身よりも正しく判断することのおできになるかたである。」(p.231)


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