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私ではなくキリストⅣ

「私は、神に生きるために、律法によって律法に死にました。私はキリストと共に十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。」(ガラテヤ2:19-20)

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終わりの時代の初めの展望(1)

終わりの時代の始まりに臨み、世におけるクリスチャンの役割について、若干の展望を述べたいと思います。これは私の予測に過ぎませんので、各人が、御言葉に照らし合わせて検証して下さることを願います。

第一に、今から先、世はますます「負債」の中に落ち込んでいくでしょう。

この世で、生まれながらの人間は、「罪と死の法則」(ローマ8:2)の下に縛られています。この罪と死の法則は、人間に、罪という、負いきれない借金返済の義務を負わせ、その恐怖を利用して、悪なる主人の奴隷とならざるを得ない状況を作り出します、そうして、人は生まれながらに「死の恐怖のために一生涯、奴隷と」なり(ヘブル2:15)、各人の人生には罪の報酬として、最終的には死がもたらされます。それは霊的な死であるだけでなく、肉体的な滅び、人生の破滅をも意味します。

今、この国では、どれほどの人々が自主的に命を絶っていることでしょうか。すでに、我が国の経済は、人がただ生きているだけで、負債が膨らんでいくような 仕組みになりつあります。人の生存が、負債の増加という概念で置き換えられるようになるでしょう。何という暗闇でしょうか。数十年前には、人々の借金に は、返済の見込みがまだありましたが、現在はどうでしょうか、国家、地方自治体、個人が抱える負債は、時が経つごとに増える一方です。ここに、見えない悪 意が働いていることを見出さずにいられるでしょうか。

今後、負債の増加と、その結果としての破産、身売りは、個人だけでなく、国家単位で起こるでしょう。多くの国が、激しい競争に疲弊し、返しきれない借金の かたに、どこへやら吸収合併されていくでしょう。バビロンの成長は、このようにして、国家(個人)を財政破綻に追い込み、救済を与えるという名目で、自主 的に自由を返上させ、捕囚となるよう仕向けることによって促される、と考えるのは行き過ぎでしょうか。

この先、世はますます負債によって動かされるようになって行くでしょうが、返しきれない罪の債務証書にひしがれる人生から、個人が解放される道は、ただキリストの十字架にしかありません。御言葉は言います、「神は、わたしたちを責めて不利におとしいれる証書を、その規定もろともぬり消し、これを取り除いて、十字架につけてしまわれた。 」(コロサイ2:14) 「なぜなら、キリスト・イエスにあるいのちの御霊の法則は、罪と死との法則からあなたを解放したからである。 」(ローマ8:2)

主イエスが十字架で肉体を裂かれ、血潮を流されたのは、「…死の力を持つ者、すなわち悪魔を、ご自分の死によって滅ぼし、死の恐怖のために一生涯、奴隷となっていた者たちを、解き放つためである。」(ヘブル2:14-15)


もしもキリストの十字架の贖いを信じるならば、私たちは罪の奴隷、死の恐怖のために奴隷となる道から解放されます。その中には、当然ですが、借金のかたに売り飛ばされるような人生からも解放されることが含まれます。列王記下第四章に、 やもめとなり、負債をかかえた女性が、預言者エリシャのもとへ行き、彼の奇跡によって助けられ、器に注いで得た油によって、負債を全額返済できただけでな く、残りの生活も保障されたというくだりがありますが、ここでのエリシャはキリストのひな型です。女性には、もはや借金はなく、健やかな自立があります。 これがいのちの御霊の法則です。

たとえあなたが今現在、どれほどの負債を負っていたとしても、主イエスを堅く信じて、その信仰にとどまるならば、主はそれを合法的に完済する方法を、必 ず、備えて下さいます。なぜなら、カルバリの十字架で、あなたの債務証書は、主イエスによって破棄されたからです。主イエスのカルバリの勝利を信じて、自 分に適用するなら、あなたはこれ以上、罪と死の法則に縛られた負債者として生きる理由がないのです。たとえ目に見える負債が残っていても、霊的にはすでに その返済は終わっていることを信じるべきです。主イエスのカルバリの勝利を、信仰によって、我が家の経済にも、適用すべきです。このように、十字架の解放 を、個人は信仰によって、霊的にも、経済的にも、あらゆる面で、適用すべきです。

もう一度言いますが、霊的に債務証書が無効にされたことは、あなたの経済をも、自由にすることをよく覚えていて下さい。あなたの主人は今やはっきりと交替したのです。これまで、「全世界は悪しき者の配下にあ」り(Ⅰヨハネ5:19)、その悪しき主人のもとで、あなたはただ生きるためだけに、並大抵でない努力を重ねて来たかも知れません。この主人はラバンよりもひどく、あなたを騙しました。あなたは働いても、働いても、夢を裏切られ、ついにまともな仕事さえ奪われて、負債のみが残されたかもしれません。

しかし、キリストの十字架の贖いを信じたあなたは、もはやこの世に対してはりつけにされて死んでおり、「神は、わたしたちをやみの力から救い出して、その愛する御子の支配下に移して下さった」(コロサイ1:13)のです。あなたは今、御子イエスの支配下にいるのであって、かつての悪なる主人は、もはや、あなたに対して何の権利も持たないのです。「神から生れたかたが彼を守っていて下さるので、悪しき者が手を触れるようなことはない」(Ⅰヨハネ5:18)のです。

ですから、今やあなたを生かす責任を負っているのは神ご自身です。主イエスは言われました、「わたしがきたのは、羊に命を得させ、豊かに得させるためである。」(ヨハネ10:10)。主イエスを信じる者は、万物を造られた方の、死をも打ち破ったまことの命を得ます。それが私たちの死ぬべき身体を生かすことができないはずがありません。主イエスを信じるならば、神はあなたにこの先、必ず、健やかに自立して生きる道を備えて下さいます。

しかし、このことは私たちが決して、この先、経済的に追い詰められることはないとか、苦難に出会うことはないという意味ではありません。ただ私たちは目に 見える状況がどんなであれ、主が私たちを養って下さり、主以外の全ての縄目から自由にして下さり、自立を保って下さることを信じる必要があります。神があ なたを養う義務を負っておられることを、祈りによって、絶えず神に思い出していただきましょう。十字架は全てを貫きます。主はあなたの必要をご存知です。「主は霊である。そして、主の霊のあるところには、自由がある。 」(Ⅱコリント3:17)と神はおっしゃって下さっています。経済的独立がなくて、どんな自由があなたにありうるでしょうか? もしも経済は別だと考えるならば、キリストの十字架の御業は、あなたにとって、空論となってしまうでしょう。
 

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ひとこと

神である主、イスラエルの聖なる方は、こう仰せられる。「立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る。」(イザヤ30:15)

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