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私ではなくキリストⅣ

「私は、神に生きるために、律法によって律法に死にました。私はキリストと共に十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。」(ガラテヤ2:19-20)

キリストの愛のうちにとどまりなさい

こ れまで、オースチンスパークス著のベタニヤを幾たびか引用して来ました。そこで、教会(エクレシア)が形成されるためには、まず、会衆一人ひとりが、心に 主を受け入れ、主を尊重すること、そして、彼ら一人ひとりが、御言葉に耳を傾け続け、聞いた御言葉に、しっかりとどまり続けることが必要であると学びまし た。

ここで、一言、余計なことかも知れませんが、警告したいと思います。私たちは、礼拝形式にこだわる人々の、むなしい善悪の議論を避けるべきです。ある人々 は、このベタニヤに関する文章を読んでも、それを礼拝形式に関する争いごとの材料にすり変えようとします。彼らは御霊から直接、御言葉を教わり、御言葉に とどまることの重要性を少しも学ぼうとせず、ただ四六時中、どの礼拝形式、どの集会の形式が正しいのか、という、むなしい善悪の議論に明け暮れているので す。そして、結局、自分たちの礼拝こそが、他の兄弟姉妹の礼拝よりも、正しいと結論づけて、他の兄弟姉妹の交わりを罪定めし、互いにかみ合い、憎みあって いるのです。

キリスト教界であれ、他の宗派であれ、自分たちに属さない他の兄弟姉妹の交わりや礼拝を、ひっきりなしに罪定めし、否定することは、どんなに正当に見える 理由があろうとも、魂を暗闇に陥れる、むなしい党派心から出てきた、肉的な争いです。ある人々は、他のクリスチャンが善悪の議論に落ち込んでいることを指 摘しながらも、病的なほどにひっきりなしに他者を罪定めすることによって、自分自身も同じように、善悪の議論に落ち込んでいることに、少しも気づいていま せん。そのような無益な言葉の争いに巻き込まれてはなりません。

御言葉は言います、「あなたがたの中の戦いや争いは、いったい、どこから起るのか。それはほかではない。あなたがたの肢体の中で相戦う欲情からではないか。」(ヤコブ4:1)

私たちは、主によって召された会衆であって、何が神の御心を満足させるのかを、第一に考えます。キリスト教界であれ、どのような団体に所属していようと、 どのような礼拝形式を持っていようと、他の兄弟姉妹の交わりを絶えず否定し、罪定めし、戦いを挑むことは、主に仕え、兄弟姉妹に仕える私たちの目的とは何 の関係もありません。

『神を愛している』と言いながら兄弟を憎む者は、偽り者である。現に見ている兄弟を愛さない者は、目に見えない神を愛することはできない。 」(Ⅰヨハネ4:20)

御言葉ははっきりとこう告げています。どんな団体に属していようとも、同じように一つの御霊によって生まれ、キリストの身体として一つにさ れ、主を信じている兄弟姉妹を愛そうとせずに、絶えず言いがかりをつける人の内には、神を愛する愛はないのです。もちろんのこと、私たちはそのような思い を抱いていないはずです。しかし、そのような思いが、外から、何かのきっかけをとらえて、私たちの心に侵入しようとする危険性がないとは言えません。その 時、むなしい善悪の議論に注意を逸らされて、兄弟姉妹への憎しみを心に燃やす結果にならないよう気をつけましょう。なぜなら、聖書にはこう書いてあるから です。

「『光の中にいる』と言いながら、その兄弟を憎む者は、今なお、やみの中にいるのである。」(Ⅰヨハネ2:9)
「あなたがたが知っているとおり、すべて兄弟を憎む者は人殺しであり、人殺しはすべて、そのうちに永遠のいのちをとどめてはいない。」(Ⅰヨハネ3:15)


後者の御言葉を、特に心に留めて下さい。兄弟を憎む者は(本質的に)人殺しであると、御言葉は告げているのです。これは非常に強い警告の言葉です。憎しみを捨て去ることのできない人は、霊的にはすでに殺人者同然なのであり、必ずや、実生活において、本当に殺人者としての正体を現すであろうことを理解できます。

気をつけるがよい。もし互にかみ合い、食い合っているなら、あなたがたは互に滅ぼされてしまうだろう。 」(ガラテヤ5:15)

私たちは誰でも、憎しみのあるところには争いが生まれ、争いのあるところには災いがあることを知っています。ある信者の周りに、異常に不幸 な事件が多発し、多くの病や死があり、家庭が不幸であるのを見れば、私たちは、その人の信仰に、何か決定的な障害があり、その人が心のうちに、人知れぬ暗 闇を隠していることを、察知できます。気をつけて下さい、もしも、同じ主を信じる兄弟姉妹に対して、絶え間なく、言葉の争いを仕かけ、憎しみや妬みを抱 き、互いにかみ合い、食い合う人がいるならば、その人は、自らの心に暗闇を増殖させることになり、あらゆる災いを我が身に招くのです。そして、ついに真理 を見失い、次のような者にさえ等しくなるでしょう。

あなたがたは自分の父、すなわち、悪魔から出てきた者であって、その父の欲望どおりを行おうと思っている彼は初めから、人殺しであって、真理に立つ者ではない。彼のうちには真理がないからである。彼が偽りを言うとき、いつも自分の本音をはいているのである。彼は偽り者であり、偽りの父であるからだ。 」(ヨハネ 8:44)

私たちは光の子とされたのですから、主の御名によって、このような暗闇の人生を歩むことを、断固、拒否しようではありませんか。それは私た ちの当然の権利です。私たちは、兄弟姉妹として、互いに愛し合うよう、主によって召されました。ですから、私たちは、兄弟姉妹への憎しみを拒否して、この 愛の内にとどまります。主にあって、私たちは全ての憎しみ、軽蔑、悪口、争いと無縁であり、全ての人と平和に過ごす権利がすでに与えられています。この権 利を信仰によって、日々、行使しましょう。地上に落ち度のない人間は一人もいませんが、私たちは互いに赦し合い、忍び合うよう命じられています。「憎しみは、争いを起し、愛はすべてのとがをおおう」(箴言10:12)とある通りです。

さらに、私たちは高慢を警戒します。なぜなら、高慢さはサタンの最も主要な特徴であり、「高慢になって、悪魔と同じ審判を受けるかも知れない」(Ⅰテモテ3:6)ことは、私たちに対する警告でもあるからです。

私たちには、見下げたり、憎んだりしてよい兄弟姉妹は一人もいません、全ての兄弟姉妹のためにとりなして祈るべきと御言葉は教えています、「絶えず祈と願いをし、どんな時でも御霊によって祈り、そのために目をさましてうむことがなく、すべての聖徒のために祈りつづけなさい。」(エペソ6:18)。

「わたしたちは、神がわたしたちに対して持っておられる愛を知り、かつ信じている。神は愛である。愛のうちにいる者は、神におり、神も彼にいます。」(Ⅰヨハネ4:16)

私たちは、神の愛のうちにとどまります。神の愛は、私たちの天然の魂の愛のように、自分の気分の向いた時に、自分の好きな人だけを愛するという、勝手気ま まな愛ではありません。神の愛は、私たちが愛するに値しない者であった時に愛し、罪人だった時に、私たちを救い、清めて下さいました。この愛によって、私 たちは永遠の命をいただきました。私たちは、自分の狭い、邪悪な心を神に明け渡し、子羊の血潮によって、汚れた良心を清めていただき、ただ神の清い愛に よって、心を満たされ、人知を超えた神の愛を通して、兄弟姉妹を愛することができるよう、祈り求めます。

「信心に兄弟愛を、兄弟愛に愛を加えなさい。 」(Ⅱペトロ 1:7)
「あなたがたは、真理に従うことによって、たましいをきよめ、偽りのない兄弟愛をいだくに至ったのであるから、互に心から熱く愛し合いなさい。」(Ⅰペテロ 1:22)
「あなたがたは皆、心をひとつにし、同情し合い、兄弟愛をもち、あわれみ深くあり、謙虚でありなさい。」(Ⅰペテロ3:8)

「…あなたがたは、神に選ばれた者、聖なる、愛されている者であるから、あわれみの心、慈愛、謙そん、柔和、寛容を身に着けなさい。互に忍びあい、もし互 に責むべきことがあれば、ゆるし合いなさい。主もあなたをゆるして下さったのだから、そのように、あなたがたもゆるし合いなさい。これらいっさいのものの 上に、愛を加えなさい。愛は、すべてを完全に結ぶ帯である。キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。あなたがた召されて一体となった のは、このためでもある。」(コロサイ3:12-15)


愛する主よ、私たちの知らないところで、もしも私たちが誰かから呪いを受けるようなことがあったならば、どうか御子のカルバリの勝利によっ て、今ここで、その呪いを完全に打ち砕いて下さい。私たちはキリストと共に十字架につけられ、この世に対して死に、この世も私に対して死にました。ですか ら、この世は私たちに対して何の力も持たないのです。悪しき諸々の霊は、私たちに触れることはできません。主イエスの御名により、今、兄弟を憎む心や、赦 さない心、罪定めする心、高慢な心、その他、悪しき諸々の霊とその全ての影響力が、私たちから完全に離れ去るよう命じます。彼らには、私たちの心に全く触 れる権利がありません。どうか主よ、御子の尊い血潮によって、私たちの霊、魂、身体の全てを清めて下さり、全ての悪しき霊の影響から守って下さい。神の命 なる御霊の中に私たちを完全に浸し、聖別して下さい。そして、私たちに霊を見分ける目を開いて下さい。

今日、私たちは、神の御心を満足させるイチジクの家の会衆として、御言葉の内にとどまります。私たち会衆が常に追い求めているのは、ただ主の御言葉にとど まることです。互いに愛し合いなさいと、主が私たちに言われたのですから、それを主が、私たちの内で可能として下さることを信じます。この御言葉を妨げよ うとするものが心にあれば、主にあって、放棄することを告白します。兄弟姉妹を切に愛することを、追い求めて来なかった私たちの罪をお赦し下さい。どうか 御霊によって、主が私たちの内にキリストの愛を示して下さり、キリストの愛を溢れさせて下さるよう願い求めます。

主よ、今一度、求めます、もしも私たちの魂に、傷ついた道や、隠れた暗闇があるならば、主よ、どうか、今、それを示して下さい。私たちはその暗闇を手放 し、愛する主ご自身に心を全く明け渡します。主がその傷ついた場所を愛によって包み、覆って下さり、私たちを全ての罪過ちから血潮によって清めて下さり、 かつて暗闇であった全ての場所を、光によって占めて下さいますように。暗闇は私たちの心に何の足場も持ち得ません。私たちはただキリストの愛に自分の心を 明け渡します。

「永遠の聖霊によって、ご自身を傷なき者として神にささげられたキリストの血は、なおさら、わたしたちの良心をきよめて死んだわざを取り除き、生ける神に仕える者としないであろうか。 」(ヘブル9:14)

また人知をはるかに越えたキリストの愛を知って、神に満ちているもののすべてをもって、あなたがたが満たされるように、と祈る。 」(エペソ3:19)

「わたしは確信する。死も生も、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、力あるものも、高いものも深いものも、その他どんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスにおける神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのである。」(ローマ8:38-39)

 

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神である主、イスラエルの聖なる方は、こう仰せられる。「立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る。」(イザヤ30:15)

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