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私ではなくキリストⅣ

「私は、神に生きるために、律法によって律法に死にました。私はキリストと共に十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。」(ガラテヤ2:19-20)

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その聖なるすまいにおられる神は

「わたしはあなたがたを捨てて孤児とはしない。」(ヨハネ14:18)
と言われる主。

主を知る前には、たった一人きりで、苦難の中に取り残されることが、幾たびもありましたが、今は弱さを覚え、失敗したと思う瞬間にさえも、主は決して、私を一人で見捨てられないことを痛感させられています。

このことは、自分を心配してくれる者の乏しい環境に生きて来た私にとって、どんなにか大きな恵みであり、喜びでしょうか! 私の不信仰をどんなに教えてく れる、嬉しい証拠でしょうか! しかし、これは、私の功績では全くありませんし、誰かそばにいる人を誇っているわけでもありません。ただキリストの復活の 命だけが、時にかなって、私に必要な助けや支えを全て供給してくれるのです。

主はまことのぶどうの木です。今日を生きるに必要な全ての栄養は、ただキリストから来ます。時には、朝を迎えると、今日を生きるに必要な勇気が全く足りな いように思われる時があります。しかし、主の御名を誉めたたえます! 主に感謝を捧げます! イエス・キリストは昨日も今日も変わりません。私を守って下 さる方は、「その聖なるすまいにおられる神は みなしごの父、やもめの保護者」(詩篇68:5)と言われるお方。この天の父なる神様に、今日、生きるに必要な全ての力と勇気を求めます。
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ひとこと

神である主、イスラエルの聖なる方は、こう仰せられる。「立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る。」(イザヤ30:15)

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