忍者ブログ

私ではなくキリストⅣ

「私は、神に生きるために、律法によって律法に死にました。私はキリストと共に十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。」(ガラテヤ2:19-20)

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

主の愛をいつまでも歌い続けよう

友と一緒に歩いた海。「後のものを忘れ、前のものに向かって」(ピリピ3:13)、ひたすら身を伸ばそうと、共に決意したその日。どんな先人の言葉にすがるよりも、ただ、御言葉に帰ろうと約束したその日。互いの無礼と誤解を赦し合ったその日。イサクの神が、私たちを心の底から大笑いさせて下さったその日。

このことは書くまいと思っていた。だが、この出来事を思い出すだに、心に不思議な愛と感動がこみ上げて来てならない。自然と、涙と笑顔が生まれ、主の栄光を証せずにはいられない!

ああ、私たちの主は、何と素晴らしいお方だろう。何と恵みと憐れみに満ちておられるのだろう。一人ひとりのキリスト者を、私たちの隣人を、何と愛してやま ないお方なのだろう。どうしてこんな私が、主の御名によって集まる二、三人の愛のうちに加わっているのだろうか。まだ見ぬ者をさえ巻き込んでいる、この一 致の喜びは何なのだろうか。それはただ主の憐れみと愛ゆえなのだ。

主の愛に触れる時、私の冷え切った心に、初めて、隣人への愛が生まれる。その愛は私を除外しない。むしろ、その愛は、この低いところにいる私へ向かって も、ひたすら流れて来る。主は、打ち捨てられた私の悲しみや孤独をも理解し、日々、疲れ切っている私のために、こまやかに行き届いた配慮を示して下さる。

主を誉めよ! 主を賛美せよ! 主の栄光を誉めたたえよ! どんな出来事をも、主は、主を待ち望む者のためには、益と変えて下さる。私たちの失敗や、つま ずきや、悲しみや、涙や、恥でさえも、私たちが心の底から、神に従いたいと願って、主に叫び求め、己の罪を悔い、御言葉のうちにとどまるならば、全てを神 の栄光になるように、変えて下さる

「神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。」(ローマ8:28)


本当は、煙るような霧雨が降っていて、美しい海の青色は見えなかった。だが、ほんの少し色彩を加えると、こんなにも色合いが違って見える。忘れまい、主の 恵みを。いつまでも歌い続けよう、主の愛の広さ、深さを。私たちが罪人であった時に、十字架で命を捨てて下さった、主のはかりしれない愛を誉めたたえ、こ の愛のうちにとどまろう。

PR

ひとこと

神である主、イスラエルの聖なる方は、こう仰せられる。「立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る。」(イザヤ30:15)

ヴィオロンのブログ

最新記事

アーカイブ

ブログ内検索

カテゴリー