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私ではなくキリストⅣ

「私は、神に生きるために、律法によって律法に死にました。私はキリストと共に十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。」(ガラテヤ2:19-20)

わが望みただ主にあり

真実 めぐみ満ち
永遠(とわ)の 平和の君
主の主 頼る方

御名呼ばん 何度も
御名呼ばん 何度も

堅固な岩 やぐら
倒れし 我 ささえ
嵐の海にて わが錨
望み ただ主にあり


心地よい陽だまりの中、どこまでも続く海辺の砂浜に寝そべって、心にあることを何一つ隠し立てなく語り合うような、友との甘く麗しい交わり。主の御名の中にある、知られない二、三人の交わり。

私の避難所は主であるが、主の御名によって、私が避難することのできる友をも、主は与えて下さった。どんな悲しい出来事も、この交わりの後には、痕跡をと どめない。喜びだけでなく、どんな出来事をも、率直に語ることができる友を、主は与えて下さった。私の心の隅々を、慰めで満たし、全ての干からびた溝を潤 してくれるこの交わりの後には、ただ主への愛、聖徒たちへの愛だけが心に残る。

神の愛は、たんぽぽの綿毛が風に飛ぶように移動し、砕かれた人の心を住処として、そこに定着する。それは知らないうちに、私の心の中に芽を出し、葉を広 げ、嵐や、冷たい風にも耐えながら、昼も夜も、休みなく生長する。それは二度と倒れることがないほど、私の心に深く根を張る。暖かい日が差すと、喜びに顔 を上げて、枝を張り、優しい木陰を作りながら、徐々に背丈を伸ばしていく。

今、私には、いかなる組織や団体や建物の枠組みにも注目しようという気がない。目に見える枠組み、そして人の栄光が集まる場所は、この先、より一層、深い闇に包まれていくだけであろうという気がしてならない。そんな枠組みに注目して論じ合って何の益があろう。

振り返ると、全ての時にかなって、主はふさわしい助け手を、天的な御身体の豊かさの中から、私に与えて下さった。それはいかなる地上的な枠組みにもとらわ れず、ただキリストの御名によってのみ、私に遣わされた人々であった。だから、私のよりすがるものは、この先も、主の御名だけである。

主が信仰を通して、私に個人的に与えて下さった交わりの恵みは、最近、つとに深く感じられる。だが、今はその誰をも、心の中で握りしめようとは思わない。 主は多くの人を私に送られたが、多くの人を去らせもなさった。それでも、これだけはと思う、とても大切な、宝のような、取って置きの人々を、主は私のため に、人知れぬ場所に、こっそりと残しておいて下さった…。

今はただ、言い知れない、尽きることのない、海のような主の愛の中で、私は愛する人々と共に喜び、憩う。どこへ向かうとも知れない、信仰の小船に乗って、 今、私は前よりも一層、安息のうちに枕している…。嵐の時には、御名を呼ぶ、主が私の錨であり、私の避け所、私の望みなのだ。
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ひとこと

神である主、イスラエルの聖なる方は、こう仰せられる。「立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る。」(イザヤ30:15)

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