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私ではなくキリストⅣ

「私は、神に生きるために、律法によって律法に死にました。私はキリストと共に十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。」(ガラテヤ2:19-20)

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何事も思い煩ってはならない

「何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。 」(ピリピ4:6)

主にある私の大切な姉妹へ

主の御業は本当に素晴らしいです。何事も思い煩ってはならない、という言葉の意味を、昨日ほど、思い知らされた日は、ないかも知れません。昨日は、私に とって、かなり不運な一日だったのです。予定していた行事は台無しになり、重要な連絡は通じず、誤解や行き違いも生まれ、機械は壊れ、私の心は穏やかでな く、ブログを書いている意味をも、改めて、問われました。

私は心細く、弱気になると、すぐに愚痴と泣き言を並べそうになります、そんな時には、とうに終わったはずの事件まで持ち出しては、自分を憐れんだりしそう になります。私は孤独にめっぽう弱く、追いつめられることに弱いのです。ところが、そんな時、主を呼ぶと、主の御働きは、実に早いのですよ。

こうしてブログを書いていることの意味が一つあります。それは、全世界の前で、主が私を守られ、支えられる方であることを、はっきり証できるということで す。主は決して、ご自分の御名によって約束された事柄が、踏みにじられたり、失敗に終わったりするのをお許しになりません。御名の誇りにかけて、私を守っ て下さり、かばって下さるのです。

主は昨日、私の求めに応じて下さり、すぐに、私の人生に起こる、行き違いや、失敗のように見えることでさえ、愛に満ちたご計画の中で、どんなに必要な出来事であるかということを、知らせて下さいました。

全ての出来事に意味があり、たとえ御身体の建造が遅れているように見える時でさえも、主の御手は私たちの上に置かれ、主は私たちと共にあられることを教え て下さいました。ですから、私たちは、この望みの確信を捨ててはならないのだと。思い煩うことなく、困った時には、ただ心の願いを、率直に主に申し上げれ ば良いのです。主は必ず応えて下さいます。その意味が、こんなにも明らかに、分かった以上、この先は、たとえ不運が重なっても、今までのように落ち込むこ とはもうできません。

「家はすべて、だれかによって造られるものであるが、すべてのものを造られたかたは、神である。<…>キリ ストは御子として、神の家を治めるのに忠実であられたのである。もしわたしたちが、望みの確信と誇とを最後までしっかりと持ち続けるなら、わたしたちは神 の家なのである。」(ヘブル3:4,6)

主が御業を始められたら、本当に速いのですね。誰にも止められないほどの勢いなのです。私が思い煩っても、一体、何になるでしょう。御身体 は確実に建造されています! 私たちはもう神の家の中に置かれてしまっているのです! 私たちは確実に結び合わされています! 聖徒たちと私とは、永遠に 一つであり、地上では、このつながりはまだ小さくて、弱くて、揺るがされやすいかも知れませんが、それでも、私は生ける石として、他の聖徒たちと共に霊の 家に築き上げられており、一人にされることは、もはや決してないのです! あなた方はもう孤児ではない、神の家族なのであると、主は教えて下さっているの です。

ハレルヤ! 何という大きな喜び、何という大きな安心でしょうか。全ての出来事の中で、全ての道で、主を認めることができるとは…。ですから、この先、ど んなに心の負担となるような出来事が起こっても、決して、今までのように思い煩ったり、取り乱したり、感傷的になって涙を流したり、過去を振り返って自分 を憐れんだりすまいと思います。ただ、神を信頼して、望みを捨てず、キリストの誇りを捨てず、いつも喜んでいたいと、心から思います。

何と感謝なことでしょう、全ての道において、主が私と共にいて下さると、分かったとは。主が結び合わせて下さった聖徒たちとの絆が、こんなにも強く、恵みに満ちていると、分かったとは。我が愛する栄光の主の御名を誉めたたえます。

あなたの妹ビオラより
 

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ひとこと

神である主、イスラエルの聖なる方は、こう仰せられる。「立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る。」(イザヤ30:15)

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