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私ではなくキリストⅣ

「私は、神に生きるために、律法によって律法に死にました。私はキリストと共に十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。」(ガラテヤ2:19-20)

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キリストの愛のうちにいなさい

「あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたにとどまっているならば、なんでも望むものを求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう。あなたがたが実を豊かに結び、そしてわたしの弟子となるならば、それによって、わたしの父は栄光をお受けになるであろう

父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛したのである。わたしの愛のうちにいなさいもしわたしのいましめを守るならば、あなたがたはわたしの愛のうちにおるのである。それはわたしがわたしの父のいましめを守ったので、その愛のうちにおるのと同じである。

わたしがこれらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたのうちにも宿るため、また、あなたがたの喜びが満ちあふれるためである。
わたしのいましめは、これである。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない。あなたがたにわたしが命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。」(ヨハネ15:7-14)

 
人間同士の愛には、永遠ということは決してない。

それは信者の間であっても、同じである。

この世でも、愛し合うことを誓った恋人同士でも、思いがけない別離に至ることがあるように、信者同士の連帯も、脆く、壊れやすいものでしかない。たとえ信仰を持っていたとしても、目に見える被造物としての人間の心に、永遠の関係性は生じ得ない。

だとすれば、神が「互いに愛し合いなさい」と命じておられるその愛は、どのようにして信者の内に維持されるのであろうか?

それは人間同士の感情的な連帯を意味しない。必ずしも、何かの行為によって他者への愛情を表現しなければならない、といったことを意味しない。それは霊における他者への曇りのない、自由かつ、善良な思いなのではないかと筆者は思う。行動によって表されるよりも前に、まず霊からすべてが始まらねばならないのである。

そして、他者に対するそのようにこだわりのない、屈託のない、自由で、朗らかで、善良な思いは、キリストにある愛の只中からしか生まれて来ることはない。

まずキリストの愛とは何かを自分自身で知らなければ、神がどのような愛によって信者が互いに愛し合うべきと教えているのかも分からないであろう。

「人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない」と主イエスは言われた。

主イエスが命を捨てて下さったことにより、すべてが「達成された」、そこから信者の生活が始まる。

この世の人々は、愛というものを、何か欠けたものを補う手段のように考えているであろう。この世における愛とは、孤独を癒すため、欠乏を補うため、困っている他者を助けるため・・・

しかし、キリストにある愛は、そのような目的のためのものではない。それはキリストにあってすべてが達成されたということが事実であることを信じ、それが他人にも成就することを願い、信じる気持ちと言っても良いかも知れない。

現状は、そこからはほど遠いものと見えるであろう。世には混乱が満ち、人々の心は険悪になり、信者でさえ、互いに相争い、キリストの似姿からはほど遠い姿しか、見えて来るものはないかも知れない。

だが、信仰にあっては、神は人間にとって必要なすべてのことを成就されたのであり、それを信じる者はこの世においても実際とする力を持っているのである。そのことが、自分だけでなく、他者の身にも成就し、信じる者たちが、神の御心を実際として生きることができるように、ただひたすらそのことを願い続け、そのために必要な措置を講じて行くことが、互いに愛し合うという戒めの意味ではないかと筆者は考えている。

いずれにしても、その愛は、対人間の関係から引き出されるものではなく、キリストに直結し、キリストご自身からいただくのでなければ、得られないものである。そうして、キリストから分与されたものを、信者が互いに分かち合うのである。信者同士の関係は、そのようでなければならず、それは人情や、人の思惑や、人間の必要性によって信者が連帯することとは全く異なる。いかに人間的に正しいことを教え合い、いかに互助的なサークルを作っても、キリストから分与された成分によって信者がつながるのでなければ、すべては無意味である。
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ひとこと

神である主、イスラエルの聖なる方は、こう仰せられる。「立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る。」(イザヤ30:15)

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