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私ではなくキリストⅣ

「私は、神に生きるために、律法によって律法に死にました。私はキリストと共に十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。」(ガラテヤ2:19-20)

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私の杯――十字架の閉じ込め(2)

シベリアの強制収容所での彼女の思い出の中には、しばしば、私が涙せずにいられない場面がありました。圧倒的な孤独と迫害の中で、益田さんがただ主を見上げるその姿勢の貴さ、彼女の心に溢れる人への優しさ、迫害する者への赦し、神への愛と信仰は、私の胸を打ちました。

しかし、本を読み終えた後で、改めて、一つの疑問が残りました。それは、彼女が帰国してから後の、日本での生活をどのように暮らしたのかが、ほとんどと 言っていいほど、手記の中で触れられていなかった点です。帰国してから、彼女は信仰の証として日本人のクリスチャンたちにソ連での体験を語りました。が、 それが当時の聴衆ににどのように受け入れられ、どのような反響を呼び起こし、どのような実を結んだのか、その具体的な成果は、どちらかと言えば悲しい短い 数行の他には、ほとんど触れられていません。

それは自らの行いの実を決して誇るまいとする彼女の謙虚な姿勢だけが原因だったのでしょうか? 当時、日本は高度経済成長期へと向かっていました。暗い敗 戦の思い出などさっさと忘れ、ひたすら輝かしい経済発展のことだけを考えたいという方向に人の心は向いていたのではないかと危ぶまれるのです。そんな中 で、彼女の証の言葉は、社会にどう響いたのでしょうか。人々は好奇心ではなく、真理を求める思いから、このような話に好んで耳を傾けたでしょうか。…その 点で、この書への献辞の言葉がどれほど力強くとも、著者は同国人の魂との接触の中で、言い表すことのできない孤独や悲しみを胸に秘めていたのではないか、 と、私は想像せざるを得ないのです。シベリア抑留者たちが、ソビエトであれほど思い焦がれた故国に戻った後に、必ずしも幸せな運命をたどらなかったことを 見ても、そのように想像してしまうのです。

異国人ゆえにラーゲリで味わったギャップと、帰国してから同国人との間に生まれたギャップ。益田泉さんにとって、ソビエトのラーゲリ生活は、まさに、主が 彼女に与えた十字架の閉じ込めだったでしょう。けれども、ひょっとして、彼女にとっての十字架の閉じ込めは、帰国してからも続き、あるいは帰国後の方がよ り強くなった時もあったかも知れないという懸念を、私は持たずにいられません。

良い印象だけが述べられている日本での彼女の生活に比べ(証にならないことは書くまいとの著者の強い決意からそうされたのだと思います)、つらいことばか りの、真っ暗闇のような、ソビエト強制収容所での彼女の生活が、なぜか光輝いて見えるのが、まことに不思議です。ソビエト・ロシアでの生活は、益田さんに とっては、苦しみと、悲しみと、孤独と、涙の連続でしたが、その苦しみの中にも、彼女は信仰に全生命を燃やしつくし、神への愛を燃やしつくして生きたのだ と、感じられました。 <つづく>
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ひとこと

神である主、イスラエルの聖なる方は、こう仰せられる。「立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る。」(イザヤ30:15)

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