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私ではなくキリストⅣ

「私は、神に生きるために、律法によって律法に死にました。私はキリストと共に十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。」(ガラテヤ2:19-20)

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キリストは私たちのために呪いとなって…

主にある一人の姉妹へ

コスモスが海のように満開です。駅に降り立つや否や、懐かしい空気が身体を包みました。やはり関東とは全く雰囲気が異なりますね。ある姉妹が私に送って下 さったメールに写っていたのと同じ、淡いピンクの花びらをしたコスモスがどこまでも咲いていて、とても美しい。遅れに遅れた夏休みを取り戻すべく、しばら く親族と共にゆっくり時を過ごします。

家に入るなり、愛犬が吼えること、吼えること。私はこの仔犬とは初対面なのです。でも、最初は噛みつきそうだった仔を、1時間もしないうちになつかせることが出来ましたよ。今ではもうべたべたに甘えてくれます。

懸案の事項については、あまり心配なさらないで下さい。公の場ではただ反対の声しか聞かれないかも知れませんが、それは表層なのです。非常に多くの方たちから励ましのお便りをいただいていますし、主ご自身が今、この件に御手を置いておられることを感じます。

何よりも驚くのは、このような否定的に見える事件を通して、今までつながることのできなかった兄弟姉妹との結びつきを主が与えて下さったことです。それは 公の場にあるのとは全く別の、見えない地下水脈のような流れです。今、主がこの件を通して、私ばかりか、他の兄弟姉妹の上にも、まさに何かをなさっておら れる…、そのことを確かに感じています。ですから、私達は世からどのような評価を得ようとも、ただ十字架に立ち、主の解決を信じて静かに待つだけです。

さて、今日は真実な信仰を持って生きているクリスチャンが、人に呪われることはないということについて書きます。主を信じる者たちは、いかなることが起こ ろうとも、キリストの十字架を通して、もはや、一切の呪いから解放されているからです。律法による呪いは神からの呪いであり、私達が受けられる最大の呪い です。私達は自分の罪のために、律法の下で呪いに服し、死の刑罰に服するしかない存在となりました。しかし、キリストは私達のために身代わりとして呪いと なって、木にかかられ、全ての呪いを引き受けて下さったのです。

「キリストは、わたしたちのためにのろいとなって、わたしたちを律法ののろいからあがない出して下さった。聖書に、『木にかけられる者は、すべてのろわれる』と書いてある。」(ガラテヤ3:13)

「彼を信じる者は、さばかれない。信じない者は、すでにさばかれている。神のひとり子の名を信じることをしないからである。 」(ヨハネ3:18)

キリストが私達の罪のために身代わりとなって、全ての罪と呪いと死の刑罰を引き受けて下さったことを信じるならば、私達は裁かれませんし、呪われませんし、二度と死の刑罰に定められることはありません。それは信じる者に無代価で与えられる恵みです。

しかし、もしキリストの罪の贖いを信じないなら、私達は呪いの下にあり、裁きの下にあるのです。なぜなら生まれながらの人の中で誰一人として自分の力で律法を守り通して義とされる人はいないからです。

「いったい、律法の行いによる者は、皆のろいの下にある。『律法の書に書いてあるいっさいのことを守らず、これを行わない者は、皆のろわれる』と書いてあるからである。」(ガラテヤ3:10)

私達は、木にかかって死んで下さったキリストを通して、すでにあらゆる呪いから救い出されていることを信じるでしょうか? 律法は依然としてあらゆる点で 私達の落ち度を叫び、私達を執拗に訴えるかも知れませんが、それに対し、私達は自分自身の何かによって応えず、キリストによって、子羊の血潮によって応え るでしょうか? 私達はただ子羊の購いの血潮によってのみ、全ての罪から救い出され、全ての訴えから救い出され、全ての呪いから救い出され、信仰によって 義とされるのです。

ですから、訴える者がやって来た時、私達が提示できるのは子羊の血潮だけです。自分自身の何かによって、人の前に、あるいは、神の御前に、最後までたちお おせる人は誰もいません。私達が神の御前に立つことができるのは、自分自身の正しさによってではなく、ただ私達を義とするために死んで下さった方の贖いに よるのであり、人類の罪のために永遠に流されている子羊の血潮によるのです。

「わたしたちは、こう思う。人が義とされるのは、律法の行いによるのではなく、信仰によるのである。」(ローマ3:28)

私達は弱く脆い器に過ぎません。しかし、私達が神を選んだのではなく、神が私達を選ばれたのです。そこに私達の希望があります。そして、自 分により頼むのではなく、キリストにより頼み、キリストの十字架の御業によって立たされていればこそ、私達は大胆にこう言うことができるのです。

「だれが、神の選ばれた者たちを訴えるのか。神は彼らを義とされるのである。」(ローマ8:33)

愛する姉妹、全ての問題に対し、主がどのような解決を与えて下さるのか、待ち望みます。おそらく、今回のことを通して、神は私たちの思いをはるかに越えたことをすでになしておられると思います。

私達は御子の贖いの御業によって自由とされたことを信じ、その自由をますます受け取って生きたいと願います。私は疲れを落とし、家族と共に我が家で平和な時を過ごしていますので、どうぞご心配なさらずに、そちらもお元気でお過ごし下さい。

あなたの姉妹ビオラより 




コメント

無題

おはようございます(*´∀`*)ゞ ビオラさん

今朝の目覚めはいかがですか?
コスモスの花にと共に、姉妹を思いながらコメントを書いています。今日も姉妹の内を主にある平安と喜びで溢れさせてくださいますように!

>主ご自身が今、この件に御手を置いておられることを感じます。

アーメン!そのように確信が与えられていることが、何よりの喜びです。
昨日も主にある姉妹と共に、ビオラ姉妹を深く思いながら、祈りを捧げてきました。

遠く離れている時でさえ、主は一つの御体の中につなげてくださっていることを心から感謝しています。

そして何よりも、主にあって苦難が溢れているように、慰めも溢れていることを思うのです。

主の慰めを知るという幸いな恵みが注がれていることを、姉妹の言葉を通して思わされています。

>私達は弱く脆い器に過ぎません。しかし、私達が神を選んだのではなく、神が私達を選ばれたのです。そこに私達の希望があります。そして、自分に より頼むのではなく、キリストにより頼み、キリストの十字架の御業によって立たされていればこそ、私達は大胆にこう言うことができるのです

アーメン、アーメン!

とても励まされました。ありがとう。

私たちは主の中で生き、動き、存在している確信の中で、全てのことが導かれてゆきますように!
今日も祈ります。

さて、今日は透析です。時間と共にだるさの中に沈む時、その弱さの中で主を思い、そして主にある姉妹を思います。
一番弱い時にこそ、主が近くにいてくださることを知る、今日も主だけが高くあがめられますように!
【2010/10/11 07:56】 NAME[candy] WEBLINK[] EDIT[〼]

Re:無題

おはようございます、candyさん!

メールだけでなく、こうしてブログを介してもお話できること感謝です。
田舎の目覚めは、空気も良いし、最高ですよ~!
もうお出かけになられた頃ですね。

candyさんと姉妹の透析が主によって守られ、今日がお二方にとって良い日となるようお祈りしています。

>遠く離れている時でさえ、主は一つの御体の中につなげてくださっていることを心から感謝しています。

こちらこそ感謝です。ある姉妹を通してcandyさんと出会えた幸いを、今朝も思いめぐらしていました。私一人では到底切り抜けられかったであろ う様々な苦難を共にうめき、共に苦しみつつ、乗り越える姉妹をお与え下さった主に、心から感謝を捧げます。そして今、姉妹のみならず、会うことの出来ない 色々な方たちとの御身体の一つを知らせて下さっている主に・・・。

>そして何よりも、主にあって苦難が溢れているように、慰めも溢れていることを思うのです。
>主の慰めを知るという幸いな恵みが注がれていることを、姉妹の言葉を通して思わされています。

はい、その通りです。苦難の最中にある時にはただうめくことしかできませんが、それでも同時に深い慰めも与えられていること、随所で感じさせられています。

>一番弱い時にこそ、主が近くにいてくださることを知る、今日も主だけが高くあがめられますように!

アーメン、その通りですね! 私達はただ喜んで弱くされ、低められていきましょう! ただ主だけが栄光をお受けになられますように!
【2010/10/11 10:35】

励まされました!

感謝します。姉妹たちがすでに勝利していることが分かりました。子羊の血により頼んでおられるからです。自分の正しさに立つ者はついに神の前に立ちおおせません。血に立つ者と自分の義に立つ者、いずれその差は明らかになるでしょうね。
【2010/10/11 08:44】 NAME[名も無き者] WEBLINK[] EDIT[〼]

Re:励まされました!

名も無き者さん

こちらこそ励まされました。いただいたコメント、主の恵みとして感謝です。

>自分の正しさに立つ者はついに神の前に立ちおおせません。血に立つ者と自分の義に立つ者、いずれその差は明らかになるでしょうね。

おっしゃる通りです。子羊の血によって洗われた義の衣を着せられる者はまことに幸いです。キリストの御身体として共に歩んでいきましょうね!
【2010/10/11 10:40】

平安

姉妹の上にはいつも平安がありますことを嬉しく思います。
ビオラさんがおっしゃるように、主が最もよい解決に導いて下さる事を、私も信じております。
このような心痛む出来事が二度と起こらないよう、願っています。
【2010/10/11 15:11】 NAME[爽] WEBLINK[] EDIT[〼]

Re:平安

爽さん、

感謝です。まだ少しの間、試練はあるでしょう。自分の終わりが近いと知って訴える者がより一層、激しい怒りを燃やすかも知れませんから。

けれども、私達は恐れません。なぜなら私達の立脚点は、キリストが十字架で取られた永遠の勝利だからです。カルバリでは戦いはすでに終わっているのです。

「…神はあなたがたをキリストと共に生かし、わたしたちのいっさいの罪をゆるしてくださった。神は、わたしたちを責めて不利におとしいれる証書 を、その規定もろともぬり消し、これを取り除いて、十字架につけてしまわれた。そして、もろもろの支配と権威との武装を解除し、キリストにあって凱旋し、 彼らをその行列に加えて、さらし者にされたのである。」(コロサイ2:13-15)

これがキリストにあっての私達の勝利です。訴える者はすでに敗北しているのです。私達は信仰を通して、この事実がどのようにこの地で実際となるの かを今、見守っています。ですから、おっしゃる通り、どのような事態が持ち上がろうとも、ただ主を信じて平安のうちに落ち着いていましょうね。

パウロとシルワノとテモテに心を合わせて祈ります。

「どうか、平和の神ご自身が、あなたがたを全くきよめて下さるように。また、あなたがたの霊と心とからだとを完全に守って、わたしたちの主イエ ス・キリストの来臨のときに、責められるところのない者にして下さるように。あなたがたを召されたかたは真実であられるから、このことをして下さるであろ う。
兄弟達よ。わたしたちのためにも、祈ってほしい。」(Ⅰテサロニケ5:23-25)
【2010/10/11 19:47】
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神である主、イスラエルの聖なる方は、こう仰せられる。「立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る。」(イザヤ30:15)

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