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私ではなくキリストⅣ

「私は、神に生きるために、律法によって律法に死にました。私はキリストと共に十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。」(ガラテヤ2:19-20)

旅の思い出

ふるさとに帰郷して、主の御業の素晴らしさを改めて知った。主が我が家に打ちたてて下さった十字架がどれほどゆるぎないものであったかを感じさせられたのだ。

「わたしはあなたがたを捨てて孤児とはしない。あなたがたのところに帰って来る。」(ヨハネ14:18)

そう言われた主イエスは、ご自身が私たちの居場所となって下さった。彼は上げられた十字架のもとに私たちを引き寄せて下さり、永遠に朽ちない御国を私たちの住まいとして下さった。

だが、地上では寄留者に過ぎない私を、ふるさとが迎える。色づいた稲穂が私を迎え、父母、祖父母が喜んで私を迎える。何というはかり知れない幸いだろうか。


「おおよそ、わたしの名のために、家、兄弟、姉妹、父、母、子、もしくは畑を捨てた者は、その幾倍もを受け、また永遠の生命を受けつぐであろう。」(マタイ19:29)

かつて洗礼を受けたいと、涙して父母に告げた子供の頃から、今に至るまで、私はどれほどのものを失って来ただろうか。主イエスを信じた幼い頃から、両親の愛はおろか、家庭的な平和も崩れ去り、しかも、不信仰に逸れた時には、人生をまるごと焼き尽くされた。

だが、主のために失ったはずのものが、十字架を経由して、皆、向こうから手を携えて戻ってくるのを私は見た。まるで放蕩息子の帰りを待ち受けていた父親が、両手を広げて我が子に駆け寄るように…。

私はただ信じられない思いで、主の采配の素晴らしさに圧倒されて息を飲む。ああ、私はもはや孤児ではないのだ! 御言葉は本当だったのだ! 主の御名を経 由して、血潮を経由して、十字架を経由して、失った何もかもが幾倍にもなって、何倍にも素晴らしくなって、向こうから駆け戻って来るのを私は見たのだ!

「涙をもって種まく者は、喜びの声をもって刈り取る。種を携え、涙を流して出て行く者は、束を携え、喜びの声をあげて帰ってくるであろう。」(詩篇126:5-6)

一体、この喜びは何だろう。これを何と形容したら良いのか分からない。未だに信じがたいとしか言えないのだ。これがキリストと共に統治するということの意 味なのだろうか。私たちの苦しみのうめきの中から、私たちの自己の裂け目から、信仰を通して、キリストのまことの命が川のように流れ出す。御国の統治が、 私たちの命そのもの、存在そのものを通して、私たちの思いや意志をはるかに越えて、この地上に及んでいく。キリストの見えない命が人々の心に触れ、この地 に流し出されていく…。

「しかし、わたしが神の霊によって悪霊を追い出しているのなら、神の国はすでにあなたがたのところにきたのである。」(マタイ18:28)

御国とは、霊的な領域であり、そこにはキリストの排他的統治権が及んでいる。御国の統治が及ぶところでは、キリストに属さない者、御霊によって生まれてい ない者、汚れた霊は活動することができない。アダムの罪のために地は悪しき者の所有となった。しかし、神は十字架を通して、信じる者を御国にエクソダスさ せることに決められた。万物には滅びが定められている。だが御子を信じる者は滅びることはない。主イエスは言われた、彼が神の霊によって悪霊を追い出して いる以上、御国はすでに私たちの只中に来ているのだと。

「だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである。」(Ⅱコリント5:17)
 
御国の住人となった私たちは、今、御子の信仰によってこの肉体を生き、この地において、御子と共に統治する者となるよう、僕として任されている。アダムが 失敗してしまった任務を、愛する御子の支配下で、私たちは再び、実現するように任されたのだ…。私たちがどのくらい、キリストの統治をこの地にもたらすこ とができるのか、それは今はまだ分からない。今は一つのことが分かっている、主が私を捕らえて放さないのです!

もがきも、苦しみも、うめきも、古いものは全て過ぎ去り、キリストにあって、すべてが新しくなった。私たちは日々、キリストの十字架の死とよみがえりの命 を知ることを追い求めて生きている。この身体が贖われる時まで、苦しみのうめきは続くだろう、けれども、それは被造物全体のうめきでもあるのだ。

私たちは切なるうめきをもって、霊、魂、肉体のすべて、私たちの存在のすべての領域に渡り、十字架が実際として刻み込まれ、心の深みまで新たにされて、キ リストにある新創造として生きることを待ち望んでいる。どうか主がその十字架の御業を、私たちのうちで、日々、より確かなものとして下さいますように!  どうか主がその栄光に満ちた御業を私たちにより深く知らせて下さいますように!

全ての膝がかがめられ、ただ主だけが讃えられますように。主が我がためになして下さった全てのはかりしれない恵みのゆえに、畏れをもって主を礼拝します…。


コメント

喜びが爆発している朝です!

おはようございます!ビオラさんヽ(*´∀`*)ノ.+

喜びの朝、ただ姉妹の霊と共に主を褒め称えます!

>だが、主のために失ったはずのものが、十字架を経由して、皆、向こうから手を携えて戻ってくるのを私は見た。まるで放蕩息子の帰りを待ち受けていた父親が、両手を広げて我が子に駆け寄るように…。

あぁ、御言葉の真理の中に入れられてしまった恵みの大きさは、なんて素晴らしいのでしょう。御言葉の目撃者、いえ、証人とされるとはこのようなこ となのだと心から確信しています。私たちのうちには何もありませんが、ただ主の一方的な憐れみによって知ることの素晴らしさを!ハレルヤ!

エクソダス・・という言葉が何か人間的なことのレベルではなく、

>神は十字架を通して、信じる者を御国にエクソダスさせることに決められた

アーメン!アーメン!!

真理の内に生かされ自由なる者とされた!

まことのエクソダスとは、いのちなるお方と一つにされたことの実際にいよいよ増して移されてゆくことですね!

喜びが湧き上がってきてどうしたらしいかわからなくなるほどです!

ただ主がほめたたえられますように!
栄光は主のもの!ハレルヤ!

主の喜びにともに与るように召されたことを心から感謝いたします。

もっと書きたいのですけど・・そろそろ準備しなくてはいけません。

どんな時もキリストにあって一つとされていて、霊はいつでも主と共にいるように、姉妹と共にいます!

愛するビオラ姉妹へ+。:.゚ヽ(´∀`。)ノ゚.:。+゚
【2010/10/17 07:27】 NAME[candy] WEBLINK[] EDIT[〼]

Re:喜びが爆発している朝です!

おはようございます、candyさん!

日曜礼拝で家を空けていたので、コメントの公開が一日も遅れてしまってごめんなさいね。でもcandyさん、喜びは少しも冷めやらずですよ!

昨日はまさにN姉妹の洗礼の日でしたね! 心配していた雨も降らず、主が御霊により姉妹方に降り注ぐ恵みを届けて下さったことが、遠くにいても伝わってくるようでした。

いただいた写真は、これからぜひ記事にしようとしているところです。私の拙い筆でどのくらい表現できるか分かりませんが、足の不自由であった人が鹿のように飛び跳ねる場面を見るように、このバプテスマは全世界に語り告げたい思いです。

さらに、一連の苦しい事件が何のためであったのか、昨日大きな発見がありました。兄弟に送ったメールをあなたにも転送します。これは私の自己、私の魂のうちに潜む蟻塚が取り払われるために、ぜひとも必要な出会いだったのです。

>エクソダス・・という言葉が何か人間的なことのレベルではなく、
>真理の内に生かされ自由なる者とされた!
>まことのエクソダスとは、いのちなるお方と一つにされたことの実際にいよいよ増して移されてゆくことですね!

そうです、「キリスト教界からのエクソダス」というスローガンが、世間ではすっかり一人歩きして、意味が歪められ、誤解されている向きがあるようですが、

しかし、私たちにとっての真のエクソダスは、組織から組織への脱出とは何の関係もないのです。この世からこの世へエクソダスしたって、はっきり 言ってそんなのはまるきり無意味なのです。私たちのエクソダスは、ただキリストの十字架により、この世に死んで、この古き命に死んで、神のまことの命なる 霊の中へ、御国の中へ、愛する御子の支配の中へと移し出されることなのです。

つまり、善悪の路線から、罪と死の法則から、十字架を通して解放されて、命の御霊の法則の中へ、真理の自由の中へと移し出されること、それが真のエクソダスの意味です。

ああ、その時、悪しき者は私たちにもう手を触れることができません! 私たちの霊の命と平安を取り去るものは何もありません! 悲しみも痛みも苦しみも過ぎ去るのです。闇は光に打ち勝たなかった! キリストの来られるところには、邪悪な一切の支配が存在し得ないのです。

この世にある限り、私たちには確かに悩みがありますが、しかし、来たるべき栄光の自由の前味として、私たちはこの地上にある間にも、キリストの支 配の自由と解放を、実際に生きて味わう幸いを許されているのですよ! 私たちはこのとてつもない特権をもっと信じて行使すべきなのです。

その時、私たちの周りにあるもの全てが、私たちを通してまことのいのちなるお方に触れるのです。クリスチャンとは本来、そのような人たちであるはずです! 生ける水の川々が腹から溢れ流れ出す、どうか主が私たちにそれを実際とし、見せて下さいますように!

>喜びが湧き上がってきてどうしたらしいかわからなくなるほどです!
>ただ主がほめたたえられますように!
>栄光は主のもの!ハレルヤ!

そうです、ハレルヤ! 全ての栄光は主のもの! 私が受けたすべてのものもただ主のものです! この先、闇がどんなに深くなろうとも、この土の器 の中にいただくキリストの輝く命のともし火が、より一層、燃え立たせられ、暗闇を貫いて輝き渡るものとなりますように! 主よ、来たりませ! 主の栄光の 御名を誉め讃えます。

candyさんの今日を、主が共にいて守って下さいますように。
          あなたの姉妹ビオラより
【2010/10/18 06:47】
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神である主、イスラエルの聖なる方は、こう仰せられる。「立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る。」(イザヤ30:15)

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