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私ではなくキリストⅣ

「私は、神に生きるために、律法によって律法に死にました。私はキリストと共に十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。」(ガラテヤ2:19-20)

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世に勝つ者は誰か

「自分の命を愛する者はそれを失い、この世で自分の命を憎む者は、それを保って永遠の命に至るであろう。」(ヨハネ12:15)
世に勝つ者はだれか。イエスを神の子と信じる者ではないか。」(Ⅰヨハネ5:5)

ただ嬉しかった…。

一日のほとんどを勤務に奪われ、以前のように御言葉を自由に思いめぐらすこともできなくなり、兄弟姉妹に連絡することも、記事を思うように書くこともできなくなった。

グノーシスの研究に期待しているとの言葉を読者からいただいても、研究を進める時間がない。その上、兄弟姉妹からも引き離されてしまったかのようで心寂し かった。職が与えられた喜びも束の間、閉ざされた環境で、四六時中、業務用のスクリプトとにらめっこしながら、人生がむなしく終わっていってしまうのだろ うか…、という不安が心にやって来ることもあった。

だが、今日はそんな愚かしい寂しさが吹き飛ぶほどまでに、主が私たちの思いをはるかに超えたことをなしておられると確信することが出来た。神の国、キリス トのまことの命による統治についてのメッセージを聴いたのだ。これから先、命をかけて御国の福音を宣べ伝え、御国の法則性の中に生きることの必要性が兄弟 姉妹の間で語られたのだ。

このようなテーマについて聴ける日をどれほど待ち望んで来ただろう。世においても、キリスト教界においても、激しい試練に幾度も直面してきたまさに私たち のこの世代の中から、来るべき火のように激しい試練の日に、キリストにある勝利者として立ちおおせるために、覚悟の出来た証人たちが起こされることを、ど れほど待ち望んで来ただろう。その証人たちがすでに起こされていることを目の当たりにして、また、励まし合うことができて、ただ感無量であった。

私の身に起こったことを見ていただいても分かるように、私たち信仰者は今、御言葉をめぐって、激しい戦いの中に置かれている。聖徒たちは望むと望まざると に関わらず、キリストの主権を代表する者として、真理と虚偽との激しい霊的戦いの中に、すなわち、命なるキリストの統治する神の国と、闇の世の主権者の支 配するこの世との間での激しいせめぎあいの中に置かれている。

私たちはどちらの側に立つのか? むろん、私たちは御言葉に立ち、キリストの霊なる命の支配に立つ。どのように偽りによって圧迫されようとも、ただカルバリに立って、子羊の血とキリストの勝利を証する真理の言葉をともし火のように掲げ続ける。

恐らく世はこの先、ますます混乱を極めるであろう。雇用情勢も悪化しているし、金融危機の到来も危惧されている。目に見える世界には、人を不安に陥れる材料が満ち溢れている。私たちも状況によって追い詰められ、悩み、苦しむことがあるかも知れない。

だが、主は私たちに平安を約束して下さった。
「これらのことをあなたがたに話したのは、わたしにあって平安を得るためである。あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている」(ヨハネ16:33)と。

私たちの内におられる方は、この世に打ち勝った方である。この命なるお方に対して、世は何もすることができない。主イエスは言われた、「わたしはもはや、あなたがたに、多くを語るまい。この世の君が来るからである。だが、彼はわたしに対して、なんの力もない。」(ヨハネ14:30) 「今はこの世がさばかれる時である。今こそこの世の君は追い出されるであろう。」(ヨハネ12:31) 

ハレルヤ! 御言葉は明らかにしている、御子を信じる者たちは、もはや、この世の暗闇の支配下に置かれる理由がないと。「神は、わたしたちをやみの力から救い出して、その愛する御子の支配下に移して下さった。」(コロサイ1:13)
 キリストの十字架を通して、私たちはこの世に対して死に、この世も私たちに対して死んだ。私たちは愛する御子の支配の下に、御国のキリストの統治の中にすでに引き入れられた。御国は私たちの只中に来ている。

サタンの足がかりとなる私たちの肉も、魂の命も、キリストと共に永遠にはりつけにされて絶えず死に渡されている。私たちは今、肉体の中で生きているこの命を、私を愛し、私のためにご自身を与えて下さった神の御子の信仰によって生きているのだ。

この先、御言葉を曲げ、十字架を否定し、真理の証の言葉を除き去ろうとするこの世の怒号がどれほど大きくなろうとも、私たちはただカルバリに立って、主の 勝利を宣言し続けたい。たとえ私たち自身の罪や、私たち自身の肉がどれほど私たちを脅かすことがあったとしても、私たちは自分の冠を投げ捨てて、我が内に おられる栄光の望みであるお方を信じ続ける。私たちは十字架を通して闇の世から、愛する御子の支配へと連れ出された。世からの脅かしに対して、これ以上敗 退しなければならない理由はない。

「わたしがきたのは、羊に命を得させ、豊かに得させるためである。」(ヨハネ10:10)

「女が子を産む場合には、その時がきたというので、不安を感じる。しかし、子を産んでしまえば、もはやその苦しみをおぼえてはいない。ひとりの人がこの世に生れた、という喜びがあるためである。」(ヨハネ16:21)

たとえ世がどれほどの暗闇に覆われようとも、どれほど不安材料が私たちの目の前に山積みされようとも、私たちがどれほど世から罪定めされ、圧迫されると も、主よ、私たちがただ血潮の中に立ち続けることができますように。十字架の死にとどまり続けることができますように。その時、世は私たちに全く手を触れ ることができないのです。その時、人知を超えた喜びと平安が私たちの心の内にとどまるのです。

そして、キリストがご自分の肉体を裂いて、私たちにお与え下さったまことの命の豊かさを、どうか私たちがこの地上にあって、十分に味わい知ることができま すように。私たちを通して、御国が地上になりますように。私たちを通して、人々がこの命なるお方に触れますように。目に見える状況がどうあろうとも、全て の全てであられる方が我が内にいて下さり、知恵となり、力となり、勝ち得て余りある命となって下さっていることを信じます…。
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神である主、イスラエルの聖なる方は、こう仰せられる。「立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る。」(イザヤ30:15)

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