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私ではなくキリストⅣ

「私は、神に生きるために、律法によって律法に死にました。私はキリストと共に十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。」(ガラテヤ2:19-20)

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ただ子羊の血に頼る

今日は会社の都合で休日となったので、午後はショッピングモールへ行き、買い物をして楽しんだ。季節の変わり目で、秋物がとても安くなっていた。それから、ゆっくりと休憩しながら、いつものようにメールを書き、ノートブックを広げて主に祈りを捧げた。

慣れない勤務で疲労が極致に達する中、心を圧迫する事件が相次ぎ、我が身の限界を思い知らされた。だが、そんな時、私にできることは、ただみじめで裸の貧 しい者として、主の御前に立ち、助けを願い求めることだけであった。どんなに自分が愚かであろうと、絶望的であろうと、自分の義を投げ捨て、ただキリスト の御血によって、御前に進み出ることだけであった…。

何も隠さず、正直に主の御前に真実を申し上げて助けを乞う。その時、魂には安らぎが与えられ、そして必要な助けも必ず与えられることを信じて疑わない…。

「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。 わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。わ たしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」(マタイ11:28-30)

我が救いの岩、隠れ家なる主よ、感謝します。どんな孤独の中でも、あなたが私を捨てず、しかも、時に応じて必要な助け手や、友をさえお与えて下さっている ことを…。そこにあなたの不思議な采配があることを思います。私に何の手柄もなく、私が塵灰に過ぎないことを思い知らされてうなだれている時に、むしろ、 あなたの御名は強く、あなたの御名は甘く、あなたの助けはまことに豊かなのです。ハレルヤ! 私は喜んで自分の冠を御前に投げ捨てます。ただまことの供給 者なるあなたの御手が、私を支えて下さっているのです!

我が栄光の望みは、我が内におられるキリスト、あなただけです。私はこの古き命に属するものが、全て十字架の死に渡されるべきことを知っています。自分の 命を拒んで、あなたの命に生きることを望みながら、私はうめき、葛藤しています。そのうめきの中で、心の喜びや、悲しみといった感情も頼りとせず、自分自 身や目に見える状況に頼らず、ただあなたのみを希望として生きることを学ばされているのです。

世が私の愚かさを笑い、私を罪定めするような時、私はより一層、自分に頼らず、内なるキリストにより頼みます。そして、どんなに私たちが貧しい者であって も、ただあなたの義に頼り、あなたが私たちの上により深く十字架を実際として下さることを信じ、私たちの只中から、あなたが力強く御業を始めてくださるこ とを信じて待ち望んでいます。 

我が望みは地上におけるエクレシアの拡大や、苦難や殉教といった、人の心を誘い、人の偉大さを謳う物語ではありません、私たちは目に見える現象ではなく、 見えないキリストご自身だけに望みを置きます。目に見える都ではなく、来たらんとする目に見えない都こそ私達の待ち望んでいるものです。

ハレルヤ! 主が十字架で私たちの罪の贖いとなられ、世に打ち勝ち、サタンに打ち勝ち、私たちの肉に打ち勝ち、私たちのアダムの命に打ち勝って下さったこ とを感謝します。このお方が、私たちの只中に命となって生きておられるがゆえに、私は助けを求めて走り回る必要から解放されていることを感謝します。

どうか私が窮乏によって心を圧迫される時にも、自分を振り返って、あなたが生きておられることを見ずに、自分の貧しさだけに目を留めることがありませんよ うに。どうか私を十字架から離れさせないで下さい、キリストを得て全てを得ているという事実に確信を持って立たせて下さい。

主よ、あなたが私の全ての全てとなられ、あなたが私の全てを得られて満足される日が来ますように。
あなたの流された血潮によりすがります。
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ひとこと

神である主、イスラエルの聖なる方は、こう仰せられる。「立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る。」(イザヤ30:15)

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