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私ではなくキリストⅣ

「私は、神に生きるために、律法によって律法に死にました。私はキリストと共に十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。」(ガラテヤ2:19-20)

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命の道と死の道


年が明けて仕事も始まりました。忙しい毎日の中、何かしら力強いいのちの力が内側から私を支えています。私はただ心の口をいっぱいに開けて主に期待してい ます。主は我が人生にこれからどんな恵みを下さるのでしょうか? 御父はどんなに大きな愛を私に知らせて下さるのでしょうか? 私はヤコブのように真剣に 主と交渉しています、我が主よ、「私はあなたを去らせません。私を祝福してくださらなければ。」(創世記32:26) 

主よ、御名の栄光を表して下さい、そうすれば、私は喜びましょう、御名の栄光を表して下さい、そうすれば、全地の被造物はあなたを礼拝し、誉めたたえるでしょう…。

「救いは、御座にある私たちの神にあり、小羊にある。」
「アーメン。賛美と栄光と知恵と感謝と誉れと力と勢いが、永遠に私たちの神にあるように。アーメン。」(黙示7:10,12)


しかし、今年は全体としては、とても厳しいふるい分けの年となるものと予想しています。カインとアベルの相克がさらに明確になり、誰がいのちの道に立って おり、誰が死の道に立っているのか、その結ぶ実により、ますますはっきりと明らかになるでしょう。神の義ではなく、自己の義を選んだ人々には、神の裁きの 御手が置かれるでしょう。

神は正しい者が揺るがされるようなことを決してなさいません(詩篇55:22)。 しかし、正しい者とは誰でしょうか。それは自分の行いによって自分を義としようとする人々ではなく、ただ主イエスの血潮の中に身を避け、神の義によって義 とされる者のことです。人は尊い神の子羊の贖いの血潮によってのみ義とされ、主に身を避ける者は誰も罪に定められません。

「だれが、神の選ばれた者を訴えるのか。神は彼らを義とされるのである。だれが、わたしたちを罪に定めるのか。キリスト・イエスは死んで、否、よみがえって、神の右に座し、また、わたしたちのためにとりなして下さるのである。」(ローマ8:33-34)

今、キリスト教界では、ますます主イエスの十字架が語られなくなっているばかりか、子羊の血潮という言葉さえも聞かれなくなっています。これは恐ろしいことです。

昨年と一昨年を通して、クリスチャンと称する大勢の人々が自ら十字架を否定し、血潮を踏みにじり、偽証により無実の聖徒たちを告発し、自己を神とする偽り の福音へと逸れて行きました。その上、義人を罪に定め、血潮を否定する者たちを、他の人々が擁護し、彼らも共に罪にあずかりました。

しかし、私たちは血潮を否定することの恐ろしさを知らなければなりません。他人の罪に共にあずかってはなりません(Ⅰテモテ5:22)。主イエスの十字架は神のご計画の中心をなしており、それを退けては私たちにいかなる救いもなく、子羊の血潮を他にして、私たちを義とし、私たちを神の御怒りから救うものは何もないのです。

「もし私たちが、真理の知識を受けて後、ことさらに罪を犯し続けるならば、罪のためのいけにえは、もはや残 されていません。ただ、さばきと、逆らう人たちを焼き尽くす激しい火とを、恐れながら待つよりほかはないのです。だれでもモーセの律法を無視する者は、 二、三の証人のことばに基づいて、あわれみを受けることなく死刑に処せられます。

まして神の御子を踏みつけ、自分を聖なるものとした契約の血を汚れたものとみなし、恵みの御霊を侮るものは、どんなに重い処罰に値するか、考えてみなさい。私たちは、『復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする。』、また、『主がその民をさばかれる。』と言われる方を知っています生ける神の手の中に陥ることは恐ろしいことです。」(ヘブル10:26-31)


ですから、私たちは決して、このような文脈で生ける神の御手に陥る者となってはいけません。主イエスの血による契約を踏みにじって、自ら神に敵したり、神 に敵対する者の罪に加担すべきではありません。主イエスは、この世の終わりには、収穫の時がやって来て、遣わされた御使いたちが、人々を束のようにしてよ り集め、役に立たないものを全て炉の中に投げ入れると言われましたが、この刈り入れはさまざまな点で、すでに始まっているように思われます。

「…毒麦が集められて火で焼かれるように、この世の終わりにもそのようになります。人の子はその御使いたちを遣わします。彼らは、つまずきを与える者や不法を行なう者たちをみな、御国から取り集めて、火の燃える炉に投げ込みます彼らはそこで泣いて歯ぎしりするのです

そのとき、正しい者たちは、天の父の御国で太陽のように輝きます。耳のある者は聞きなさい。」(マタイ13:40-43)


終わりの時代には、いのちの道を選んだ者と、死の道を選んだ者の違いは、極端なまでに明確な人生の結末となって現われるものと思います。悪しき者はますま す悪くなり、正しい者はいよいよ正しくなり、持っている者はますます豊かになり、持たない者はますます乏しくなるでしょう。

「この書の預言のことばを封じてはいけない。時が近づいているからである。不正を行なう者はますます不正を行ない、汚れた者はますます汚れを行ないなさい。正しい者はいよいよ正しいことを行ない、聖徒はいよいよ聖なるものとされなさい。」

「見よ。わたしはすぐに来る。わたしはそれぞれのしわざに応じて報いるために、わたしの報いを携えてくる。<…>自分の着物を洗って、いのちの木の実を食べる権利を与えられ、門を取って都にはいれるようになる者は、幸いである
犬ども、魔術を行なう者、不品行の者、人殺し、偶像を拝む者、好んで偽りを行なう者はみな、外に出される。」(黙示22:10-15)


すでに刈り入れは始まっています! 私たちは都に入って、幸いな者と呼ばれるのでしょうか。それとも外の暗闇に追い出されて、泣き叫ぶのでしょうか。血潮 にて罪を洗われ、キリストの十字架の死を通って、いのちに至る人々は幸いです。彼らは主と共に食事を楽しみ、ますます健やかにされ、自由にされるでしょ う。主イエス自らが給仕する姿を取って、たとえ敵前であっても、私たちのために食卓を整えて、豊かにもてなして下さるでしょう。

しかし、子羊の血潮に身を避けず、アダムの命を擁護し、自己の義により頼んで生きる全ての人々の上には、神の御怒りがとどまるでしょう。その人生は、神の 焼き尽くす火によって焼き尽くされて荒廃し、その上、エジプト人に下ったような災いがその人生にふりかかるかも知れません。

「御子を信じる者は永遠のいのちを持つが、御子に聞き従わない者は、いのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。」(ヨハネ3:36)

「隠れているもので、あらわにならぬものはなく、秘密にされているもので、知られず、また現われないものはありません。だから、聞き方に注意しなさい。というのは、持っている人は、さらに与えられ、持たない人は、持っていると思っているものまで取り上げられるからです。」(ルカ8:17-18)

私たちの目の前にはいつでも、いのちと死、祝福と呪いとの二 つの道が置かれています。選択はそれぞれに委ねられています、キリストを選ぶのか、それともセルフを選ぶのか、キリストのよみがえりの命に生きるのか、そ れとも生まれながらのアダムの命に生きるのか、神の義により頼んで生きるのか、それとも、自己の義により頼んで生きるのか…。

両者の間には、主イエスの十字架という、信仰によらずしては超えることのできない隔てが永遠に横たわっています。もしも主イエスの血による契約を退けるな らば、私たちにいのちはありません。子羊の血によらずして、キリストのよみがえりの命に達することのできる人はいません。


私は、きょう、あなたがたに対して天と地とを、証人に立てる。私は、いのちと死、祝福とのろいを、あなたの前に置く。あなたはいのちを選びなさい。あなたもあなたの子孫も生き、あなたの神、主を愛し、御声に聞き従い、主にすがるためだ。

確かに主はあなたのいのちでありあなたは主が、あなたの先祖、アブラハム、イサク、ヤコブに与えると誓われた地で、長く生きて住む。」(申命記30:15-20)


「あなたは、この民に言え。主はこう仰せられる。『見よ。わたしはあなたがたの前に、いのちの道と死の道を置く。 この町にとどまる者は、剣とききんんと疫病によって死ぬが、出て、あなたがたを囲んでいるカルデヤ人にくだる者は、生きて、そのいのちは彼の分捕り物とな る。なぜならわたしは、幸いのためにではなく、わざわいのためにこの町から顔をそむけるからである。――主の御告げ。――この町は、バビロンの王の手に渡 され、彼はこれを火で焼くであろう。』」(エレミヤ21:8-10)

主が私たちの命なのです。子羊の贖いの血以外に私たちを義とするものはありません。それなのに、人間の行いによる義をひたすら積み重ねて、 天(神の義)にまで届こうとする偽りの福音を説いている場所からは、早急にエクソダスすべきです。艱難辛苦を背負い、自己犠牲の道を歩むことによって、自 分で自分を救済しようとする偽りの十字架(いわゆる「クルシチャン」の人生)を信徒に負わせる場所からは早急に遠ざかるべきです。

人が自分で自分を義としようと努力することは、人の目には正しそうに見えるかもしれませんが、それは実際には「死に至る道」(箴言14:12)であり、それは神の知恵に逆らって、人が罪という、自分では返しきれない負債を自ら返済しようと、先祖たちも負いきれなかったくびき(ルカ11:46,使徒15:10)を再び自分の首にかけて自分を滅ぼすことに他なりません。

キリストの十字架のゆえに、私たちは罪と死の法則から解放され、命の御霊の法則の中に導き入れられたのです。サタンは依然として、自己犠牲、艱難辛苦その 他の偽りの十字架を持ち出し、私たちが自力で自分に死ぬようにとそそのかしたり、もしくは知恵を積み、数え切れない善行を行なうことによって義とされる道 を目指すように勧めるかも知れませんが、キリストの真実な十字架は、私たちが彼の死と共にアダムの命に対してすでに死んだこと、それにより、私たちが罪と死の法則からすでに自由とされたことを啓示します。

信仰によって、私たちの古き人がすでに主と共に十字架につけられて死んだという事実を信じ、受け入れるならば、私たちはキリストのまことのよみがえりのい のちによって生かされ、しかも、そのいのちを豊かに受け取って生きることができます。それが神が私たちに望んでおられることなのです。(福音はこのように 極めてシンプルであり、私たちの難行苦行を必要としません。)

「わたしたちは、この事を知っている。わたしたちの内の古き人はキリストと共に十字架につけられた。それは、この罪のからだが滅び、わたしたちがもはや、罪の奴隷となることがないためである。 」(ローマ6:6)

あなたがたはすでに死んでおり、あなたがたのいのちは、キリストとともに、神のうちに隠されてあるからです。私たちのいのちであるキリストが現れると、そのときあなたがたも、キリストとともに、栄光のうちに現れます。」(コロサイ3:3-4)


「わたしは門です。だれでも、わたしを通ってはいるなら、救われます。また安らかに出入りし、牧草を見つけます。盗人が来るのは、ただ盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするだけのためです。わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。」(ヨハネ10:9-10)

私たちは門なるキリストを通って、牧草地に導かれ、そこで安らかに生き、いのちを味わい、楽しむように召されています。私たちはもはや死の恐怖の奴隷の子ではなく、上なるエルサレム、すなわち命の自由(エクレシア)の子です。ですから、御霊の思いである「命と平安」(ローマ8:6)のうちにとどまり、「神の豊かな知恵」(エペソ3:10)が、私たちの存在を通して世に証しされる事を願い求めようではありませんか。私たちはこの地上にあって、キリストのまことのいのちの健やかさ、力強さ、自由さを存分に味わい知り、いのちの言葉を堅く保って、闇の世に光として輝くことを願おうではありませんか。

「義人の道は、あけぼのの光のようだ。
いよいよ輝きを増して真昼となる。
悪者の道は暗やみのようだ。
彼らは何につまずくかを知らない。」(箴言4:18-19)


キリストの十字架により自由とされた者たちが、またも、もろもろの霊力に縛られて、奴隷の子に逆戻りし、負わなくて良いくびきを身につけて、苦しみや束縛 に満ちた不自由な人生を送るべきではありません。人間の作った数々の規定に縛られて、自己の義を積み重ねて神の義に達しようという、見込みのない努力に逆 戻るべきではありません。

今年は私たちにとって真に過越が必要な年となるように思います。主よ、主よ、と御名を呼び、多くの力ある業を行い、うわべは敬虔そうに振舞っていたとして も、自己の義により頼んで生きている人々は、試練の時にふるい分けられ、ひどく打ち倒され、主によってあなたたちを知らないと言われ、炉に投げ入れられ て、人生を焼き尽くされてしまうでしょう。恐らく、一人ひとりが何により頼んで生きているのかが、公に試され、露にされるのではないかと思います。

血潮によってその衣を洗われ、いのちの木の実を食べる権利を与えられ、門を通って都に入り、主と共に食卓に着く者は幸いです。神の武具を身につけ、邪悪な日にあっても、子羊の血と真理のあかしの言葉に堅くとどまり、敵のあらゆる偽りに打ち勝つ者は幸いです。

「わたしは、愛する者をしかったり、懲らしめたりする。だから、熱心になって、悔い改めなさい。見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼ととともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。

勝利を得る者を、わたしとともにわたしの座に着かせよう。それは、わたしが勝利を得て、わたしの父とともに父の御座についたのと同じである。」(黙示3:19-21)
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