忍者ブログ

私ではなくキリストⅣ

「私は、神に生きるために、律法によって律法に死にました。私はキリストと共に十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。」(ガラテヤ2:19-20)

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

カルト被害者救済活動の暴走~アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団による魔女狩りとしての鳴尾教会への恫喝訴訟とAG信徒による他教会の乗っ取り~

カルト被害者救済活動の暴走

~アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団による魔女狩りとしての
鳴尾教会への恫喝訴訟と、AG信徒による他教会の乗っ取り事件~
 
1.アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団による教団を離脱した鳴尾教会に対する恫喝訴訟
2.カルト被害者救済活動はなぜ危険性なのか
3.カルト被害者救済活動の暴走の結果としての魔女狩り的な異端審問
4.アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団による恫喝訴訟に負けなかった鳴尾教会の再生
5.アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団信徒による他教会(KFC)乗っ取り事件




1.アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団による教団を離脱した鳴尾教会に対する制裁としての恫喝訴訟

 
以下に提示する文化庁の議事録は、鳴尾キリスト福音教会がアッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団を離脱して、単立化する手続きを取ったことに対する教団側からの異議申し立てに基づき、文化庁が手続きの適正さについて審査したものである。

この争いを分かりやすく説明するならば、フランスでは教団そのものがすでに準カルトとして危険視されているアッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団(以下略してAG教団とする)が、教団を離脱しようとして正当な手続きを取った鳴尾教会に対して、「教団財産の持ち逃げ」や「教会の乗っ取り」などと主張して、恫喝裁判のふっかけや、文化庁への異議申し立てを含め、あらゆる方法で教団からの離脱を阻止しようと試み、また恫喝裁判によって疲弊させることで、離脱した教会へ制裁を加えようとしたということである。

だが、結論から言えば、文化庁は教団側の主張を全面的に退け、異議申し立てを完全に棄却した。

文化庁第159回宗教法人審議会議事録
文化庁第160回宗教法人審議会議事録
文化庁第163回宗教法人審議会議事録
宗務時報No.115 ~日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団による鳴尾キリスト福音教会の教団離脱手続きに対する異議申し立て棄却の記録~

 

教団はこの教会に徹底的に攻撃をしかけたが、教会の離脱を阻止することもできず、教会を潰すこともできなかった。この争いがどのような経緯をたどり、教団が敗北して行ったのかは、この他、ブログ鳴尾キリスト福音教会から皆様への中でも詳細に説明されている。

このように教団を離脱した鳴尾教会に対して徹底的な制裁を加えたAG教団の中でも、特にこの動きを主導したのが、同教会とも関わりの深かったアッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団京都教会の村上密牧師であった。

(カルト被害者救済活動を主導するプロテスタントの牧師 写真の出典:村上密Blog

鳴尾教会は、かつて、村上密牧師の義理の父にあたる津村昭二郎牧師が牧会していたが、津村氏による会計管理の不透明さ、および、津村牧師による後継者となるはずであった伝道師夫妻への嫌がらせなどの疑惑が持ち上がり、これが信徒側から追求され、津村牧師が教会を去るという事件が起きた。この時、教団側はこれを不正事件として追求しようとはせず、津村牧師の引退をもって幕引きを図った経緯がある。(この件について私は別途、「カルト監視機構という名の秘密警察」の中で教会に配布された資料を提示した。)

村上密牧師はこうして信徒からの追求により退陣に追い込まれた津村牧師の娘婿である。そしてこの鳴尾教会は当時から教団の対応に納得できていなかったが、新しい牧師夫妻のもとでついにAG教団そのものから離脱することを決めた。この手続きを不服として、村上密牧師が率先して、これを「異端思想にかぶれた牧師夫妻による教会の乗っ取り」や、「教会財産の持ち逃げ」などと盛んにネガティヴ・キャンペーンを張って、教会の教団からの離脱を非難し、阻止しようと試みたのである。

 

2.カルト被害者救済活動はなぜ危険性なのか

 

この村上密牧師はすでに述べて来たように、「カルト被害者救済活動」を主導する牧師でもある。これは呼び名を変えれば、異端思想撲滅運動とも言えるものであり、村上氏は自身も統一教会からの脱会者であるが、統一教会からの他の信者の脱会を手助けし、プロテスタントの教会で不祥事が起きた際には、率先してマスコミに資料等を提示し、弁護士と共にTVに出演するなどし、カルトの専門家を名乗って精力的に活動を繰り広げている。キリスト教牧師としての地道な伝道活動よりも、カルトとの戦いの方が同氏の本業であると言っても良い。

だが、同牧師の展開する「カルト被害者救済活動」が極めて危険なものであることについては、私は幾度もブログで指摘してきた。詳細は繰り返さないが、それはこの活動がもともと非聖書的であり、何らクリスチャンの信仰や救いとは関係がないばかりか、特に、村上牧師の提唱する「カルト監視機構」などは、魔女狩りのような異端撲滅運動へとつながっていきかねない恐ろしさを秘めた危険な非聖書的アイディアだと考えたためである。

(統一教会出身の村上密牧師の主張するカルト被害者救済活動が、統一教会と深い関わりのある安倍首相が現在推し進めている安保法制などの諸々の政治的主張と極めてよく似た危険な構造を持っていることや、村上氏と安倍氏がネットユーザーを駆使して、反対者を次々弾圧し、異論を封じ込めて行った手法にも共通性があることについては、「外側からの改革か、それとも内側からの改革か」に詳しく書いたので、こちらを参照されたい。 )

プロテスタント教界はもともとカトリックから分離して成立したという経緯もあり、現在も互いに対立しあう様々な教団教派が混在している。俗に言う聖霊派と福音派の違いだけを取っても、信者同士が喧々諤々の議論を繰り広げて互いを異端扱いし、排除しあっているのが現状である。こんな風にもともと多重分裂的な土壌、相互理解の極めて困難な土壌を有していながら、教団教派の壁を越えて、プロテスタントに統一的な見解を打ち立てて、異端を取り締まるのは極めて難しく、ほとんど不可能であると言って良い。エキュメニズム等、超教派的な運動が唱えられたこともあったが、それさえ盛り上がらず、成果の程も全く不明である。果たして、そのような統一見解や相互理解がプロテスタントの教界に本当に必要なのかどうか、そこからすでに議論が必要であろう。それぞれの教会に独自性があるのは当然であり、自治も必要なのだから、無理な統一や取り締まりの必要などないという考え方が優勢ではないかと思われる。

もちろん、教理に関する議論は大いに行われて良いと思うし、私自身も、異端の思想に対する警戒は常に必要だと考えているので、ネットで議論が行われることに反対ではない。だが、こうした自由な議論と、権力による上からの異端思想の弾圧という問題は全く別物である。

仮にプロテスタント教界の牧師の中から、誰か一人が率先して異端思想の取り締まりに名乗りを上げたからと言って、その牧師が本当に他の牧師たちを監視し、その思想を取り締まるような権限を帯びるべきだろうか。誰が彼にそんな役職を任命するのか。平時でさえ互いに理解しえない複雑な教理的な壁を超えて、異端を取り締まるためにプロテスタント教界の誰か特定の牧師が統一見解を打ち出し、彼がそれによって他の牧師に対して指導的な権限を帯びて実際に取り締まりを行い、教会の内政に干渉して行くことが望ましいのだろうか。そのようなことを許せば、やがてはその特定の牧師がプロテスタント教界全体の見解を代表するかのごとく振る舞い、自らに反対する者をことごとく異端者として取り締まる独裁者になることになるのは目に見えているのではないか。従って、カルトと闘うという名目で、もしそのような異端審問のような取り締まりが本当に行われれば、教会は異端撲滅という名目で、魔女狩りが横行する場所となり、恐怖政治に至るに違いない。私はそう考えて早くからこの活動の暴走の危険性について警告して来た。

実際に、「カルト被害者救済活動」はまさしく私の危惧していた通りの経過を辿ったのである。村上密牧師は親切で優しそうな表情とは裏腹に、異論をかたくなに排除しようとする考えの持ち主であるらしい。異端との戦いを提唱しているうちに、同氏は自分を正義の味方と考え、自分の見解にそぐわない信者や、自分や教団の路線から公然と離反する信者に対しては、次々とブログ等において「異端者」であるなどのレッテルを貼って糾弾するようになって行った。しかも、自身のブログだけでそれを行うのではなく、「随想 吉祥寺の森から」を執筆していた杉本徳久氏など、すでにプロテスタントとは何の関係もなく、AG教団とも村上密氏とも公式に何ら関わりを持たない私人のブログ等を使って、自らの意にそぐわない牧師や信者に対するネガティヴ・キャンペーンを報道させて、反対者を孤立に追い込んで行ったのである。

村上密氏はこうしてあたかも彼だけは決して間違わない正統な信仰を持っており、他の牧師や信徒の内心を指導する権限があり、彼に反対する信者はすべて異端者であるかのような思い込みに陥ったものと見られる。プロテスタントの教会の誰ひとりとして彼を公式に異端思想の取り締まりに任命したわけでなく、カルト監視機構が設立されたわけでもないのに、村上氏は自分こそ異端審問官であるかのように振る舞い、他の信者や教会の弾圧へと積極的に乗り出して行ったのである。こうして予想通り、「カルト被害者救済活動」は暴走し、村上氏やAG教団によって彼らに反対する者たちの「魔女狩り」が行われたのであり、鳴尾教会もその不当な弾圧の対象となった。

 

3.カルト被害者救済活動の暴走の結果としての魔女狩り的な異端審問

 

村上密牧師のブログを見るならば、鳴尾教会が教団から離脱したことを非難するために、同牧師が「教会の乗っ取り」や「牧師夫妻の異端思想」といった疑惑を向けていたことがわかる。

村上密氏のブログには、今も異端の疑惑について書かれている。だが当時、積極的にこれに同調していた杉本徳久氏は、その後、裁判等で同教団の主張が次々と覆されるに連れて、次第に記事内容をトーンダウンし、大幅に書き換えて行った。初めにセンセーショナルに騒ぎ立てておいて、後で都合が悪くなると、記事を書き換えるのである。

「カルト被害者救済活動」の暴走をたとえるのに、「魔女狩り」という言葉ほどふさわしいものはない。というのも、自らを神の代弁者であるがごとくに正しいと思いあがった男性たちが、特に弱い立場にある女性信徒に向けてあらぬ憎しみを燃やし、いわれなき非難をかぶせることにより、特別な執拗さをもって女性を迫害していった経緯が伺えるからである。異端審問の暴走の結果としての「魔女狩り」の様相は、中世も現代も全く同じだと言える。

杉本氏は以下の記事においても、AG教団を離脱しようとした鳴尾教会の牧師のうち、特に女性牧師である山田晃美牧師に執拗な非難を向けている。あたかもこの教会が「道を踏み外した」のはこの女性牧師のためであり、彼女のために夫の牧師までが道を踏み外したのだと言わんばかりの調子である。

これらの思い込みの激しすぎる自負心の強い男性たちが、女性信徒や牧師に対して執拗に非難を浴びせる様子を見ていると、彼らがすさまじいまでの男尊女卑の塊であることと、有能な女性に根深い嫉妬を持っていることが感じられてならない。山田牧師もシュタイナーを原語で読み、緻密な研究成果に基づいてメッセージを語るという相当な知性であることが分かるが、このように有能な女性たちの活躍を絶対に許せないという一部の男性のコンプレックス、自分の手の届かないものならばいっそ踏みにじって潰してしまいたいという抑えがたい嫉妬を、私はどうしても感じずにいられないのだ。もしそうでなければ、なぜ特別に女性だけを狙い撃ちして非難するような真似をする必要があろうか。それは彼らが嫉妬深い上、卑怯だからである。卑怯だからこそ、常に弱い者を狙って攻撃をしかけるのである。

そのことだけを見ても、こういう活動の指導者たちが到底、リベラルな考えを持っておらず、常識的でもない、封建的で非近代的な思想の持ち主であることがよく分かる。やはり彼らによる異端思想取り締まりは現代の魔女狩りと呼ぶのが一番ふさわしいであろう。

そもそもなぜAG教団信徒でもない杉本氏が、AG教団側の主張に肩入れして、教会の内政に干渉しなければならないのかは全く不明である。杉本氏は「一般社会の常識から外れている」と牧師夫妻を非難しているが、一般社会の常識から外れているのはむしろ杉本氏の方であろう。一般社会では、自分が属していない組織の内政に積極的に干渉する行為は無礼であり、越権行為であるとしか認識されない。自分自身が被害を受けていないのに、杉本氏はどうして他者を加害者であるかのように責めたてることができる筋合いにあるのだろうか。杉本氏はもはやプロテスタントの信者ではなく、AG教団とも何の関わりもないのに、なぜこの事件についてさも自分が被害者代表であるかのように訴える資格があると言えるのだろうか。誰に向かって訴えているのであろうか。

杉本氏が果たしている役割は、自分が被害者でもないのに、被害を受けたかのように振る舞うことによって、自分とは何の関係もない教会の内政に干渉し、ネガティヴ・キャンペーンに加担して、誰かを悪者とするまことしやかな「空気」を作り上げることである。こうしてプロテスタントの教会の不祥事を次々と報道し、信者を貶めることにより、キリスト教界そのものの信用を失墜させているのである。こうしたことはすべて非常識であり、村上氏同様に、自分は被害者代表であってプロテスタント教界を取り締まる資格があるという勝手な思い込み以外に何も根拠を持たない。

* * *

 

4.アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団による恫喝訴訟に負けなかった鳴尾教会の再生
 
 
さて、本題に戻ろう。
このようにAG教団から恫喝訴訟まで受けた鳴尾教会であるが、その脅しに屈することなく、むしろ、見違えるように真っ白に美しく生まれ変わった姿が新しいホームページにおさめられている。

以前の教会の人を寄せつけないような建物の色調を知っているので、私はこの驚くような変わり映えを適切に評価できるものと思う。以前は教会にはホームページもなかったが、今や大学も真向かいにあるこの教会には若者も地域の人々もずいぶん足を運びやすくなったことだろう。

この教会がAG教団からの数々の恫喝や誹謗中傷にも負けず、喜びのうちに新たな門出を果たした様子がうかがえる。
 
 
* * *

 

5.アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団信徒による他教会(KFC)乗っ取り事件

 

最後に、もう一つ付け加えておきたい話がある。

AG教団は自分が教会を乗っ取られた被害者であるかのように主張しているが、「自分が火をつけた火事を他人の罪に帰する」とは、皇帝ネロの昔から現在に至るまで悪党の使う古典的な常套手段として知られている。自分こそが犯人でありながら、被害者を装って、被害を受けただの、報復だの、叫ぶ人々も存在するということに気をつけたい。

一教会が教団から離脱したからと言って、「教会の乗っ取り」だと騒いでいたAG教団については、驚くべきことに、AG教団の信徒こそが他の教会を乗っ取った悪しき実績がある。

写真の出典:新橋駅の伝道者鵜川さん 新宿アルタ前に進出(クリスチャン・トゥデイより)

上記信徒は昨年8月時点でのAG教団本部の回答によると、確かにAG教団に所属する信徒であるということであった。だが、すでにその数年前から、同信者夫婦は所属教会等の身元を隠してDr.Lukeの主催する横浜のKFCに入り込み、Br.Takaというペンネームを使って講壇でメッセージを語っていたことを、教団本部は全く知らなかった。

上記記事にもあるように、同信徒夫妻はすでに2005年には路傍伝道の常習者となっていたが、所属教会に問い合わせたところ、同信徒は伝道師の資格も牧師の資格も持っておらず、クリスチャントゥデイの積極的な宣伝とは裏腹に、同信徒による路傍伝道等の教会外の活動について、所属教会はあまり乗り気でもなく積極的に推奨している風でもなかった。

この信者夫妻はKFCへ来るようになって以後、自分たちは双方ともに神学校を出ていると嘘を触れ回り、KFCの信徒たちの心を得て、集会を事実上、自分の配下に置いて集会とホームページを乗っ取った。そして、会堂契約を失効させて、KFCの存在場所を奪った上、信徒の一部を連れ去り、そして、今も横浜で集会を開いている。

同信徒が故意に会堂契約を失効させたのか、それとも続行するための資格要件を満たさなかったゆえに契約が失効したのか、それは定かではない。だが、会堂契約の失効と共に同信徒は一部の信徒を連れて行方をくらました。

Dr.Lukeはメッセンジャーを下ろされた上に会堂も奪われた不名誉な顛末に関しては全く沈黙しているが、この話はすでに多くの兄弟姉妹の間で周知の事実となっており、知らない者はネット読者だけである。この事件があったために、長年、KFCのメッセンジャーをつとめた二人の兄弟を含め、一定の兄弟姉妹がこの集会を去った。

以下はこの信者夫妻が開いたKFCの偽ホームページである。

http://kingdomfellowship.webnode.jp/

タグに同信徒夫妻のBro.Taka及びNAOの名が表示されているのが分かる。同信者夫妻が会堂契約を続行できなかったので、すでにKFCはこの住所には存在していないにも関わらず、この偽サイトは削除されることもなく放置されている。

さらに以下が同信者夫妻が現在、KFCから逃亡した先で開いている「教会」である。

http://www.bride-of-christ.com/

東京都の教会に属しているこの信者夫妻がなぜこれほどまでに横浜にこだわるのか私は知らない。横浜の下町よりも東京の下町の方が彼らにとってはるかに都合が良いものと思うのだが。いずれにせよ、偽サイトを放置していることも含め、人から何かを横領したという実績を残すことが目的であろうか。教会紹介欄には「ブライドは2013年に横浜でスタートしたプロテスタント系のキリスト教会です。」と書いてあるが、この教会が開かれているのは横浜の単なる貸ダンスフロアであり、賃貸契約している正式な会堂はない。むろん、AG教団の名前もなく、プロテスタント「系」と名乗っているのも、ただ勝手に自称しているのに過ぎない。ちなみに、教会スタッフにはTaka兄弟の名が記されている。 
  
さらに、もう一つの記事、新橋から世界へ 伝道者鵜川貴範さん(クリスチャン・トゥデイ)を読めば、同信徒は以前からこのような架空のサイト開設の常習者だったことが分かる。この記事によれば、同信徒は「一発逆転人生塾」なるサイトを運営していることになっているが、この標題を持つサイトはざっと検索しただけで多数見つかる。

http://119.go2.jp/
 サイトでは、「この働きは自殺阻止、ホームレス自立支援、就労困難者支援、受刑者更生支援など幅広い意味合いをともなっています。」と書かれており、弱者救済の理念の下に始まったことが記されている。

ミラーサイトはいずれも更新が止まったまま放置されている。
http://gyakuten.nomaki.jp/119/index2.html
http://gyakuten.nomaki.jp/www/index2.html
http://gyakuten.jpn.ch/
http://christian.jpn.ch/
http://free.from.jp/jalive/
http://m-pe.tv/u/page.php?uid=jalive&id=1&guid=on


http://blog.livedoor.jp/jalive/(ラジオ「一発逆転人生塾」)
http://www.voiceblog.jp/jalive3/(ラジオ「人生メッセージ」)

http://blog.goo.ne.jp/preciousrule(ブログ「一発逆転人生塾」)
http://jalive.jugem.jp/?eid=131(「一発逆転」通信)

キリスト教系の内容を含むものだけをピックアップしたが、探せばもっと他に見つかるであろう。

ちなみに、中国の文化大革命時に生まれた宣教師ユテコ・ウーのサイトとされる下記も、同信徒の作成による。http://yufire.jimdo.com/

このように、同信徒は身元も隠し、名前も変えて、いくつもの顔を使い分けることをずっと以前から常習的に行って来たのである。

杉本徳久氏はAG教団と一緒になって他教会の牧師や一般信徒の中にカルトの親玉を探すよりも、こうして正真正銘、「匿名に隠れて」「やりたい放題」、所属教会をも信徒をも欺き続けて「教会ごっこ」にいそしむAG教団の信徒の非を追求した方がはるかに良いだろう。

そして、「一発逆転人生塾」というサイト名や、お決まりの弱者救済活動を見ても、やはり、統一教会出身の村上牧師のみならず、同信徒の歩みにも、グノーシス主義の香りが至る所に漂っているという気がしてならない。人生逆転という標題は、人生の敗者であった者が、一発逆転して勝者になるための秘訣を探そうという願望をよく表しており、クリスチャンのサイトというよりは、処世術を教える怪しいサークルを思わせる。同信徒はかつて偉大な宣教師を自称してキリスト教界の重鎮を集めて大聖会を開くのが夢だと語っていたこともあった。欺きと横領によって、本来、自分が決して手にすることのできない高みに到達して、強者との関係を覆し、強者を辱めて負け犬の汚名を返上したいというグノーシス主義の転覆の構図をやはりここにも見ないわけには行かない。
 
* * *
   
    
KFCへやって来た同信徒の目的が極めて疑わしいものであることに気付いたときに、AG信徒と関わることの危険性について、私はDr.Lukeに警告した。だが、彼は信じず、私の忠告を聞き入れず、結局、会堂を乗っ取られた愚かな指導者となった。
 
今、私はそれを残念には思わない。Dr.Lukeは本来ならば神学校を出てもいない信徒の相手ではなかった。キリスト教界やAG教団の闇について警告していたDr.Lukeであるから、まさか真に警戒していたのならば危険に気づかなかったはずはない。思い出されるのは、「悪人と詐欺師とは人を惑わし人に惑わされて、悪から悪へと落ちていく。」(Ⅱテモテ3:13)という聖句のみである。乗っ取られた側も、乗っ取った側も、ともに深い闇であると私は思う。

とにかく、AG教団はこうして一方では乗っ取られたわけでもない教会を「乗っ取られた」として架空の被害を主張しながら、他方では、自らの信者によって他の教会を乗っ取っていた。全く何と恐ろしい教団とその信徒たちであろうかと改めて思う。なぜAG教団からはこういう信徒ばかりが多数輩出されるのであろうか。むろん、AG教団本部はそんな事件は知らなかったと主張するであろう。一人の信徒が一存でしでかしたことに過ぎず、教会外の活動について、ネット上の活動について、教団はあずかり知らないと。だが、教団の信徒が行ったことについて、教団には全く責任がないと主張することは難しい。このような信仰を生んだ責任というものが、母教会には特にあるのではなかろうか。
 
AG教団は外なるカルトと闘っている場合ではない。他教会に裁判をしかけ、よそのカルトの取り締まりを行うよりも前に、自家製の内なるカルトをこそ退治すべきであろう。上記信徒に限らず、聖霊派の信徒が行き過ぎた霊的ムーブメントに身をゆだねた結果、心身の健康を害して引き起こして来た数々の混乱は、クリスチャンの間ですこぶる評判が悪い。常に過激な方向へ走りがちな聖霊派として、AG教団はこうした異常な結果が引き起こされることのないよう、教団内で引き締めと健全化をはかることの方が、教団とは無関係であったり、もしくは教団を去ろうとしている信徒に攻撃を加えることよりも、はるかに優先されるべき課題ではないだろうか。

この出来事は私にとって一つの大きな警告であった。それはカルトとアンチカルトが同一であるのと同じように、キリスト教界と反キリスト教界も、同一であることが真実、分かったからである。KFCはずっとキリスト教界を告発する立場にあったが、それにも関わらず、自らキリスト教界に同一化して行った。そして、このことは決して偶然に起きたのではない。それについてはまた機会を改めて書きたい。

PR

ひとこと

神である主、イスラエルの聖なる方は、こう仰せられる。「立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る。」(イザヤ30:15)

ヴィオロンのブログ

最新記事

アーカイブ

ブログ内検索

カテゴリー