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私ではなくキリストⅣ

「私は、神に生きるために、律法によって律法に死にました。私はキリストと共に十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。」(ガラテヤ2:19-20)

神の家の建造のために

「そこで、あなたがたの歩きかたによく注意して、賢くない者のようにではなく、賢い者のように歩き、今の時を生かして用いなさい。今は悪い時代なのである。だから、愚かな者にならないで、主の御旨がなんであるかを悟りなさい。」(エペソ5:15-17)

今日、ある姉妹のお見舞いに行った。美しく、よく晴れ渡った日で、少し前に車で通った真鶴、熱海の海が、電車の窓の向こうに輝いて見えた。バスに揺られながら、そびえ立つ富士山をのんびり眺めた。

病室に着くと、けだるい午後の日差しが部屋いっぱいに差し込んでいた。ご家族に付き添われて、意外に顔色の良い、落ち着いた様子で休んでおられる姉妹の表情を見て、ほっとした。椅子に腰を下ろして、まず、倉敷土産のガラス細工の置物を紐解いて見せるところから始めた…。

「何かご質問があれば、この電子辞書に打ってみて下さい」と、私が言うのに合わせて、姉妹がさっと身を起こそうとされたのが分かった。残念ながら、彼女に は身体を少し傾けることはできたけれども、電子辞書を打つことはできなかった。けれども、姉妹のきびきびとよく動く瞳と、身を起こそうとした動作が、私の 言うことを、全てはっきりと理解しておられることを物語っていた…。

まるでプレゼンテーションでもするように、私は一方的に身の上を語り始めた。どうやって田舎を出てこちらに来たか…。何しろ、互いにこれが初対面なのだ。 彼女は私が誰であるかを知らない。以前の記事をどのくらい読んで下さっていたのかも分からない。けれども、ただ一度、私が引越しをする前に、姉妹から歓迎 のメールをいただいたことがあり、そこに闘病中であることが書かれていた。それから今までの間、何と私は愚かに時間を浪費したことだろう。まさかこれほど 短い間で、病室での対面になってしまうなど、想像もしなかった…。

「神様」という言葉を私が口にした時、彼女の瞳がぱっと大きく見開かれた。あ、姉妹は主のことについて聞きたいと思っておられるな、と分かった。この方は まさに信仰者である。カードに書いた御言葉と、メッセージを読み上げる。姉妹にとっては旧知と思われる人々の名前を口に出すと、非常な関心を示して話を聞 いておられるようだった。

私はできるだけの感謝を込めて、地上で出会い、お交わりできた喜びを伝えた。私たちの内におられるキリストこそが望みであること、身体があがなわれる希望 について語った。何を話していた際であったか、姉妹の目を涙が伝った。もう少し前に会っていれば、もっと多くのことを私に聞かせ、色々と教えてあげられた のに…、と思っておられたのかも知れない。私にも、泣かないことは無理であった。主が特別な平安と守りを彼女に与えて下さるように祈り、私たちは永遠に一 つの家族であると言って、別れを告げた…。

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ひとこと

神である主、イスラエルの聖なる方は、こう仰せられる。「立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る。」(イザヤ30:15)

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