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私ではなくキリストⅣ

「私は、神に生きるために、律法によって律法に死にました。私はキリストと共に十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。」(ガラテヤ2:19-20)

主は私の牧者であって、私には乏しいことはない

「主はわたしの牧者であって、
わたしには乏しいことがない。
主はわたしを緑の牧場に伏させ、
いこいのみぎわに伴われる。

主はわたしの魂をいきかえらせ、
み名のためにわたしを正しい道に導かれる。
たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、
わざわいを恐れません。

あなたがわたしと共におられるからです。

あなたのむちと、あなたのつえはわたしを慰めます。
あなたはわたしの敵の前で、
わたしの前に宴を設け、
わたしのこうべに油をそそがれる。

わたしの杯はあふれます。
わたしの生きているかぎりは
必ず恵みといつくしみとが伴うでしょう。
わたしはとこしえに主の宮に住むでしょう。」
(詩篇第23篇)

 
 
好景気で、街にものが溢れ、食べ物が余り、「金余り現象」、「飽食の時代」、などと言われている時に、上記の御言葉を口ずさむことには、信仰は要らない。

だが、不況となり、国が貧しくなり、人々が飢え、町に失業者が溢れ、地震や、戦争の噂が飛び交い、明日の保障が見えない時に、上記の御言葉を口ずさむことには大きな意味がある。

筆者が横浜へ来てから、もう7年は経った。随分、長い月日であり、その間、偉大な躍進があったとは言えず、「未だそんなところに住んでいるの」と、筆者の人生設計のなさ、将来の展望の見えなさが、信者たちに笑われたこともあった。

だが、今では彼らの嘲笑は全く当たらない。なぜなら「そんなところに住み続ける」ことさえ、並大抵では達成できないことになってきたからだ。そのことは、これまで筆者よりも、はるかに安定的な生活を送っていたように見えた人が、次々と、自ら選んだ土地を離れたことによっても立証された。

理由は色々ある。だが、どうして離れたのか、突き詰めれば、すべて「今までの生活をこれ以上、自分だけの力で維持できない」という不安が原因であることが分かる。

彼らはその不安に打ち勝つことができなかったのである。

筆者はそういう人たちに比べ、何倍も、「死の陰の谷」を歩いて来たという自負があった。これは自慢話にはならないのだが、それでも、多分、以上のような人たちは、最初の「死の陰の谷」にさしかかった時点で、すぐに降参してあきらめてしまったのではないかと思われてならない。

それに引き換え、筆者の人生は、長い間、まるで「死の陰の谷」から「死の陰の谷」への移動の連続のようなものに感じられた。「緑の牧場」と「憩いの水際」はほんの一瞬程度しか、経験したことがなかった。

こうして「死の陰の谷」を歩き続けるのは、正直に言って、かなり疲れることであった。信仰があったので、そこを通り抜けることが可能であることは疑わなかったが、「死の陰の谷」の暗さは、毎回、毎回、より一層、ひどい深くなっていくのである。

だから、長い間、筆者も、世の中の情勢を見つめて、「一体、このような暗い展望しかない中で、どのようにして栄光から栄光へ、主の似姿に変えられて行けるのだろうか〕と、ため息ついていたこともしばしばであった。「死の陰の谷」を短くする方法が必要だと思われてならなかった。

そうして考えながら、ふと周りを見回してみると、当時、筆者があまりにも長い間、「死の陰の谷」から抜け出せないでいることを憂慮し、しきりに「緑の牧場」と「憩いの水際」の素晴らしさを語っていた人たちが、ほとんどみな「死の陰の谷」に飲まれていなくなっていたことに気づいた。

非常にゆっくりとではあったが、神は「死の陰の谷」を短縮するために必要な方法を教えて下さった。「死の陰の谷」の通り抜け方は、ひと通り、分かった。今、必要なのは、「緑の牧場」と「憩いの水際」を実体化することである。だが、それも徐々に分かりかけて来たのである。

すべては信仰によって実体化するのである。その力が信者の内にあることが、分かり始めたのである。すでに「死の陰の谷」はかなり短くなったのだが、「緑の牧場」、「憩いの水際」の比率は間もなく完全に逆転することであろう。
 
世が暗闇に覆われて混沌とし、右を見ても、左を見ても「死の陰の谷」しかない時に、「緑の牧場」と「憩いの水際」を信仰によって呼び出すのには、大いなる意義がある。人にはなし得ないが、神にはできる、生き様を通してそれを立証できるような日々を、筆者は送りたいと願っている。
 
主はわたしの魂をいきかえらせ、
み名のためにわたしを正しい道に導かれる。

わたしの生きているかぎりは
必ず恵みといつくしみとが伴うでしょう。
わたしはとこしえに主の宮に住むでしょう。

<2016年>
   

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神である主、イスラエルの聖なる方は、こう仰せられる。「立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る。」(イザヤ30:15)

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