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私ではなくキリストⅣ

「私は、神に生きるために、律法によって律法に死にました。私はキリストと共に十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。」(ガラテヤ2:19-20)

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舌を制御する(1)

神がご自分をヨブに啓示された時、私は自分をさげすみますが神に対するヨブの唯一の返答でした。ヨブがどのように神と共に歩んだか、そして神が彼の心の完全さについて何と言われたか思い出す時、これはとても注目すべきことであり、主を知るにつれてさらに深い取り扱いが必要になることを私たちに示します。

また私たちはヨブの人生から、心の完全さにもかかわらず、無意識の自己義認が多く存在しているかもしれないことを見ます!

繰り返しますが、決して忘れることのできない神との出会いがあります。この出会いは私たちを砕くので、私たちは他人を裁くことができません唯一の願いが自己を真に消し去られることであるような場所に導かれるには、長い時が必要です。その場所に至る時、自分自身に関して持っている知識が、私たちを何事にもでしゃばらないよう注意深くならせます。なぜなら私たちに言えるのは、「私を裁くのは主です」ということだけだからです。

真の自己放棄は私たちをとても素直にし、喜んで他の人より低い地位に着くようにし、努力しなくてもちりに下ることができるようにします。その時、「自分を低くする者は高くされます」

再びイザヤのことを考えましょう。神の幻は彼にとって何を意味したでしょうか。

「私は主を見た。……そして私は言った、『災いなるかな、私はもうだめだ! 私は唇の汚れた者だからだ。……しかも、私の目が万軍の主である王を見たのだから』」(イザヤ6:1,5)
 
これが神のメッセージを託される者たちに対する神の幻です。神はエレミヤに言われました、「もしあなたが卑しいことではなく尊いことを言うなら、あなたは私の口のようになる」。神の子供よ、あなたは自分の口をただ彼の口としてだけ主に用いていただくことを満足に思うほど、主に明け渡しておられるでしょうか? これは浅はかな会話を断ち切ることを意味します!


主イエスは「問題のある人」について弟子たちに話したことがあったでしょうか? 彼はユダについて他の人々と議論したでしょうか? あなたが他の働き人たちに話すかもしれないので、あなたに心を開くことを人々が恐れる、という経験をあなたはしたことがないでしょうか? 私たちは多くのことを不注意に話してはいないでしょうか? 私たちは「問題のある人」呼ばわりされることを好みません! 信頼している人に自分の心の奥底を打ち明け、後になってそれが他の人に筒抜けになっていたことを知るのは、愉快なことではありません。

神に真に占有されることは、実際生活に深く切り込みます。これは、神に私たちの生活すべてを、地上におられた時の主イエスの歩みとまったく同じにしていただくことを意味します。舌は神の支配下に置かれる最後の器官のようです

使徒ヤコブは、神にまったく占有されている人であるかどうかの最高の試金石として、舌を抑えることをあげました。私たちが神との交わりをこんなにも多く失ってしまう理由、そして神の臨在の環境からこんなにも速やかに出てしまう理由を、彼は私たちに告げます。ヤコブは舌を「船の舵」として描写しています。彼が言うには、舵手が舌を握るなら自分の望むままに体を動かすことができます。

ヤコブはさらに、舌は全身を汚し、天然の車輪すなわち天然のいのちを燃やす、と言っています。たとえば、あなたが傷つけられたとします。あなたはそのことを話し、自分だけでなく他の人々も燃やします。そして、神聖な臨在の香りを失ってしまいます。


神の啓示がイザヤに訪れた時、それは彼の唇を対処しました。彼は、「私は唇の汚れた者で、汚れた唇の民の間に住んでいる」としか言えませんでした。

舌が神の支配下にあるなら、神は他の人々に関して私たちを沈黙させ、傷について沈黙させ、時として自分の経験についても沈黙させます。キリストの生涯は非常に静かな生涯でした。

絶えず神の力の下にとどまりたいのなら、緊張した不自然な沈黙ではなく、神の中に静かに隠れることを学ばなければなりません。神の中に静かに隠れることは、私たちをとても静かにします。そのため、状況がどんなに悪くなっても、私たちはとても静穏に保たれ、瞬間的に不親切な言葉が口をついて出てくることもありません自分の経験、自分の傷、自分の働きについて、もはや人に話す必要がないということが、神と共なる深い歩みのしるしの一つです。大いに用いられているにもかかわらず、決してそれを話さないこと、傷つけられ、誤解されても、それを決して誰にも話さないことは、神がいかに私たちを支配しておられるかを示します。

ジェシー・ペンルイス著、『開かれた天』、第一章より


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神である主、イスラエルの聖なる方は、こう仰せられる。「立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る。」(イザヤ30:15)

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