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私ではなくキリストⅣ

「私は、神に生きるために、律法によって律法に死にました。私はキリストと共に十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。」(ガラテヤ2:19-20)

肉のものと霊とのものを区別する必要性~キリスト教界に入り込むグノーシス主義的・東洋的神秘主義の危険⑦~

・Eden Mediaの偽りと、ペンテコステ運動の起源がヒンドゥー教にあることについて

愛する者たちよ。すべての霊を信じることはしないで、それらの霊が神から出たものであるかどうか、ためしなさい。 多くのにせ預言者が世に出てきているからである。 」(Ⅰヨハネ4:1)


クリスチャンならば誰しも知っているはずだが、人類には神に至るために、たった一つの道しかない。それは罪を悔い改め、バプテスマを受け、キリストと共なる十字架において自己に死に、彼のよみがえりの命にあずかることである。そして、日々の十字架を負って、神の御言葉に従い、神を愛して生きることである。
 
しかし、終わりの時代には、キリストと共なる十字架で自己を死に渡すということが、信者にとって特に狭き門となる。

これまで、当ブログでは再三に渡り、聖書に記された終末の大淫婦バビロンとは、東洋神秘主義とキリスト教との混合の教えであると述べて来た。

作家ドストエフスキーは、『カラマーゾフの兄弟』の中で、終末の時代には、偽キリスト教があたかも正統なキリスト教であるかのように地上に広がるであろうと警告したが、聖書においても、終末のバビロンは、ちょうどそのような全世界的な規模の偽キリスト教となると警告されているのである。

聖書の次の警告を、私たちは決して、キリストを知らない、主の民でない人々だけに向かって言われたことだと決めつけないようにしたい。

「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない。」(マタイ7:13-14)

滅びに至る広き門から入って行く者が多い――それは、自分たちこそキリストを知っている神の民だと自負する人々にも、大いに当てはまる警告なのである。イエスは、終わりの時代は、ノアの時代、ロトの時代のようになると警告された。「しかし、人の子が来るとき、果たして地上に信仰を見いだすだろうか。」(ルカ18:8)つまり、地上にほとんど信仰が見られないまでになるだろうと予告されたのだ。

わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである。かの日には、大勢の者がわたしに、『主よ、主よ、わたしたちは御名によって預言し、御名によって悪霊を追い出し、御名によって奇跡をいろいろ行ったではありませんか』と言うであろう。そのとき、わたしはきっぱりとこう言おう。『あなたたちのことを全然知らない。不法を働く者ども、わたしから離れ去れ。』」(マタイ7:21-23)


以上の御言葉からも分かるのは、終末には多くのクリスチャンを名乗る人々が、キリストの十字架を介さずに、生まれながらの自己に死ぬこともなく、神に至ろうとする「広き門」に殺到し、何かの超自然的な力を身に着け、神のような奇跡を行うことであり、ついにはそのような悪しき疑似キリスト教が、あたかも正道であるかのように、真実なキリスト教を隅に追いやり、迫害する側に回る可能性があることである。

終わりの時代には、多くの人々が、ただ主と共なる十字架において自己に死ぬことを避けるだけでなく、自己を延命させ、肥大化させながら、それによって、神にまで至ろうと、「体の変容」に取り組むであろう。これまでの記事で見て来たように、人類が自力で自己を変容させて神のような永遠の命を得ようとする取り組みは、古代中国の煉丹術のような思想の中にも見られ、そのような非科学的かつ反聖書的な古代思想が、現代のキリスト教界の中にも入り込んでいるのである。

悪魔にとっては、人間の「体の変容」は、焦眉のテーマである。なぜなら、人類が自力で「神のように」なれるかのように見せかけるためには、人間の通常の体の限界を打ち破らなければならないからである。
 
そのことは、2012年頃にアセンションというニューエイジの偽りの覚醒体験が世間で流行した事実にも見られる通りであって、このような現象は『龍の正体』で見たような、東洋武術の魅力にはまって懸命に修行に励んでいる一部の人々だけに当てはまる危険ではないことに注意したい。

聖書は、クリスチャン一人一人が「霊を見分ける」ことの必要性を説いている。信者一人一人には、何が本当に神から来たものであり、何がそうでないのかを判別するリトマス試験紙の役割がある。

私たちはこれまで、あらゆる異端には共通の型というものが存在することを見て来た。つまり、世界にはキリスト教かグノーシス主義かという二つの思想(信仰)しかなく、聖書に従わないすべての思想は、根本的にはグノーシス主義に属する。それゆえ、それらの思想にはすべてグノーシス主義の基本形が当てはまり、その基本構造を把握していることにより、それらの思想がどこから来たものであるかも見分けられる。
 
さて、ここ数年、Youtubeを通して、Eden Mediaという出所不明の動画が、あたかもキリスト教のメディアであるかのように広められて来た。一見、その内容は『龍の正体』にも似て、キリスト教の信仰に基づく警告動画のように見える部分もあるため、当ブログでも引用したことがある。

だが、この動画はあまりにもフリーメイソンの悪を暴くことに熱中しすぎていたため、筆者は途中からこの動画をかなり警戒して、距離を置いて来た。悪魔は自己顕示欲が強く、自分のシンボルを人に見せつけることを好む。

そこで、警告動画だからと言って安易に信用することはできず、真の目的がどこにあるのかは、きちんと調べてみなければ分からない。この度、見ていると、あからさまに聖書から逸脱した神秘主義思想に基づく発言がいくつも散見されるようになったため、改めて過去の動画を含めて振り返ってみた。すると、当初は気づかなかったが、この動画には最初から、すぐにそれとは分からない巧妙な形で、聖書からの逸脱が含まれていたことが分かって来たのである。

これまで見て来た通り、悪魔に由来する偽りの思想は、常に正反対のものを一つであるかのように結びつけるダブルスピーク、ダブルメッセージを常套手段としている。そこで、一見、何かを批判したり、警告しているように見えても、必ずしも、批判・警告している対象と手を切っておらず、裏側では一つに結びついているという場合も非常に多い。

たとえば、かつてDr.LukeのKingdom Fellowship Churchのメッセージは「キリスト教界からエクソダスせよ」と唱えていたが、実際には、その団体は。キリスト教界からエクソダスしておらず、手を切ってもいない現役のキリスト教界の信者を数多く内包していた。それでは、わざわざエクソダスせよと唱える意味もなく、詭弁だとみなされるのは当然である。

このように、うわべだけのスローガンと実質的な行動が正反対になっているか、もしくは、スローガンそのものに自己矛盾が含まれているのが、キリストに従わない、すべての霊の特徴である。悪霊に由来する霊の思想は、必ず、どこかに論理破綻が含まれている。そこで、私たちは、あるミニストリーの言動が完全に一致しているかどうかをよく確認しないまま、ただ表面的な言葉だけを通して軽率に物事を判断すべきではないのである。人間と同じように、時間をかけて観察することは必要であろう。

以下では、Eden Mediaの中に含まれている自己矛盾や、あからさまな偽りを取り上げ、なぜこれがクリスチャンを欺く非キリスト教メディアであると言えるのか、その理由を示しておきたい。





1. 東洋神秘主義の悪魔的シンボル ~Eden Mediaという媒体の不透明性~


まず、Eden Mediaの怪しさの筆頭格として挙げられるのは、媒体の背景にある組織の不透明性である。このような大規模な動画作成と発信は、相当な資金力、人手がなければ行えないのは明らかであるにも関わらず、この媒体は、誰が(どのような団体が)、何の目的で発信し、かつどのようなルートで日本語に訳され、発信されているのかが全く明らかでない。

各動画は、世界の様々な名前の組織を通して行われているようだが、誰がそれを一つにとりまとめて、Eden Mediaの名のもとで発信しているのか、何故、それが我が国向けに翻訳されて配布されているのかが分からないのである。

このような不透明さは、キリスト教の伝統的な組織的ミニストリーには決してあり得ないものである。到底、個人で行えるような編集の域を超えているにも関わらず、どのような組織が後ろ盾になっているのかが明かされていないのであるから、それだけで疑惑が生じるのは当然である。

さらに、これらの動画はいずれもニューエイジや異教との関わりが深かったメンバーらの告白を通して、ニューエイジ運動の反聖書的で悪なることを告発するという形で作られている。そして、すべての動画が、一見、キリスト教の信仰に立っているかのように装っている。

Eden Media の標語の下に掲げられている"Truth will set us free"という言葉は、「真理はあなたを自由にする」という聖句を基にしており、一見すると、「正しい知識を得ることにより誤謬から免れられる」と謳っているかのように視聴者には思わせる。

だが、実際には、これらの動画はキリスト教の福音に根差すものではなく、むしろ、真理の中に虚偽を混ぜ込むことで、ニューエイジ運動を糾弾しているように見せかけながら、実際には、ニューエイジの只中へと視聴者を誘導するものとなっている。

さて、ニューエイジ運動とは結局のところ、東洋神秘主義の思想や修行法の寄せ集めであると言える。既存の仏教やヒンドゥー教が世俗化して、東洋神秘主義の中核となる思想の探求がもはやこれらの宗教の中にほとんど見いだせなくなったため、東洋神秘主義の神髄となる思想は、それらの宗教の枠組みの外に出て、ニューエイジの中に移動して行ったのである。
 
驚くべきことに、Eden Media の動画発信元となっている一つに、"Round SaturnsEye"があるが、このネーミングそのものが、まさに異常であると言えよう。直訳すれば「サタンの丸い目」であり、およそキリスト教のミニストリーにつける名前ではない。製作者は元TV司会者とあり、表向きは、キリスト教の信仰に立って、TVのプロパガンダに込められた神秘主義の偽りを暴くという説明がされているようだが、しかし、このようなシンボルを使っている時点で、その本質が分かる。これはまさに大円鏡智=すべてを見通す目=グノーシス主義の鏡=和の精神、などのシンボルと本質的に同じものなのである。
 

  

 
 
 シンボルの意味
Round SaturnsEye=すべてを見通す目=大円鏡智=和の精神=日輪=道




2.当初とは正反対の結論へ誘導する ~Eden Mediaのダブルメッセージ~

調べてみると、Eden Mediaの提示する結論には、そもそも当初から「どっちつかずの曖昧さ」が多分に含まれていた。半分までは真理が提示されているのだが、後半では、真理に反する虚偽が混ぜ込まれているのである。

たとえば、Eden Mediaは、2016年2月20日に「ニューエイジ思想の呪縛 / ヨーガ 」と題する動画を発信している。この動画は、冒頭で「今日もニューエイジ運動の正体を暴いていきます。この動画では、ヨーガ・ティーチャー時代の体験を交えヨーガに潜む危険性と、その悪質な正体をお伝えしたいと思います。」などと述べているので、一見すると、ヨガの起源が反聖書的な思想にあることを警告し、ヨガを全否定するために作成された動画のように見える。

ところが、この動画は、前半ではヨガの悪魔的起源に言及して、これに関わってはならないと言いながらも、後半では、ヨガの中でも、ピラティスだけは、ヨガの霊的思想を含まない無難な体操なので、これをお勧めすると、正反対の結論を述べている。つまり、この動画は、一見すると、ヨガの悪魔的起源を批判し、これを完全に捨て去るように勧めているように見えながらも、実際には、「ヨガには罪のない運動も含まれているので、それまで完全に捨てる必要はない」と真逆の結論を提示し、事実上のヨガの推奨になってしまっているのである。

 

*偽りの結論への誘導の顕著な例




  
Eden Mediaは「ピラティスはヨーガの霊的部分を省いたものです。」と言うが、実際には、以下で根拠を示すように、ピラティスは決してヨガと霊的に無関係ではない。にも関わらず、ピラティスがあたたかも無害な体操であって、ヨガとは無関係であるかのように主張することにより、Eden Mediaは、クリスチャンがピラティスを捨てる必要はないと主張。そうなると、結局、この動画は、ヨガの危険を告発しながら、同時に、ヨガと関係の深いものを無関係に見せかけることで、ヨガへ誘導しているのと同じことになる。

そもそも、クリスチャンにとって重要なのは、、エネルギーの発散のために体操に取り組むことよりも、じっくりと聖書の御言葉の意味を、御霊の助けを借りて理解することである。だが、東洋思想やニューエイジやオカルトは、人が自分自身の知性や理性を使って物事を深く考えることを何とかして邪魔し、とにかく後先考えず行動に至らせようとする特徴がある。
 




以上のような自己矛盾した結論は、この動画につけられた以下の訳者(もしくは解説者)の言葉の中では、さらに強化されている。
 

2016/02/20 に公開

この動画は賛否両論を呼ぶかもしれません。

私自身ヨーガを生活の一部に取り入れてきましたし、ヨーガの恩恵を受けてきたこともまた事実でありますヨーガを行うことで身体を柔らかく保ち、精神的にも鍛えられた経験から、ヨーガを良い方向に活用することが出来れば、特に問題はないと思っています。

しかし、この動画でも触れているとおり、自らが神であるかの様な意識や間違った意図があるならば、それは必ず悪影響をもたらすはずです・・・

我々は常に謙虚な気持ちを忘れてはいけないのです。
ニューエイジ思想の呪縛 / ヨーガ 解説。



ここで最も重要な問題は、「謙虚な気持ち」があるかどうかなどといった事柄ではない。以上の解説を通して、私たちは、この解説者も、ヨガから相当に深い思想的影響を受けた人物であることが分かるが、その人物も、警告動画と同じく、ヨガを完全に捨て去るつもりが全くなく、そんなことはしなくて良いという態度を取っている。この人物は、「ピラティスだけはヨガと違って無害」とは言っていない。そこからさらに進んで、「ヨガを良い方向へ活用できれば、ヨガにも害はない」と言うのである。

こうして、Eden Mediaでは、冒頭で提示したはずの結論が、途中で完全にひっくり返り、実質的に真逆のことを同時に述べるというダブルメッセージが視聴者に突きつけられる。このように、本来、クリスチャンが訣別せねばならないものに対するどっちつかずの曖昧な態度は、前回、『龍の正体』で見て来たエリック・ウィルソンの姿勢とは正反対である。

ウィルソンは、武術の起源が東洋神秘主義にあることが分かった際、肉体的運動としての武術と、その起源となる思想とは、切り離せないものであることを理解し、起源が誤っている以上、運動としての武術だけを「良いもの」として残すことは決してできないと気づいた。彼は武術と聖書への信仰は決して両立し得ないことを理解し、武術を完全に捨て去る決断をしたのである。

ウィルソンは決して、以上の解説者のように、「武術を行うことで体を強くし、精神的にも鍛えられた経験から、武術を良い方向に活用することが出来れば、特に問題はない」などとして、武術に対してどっちつかずの立場を保持し、何とかしてそれを捨てなくて良いように考えたりはしなかった。

思想が誤っている以上、そこから発生して来るすべての訓練や運動も間違っており、悪しき霊的起源と手を切りたければ、訓練や運動などの思想の現れとなるものも含めて、すべてを捨て去るしかないのである。そこで、Eden Mediaがヨガと訣別しようとせず、「体操」の部分だけを、霊的起源と切り離して残そうとしていることは、完全に誤った態度であることが分かる。

さらに、この動画が無害な運動であるとしている「ピラティス」とは一体、何なのか。それは本当に「ヨガの霊的部分を除いたもの」と言えるのかについても調べてみよう。

インターネットを検索すると「ピラティスとヨガは別物だ」という意見が数多く出て来る。しかし、ピラティスとは、その名から分かる通り、このリハビリ体操を作った人物にちなんでつけられた名であるため、まずはピラティスがどのような人物であったのかを見てみなければならない。

ジョゼフ・ヒューベルトゥス・ピラティス (ドイツ語読みではヨーゼフ・フーベルトゥス・ピラテス) は、1883年12月9日にドイツ帝国のデュッセルドルフ行政管区、メンヒェングラートバッハにある小さな町で生まれた。

幼少期は病弱で、リウマチ熱、くる病、喘息に苦しみながら過ごした。大人になってからはヘビースモーカーであったので、喘息に関して著しく健康になったということはなかった。母が自然療法医で父が体操選手であったので、病を克服したい気持ちと父親に対する憧れから、父親の勤務するスポーツクラブでトレーニング (器械体操、レスリング、ヨガ、ボクシング等) を行い、14歳になったジョセフの体はとても鍛錬された魅力的な体となっていた。

1912年-その後も彼は東洋と西洋両方の身体訓練法を研究し、特にギリシャの文化や彫刻の美しさ、それに表現される強さに関心を感じていた。この頃、ジョセフはサーカス団と共に旅をすることになる。
1914年に第一次世界大戦勃発。当時ジョセフは、イギリスにてボクサー兼自己防衛術の指導者として働いていたが、敵国の人間だったので捕虜になってしまい、マン島の収容所に送られる。
この頃、自分のために開発していた運動プログラムを他の抑留者にも伝え始める。
マン島にいる期間、ジョセフは看護師として働いていた。
ある時、寝たきりで動くことも大変な患者に対して、マットレスベッドに使用されていたスプリングを使ってサポートや抵抗を与えること考えつく。これは現在「キャディラック」と呼ばれているベッド型の器具の基礎になった。

彼が行ったこの新しいタイプのリハビリは、後に「ピラティス・メソッド」と呼ばれる考え方の始まりとなる。
<後略>

Wikipedia「ピラティス・メソッド」から抜粋



なんと驚くほど三島由紀夫との共通点が見いだせる。幼少期から病弱で、体を鍛えるためにスポーツクラブでボクシング等のトレーニングを行い、自分の肉体を立派に鍛え上げたり、東洋と西洋両方を合わせた身体訓練を研究し、ギリシア彫刻の美しさに心惹かれていた等々。むろん、ピラティスが行っていたトレーニングの中にはっきりとヨガが含まれていることが判明している以上、ピラティス・メソッドとヨガを思想的に完全に切り離すことが不可能に近いことも分かる。

こうした事柄を考えると、Eden Mediaの動画の結論は、クリスチャンが本来、完全に捨て去らねばならないはずの悪魔的な霊の影響力を「無害なもの」「無難なもの」に見せかけ、「善良な目的のためならば、活用も許される」などと言って、部分的に留保させることで、クリスチャンが決して悪しき霊的影響力と手を切らないように、それとの結びつきを保持し続けるよう、あるべきでない方向へ人々を誘導して行くという、完全に誤った目的に立つ欺きの教えであることが分かる。





3.ペンテコステ運動の「霊」がヒンドゥー教と同じであることについて

ただし、Eden Mediaの動画が以上に述べた通り、悪質な虚偽を含んでおり、クリスチャンがこの動画の内容に対して非常に警戒し、注意しなければならないことは、言うまでもないとしても、それでも、この動画の中には、幾ばくかの真実も含まれており、何から何まで虚偽とは言えないことは否定できない。

特に、ニューエイジの思想や運動がどのようなものかについては、実際に、体験者の言葉に基づいて、あらかた事実に基づく告白が述べられていると言えるだろう。

たとえば、以上で挙げた動画では、ヨガには、「クンダリーニ覚醒」という、ヒンドゥー教の修行が含まれているが、これは大変危険なものであるから、クリスチャンは絶対に関わらないようにと勧められている。その警告自体は真実であると言えよう。(どうしてクリスチャンがヒンドゥー教の儀式などに関わって良かろうか。)
 
だが、驚くのは、その「クンダリーニ覚醒」で起きる有様が、まさにペンテコステ運動で起きている諸現象にぴったり一致することである。

以下に掲載するヒンドゥー教の「覚醒」の際に起きる現象は、まさにペンテコステ運動の各種のイベントで繰り広げられている超自然的現象と細部に至るまで完全に一致するのである。

たとえば、ペンテコステ運動の様々な「聖会」などの集会では、指導者が信者たちに按手をすることで、自分を導いているのと同じ(偽りの)霊を授けるが、これはヒンドゥー教の「シャクティーパッド」と同じであることが分かる。

さらに、ペンテコステ運動で、指導者から按手を受けた信者たちが、床に倒れたり、倒れたままけいれんを始めたり、笑いが止まらなくなったり、異言を語り出したりすることも、まさにヒンドゥー教の儀式の様子にぴったり一致する。
 
また、そのような恍惚状態に陥った信者らは、周囲から見れば、完全に我を失って、セルフコントロールが効かなくなり、異常な状態に陥っているのだが、本人は、それによって不快になるどころか、満たされた良い気分を味わい、あたかもそれまで心を占めていたすべての雑念が消えて、心の中が愛で満たされ、自分が天的な思いの中に入れられて、心が清く変えられたような錯覚と幸福感を覚える、という点も一致する。

この異常体験には、偽りの幸福感が伴うために、信者らは、自分の思いが神の聖霊に触れられて刷新されたに違いないと思い込み、その体験が、聖書の神から来たものではないということを疑うこともできず、幸福体験に病みつきになって、有名指導者の集会から集会へと巡り歩くのである。

動画では、最近では、クリスチャン・ヨガなるおかしな言葉も生まれており、ヨガがキリスト教の仮面をつけて、「異なるイエス」を利用して、キリスト教界に入り込んでいることも述べられており、そこで実際に教えられているのは、「覚醒」や「輪廻転生」などの反聖書的なヒンドゥー教の教えであると言う。
 
 















  


(ヒンドゥー教の儀式である「シャクティパッド」では、師が弟子の額に手を触れ、自分の霊的なパワーを注ぎ込むと、触れられた人々は倒れ、けいれんし、笑い出し、恍惚状態を味わうなどする。ヒンドゥー教のこうした「覚醒」の様子は、ペンテコステ運動の諸現象にまさにぴったり一致する。)


 
こうして、現象面から見ても、ペンテコステ運動の起源は聖書にはなく、むしろ、この運動を導く「霊」は、ヒンドゥー教に由来するものであることが明白に確認できる。





4.「気」が悪霊に由来するものであることを教えず、「気」を積極的に「活用」して人体の変容を目指すEden Mediaの嘘と危険
  
以上で、Eden Mediaの動画は、これまで反聖書的な東洋神秘主義に基づくニューエイジ運動を表向きは糾弾しているように見せかけながら、実際には、まさにその只中へとクリスチャンを誘導しようとして来たことを確認した。

だが、最近では、Eden Mediaの動画からは、次第に「糾弾」という側面が薄れ、あからさまな虚偽への誘導が行われるという風にシナリオが変わりつつある。

その誘導の目的は、当然ながら、「人が神のようになる」という「人体の変容」を促すことにある。中国の古代思想では、内丹術などを通して、人体の中にある悪霊に由来するエネルギーを引き出す方法が開発されて来たことはすでに見て来たが、Eden Mediaの動画はあからさまにそうした思想を積極的に容認して、肉的エネルギーを「活用」する方向へと人々を誘導しようとしているのである。

たとえば、先月(2018年4月13日)に公開された「人間のエネルギーのお話。」では、「幼いころ武道を学んで超常現象に触れた」と述べる解説者が登場し、人体に宿る不思議なエネルギーについて語り出し、途中で「気」のエネルギーについても語るが、そこでは、「気」が悪霊に由来するエネルギーであるという事実は全く触れられず、むしろ、そうしたエネルギーを「どう活用するか」という方向へと話がすり替えられ、こうしたエネルギーは「善良な目的のためであれば、大いに活用すべきである」と結論づけられる。



 
 
この動画では、もはや今までのEden Mediaの動画に見られたように、偽りの思想を糾弾するという姿勢すらももうない。解説者は、武術を通して学んだ超常現象を生み出すエネルギーを全く否定せず、これを「神の賜物」とみなして、良い方向へ大いに活用すべきだと結論づける。冒頭ではこう言われる。

”コンシャスネス”(意識)が我々の現実を生む。
”モノ”以上に”マインド”
”決意”と”信念”
この世は科学でも説明不可能な”なにか”を利用することで
信じられないことをやっておける人がいる」
それが「マインド」だ。
”脳”ではなく「マインド」だ。



ここで言われている「マインド」の正体を確かめて行くと、それは事実上、「気」であると分かる。解説者は「気」を汲み出すことで、これを戦術に変える少林拳が生まれたいきさつについて語る。(注:少林寺拳法は日本で生まれた武術で、中国の少林拳とは別物であるとされる。)

ではこのエネルギーの可能性とは?
体に流れるこのエネルギーを利用して何ができる?

古代中国では、このエネルギーを「気」と呼んだ。
その昔…少林寺の僧侶たちは平和に暮らしていた。

(筆者注:思想が間違っている以上、僧侶たちが平和に暮らしていたかも分からない。以下の画像は瞑想のポーズだが、瞑想も、ヨガにおける覚醒と密接な関わりを持つ。)
 


 
  スピリチュアルで非暴力的。
しかし、暴力がそれを変えた。

当時、少林寺の僧侶たちは山賊に悩まされていた。
彼らは嫌気をさし、戦士を捜すためスカウトを派遣することに。
彼らが求めたのは僧侶たちに防御法を教えられる戦士たちだった。
そうして”少林拳”が生まれた。

 

もちろん、それ以前から武術は存在したが、
少林拳の誕生は武術を異次元に導いた。
彼らが生み出したのは、奇襲的で、
相手を催眠術で翻弄する戦法スタイルだった。
”催眠術”だ。




遠く離れた場所からパンチを撃つことを可能とし――
モノを自由自在に動かした。
触れるだけで、敵は全身麻痺を起こし――
ナイフや尖ったモノに身体を差し出しても、
痛みを耐える能力も備えた。



中国軍がこの様なテクニックを教えられる
専門家を雇うのも納得できるはずだ。



むろん、少林拳が生まれたきっかけが、山賊の脅威だけだったのかどうかも実際には分からない。誰かが、もっと別な目的で、プロの戦闘集団を養成する必要に迫られて訓練を要請したのかも知れないし、あるいは、それも少林寺の思想が必然的に行き着いた結果だったのかも知れない。ここで「催眠術」と言われているものは、実際には「気」を汲み出すことで、これを戦闘術に変えて行く方法のことである。
 
そのように超人的なパワーを駆使して尋常ならぬ戦闘能力を備えた人間を養成する拳法を少林寺に伝えたのは、禅宗の開祖である僧侶、達磨だったという。今日、達磨流拳法は、ビルマ拳法とヨガを組み合わせたものだとも言われている。達磨はインド武術カラリパヤットの使い手であり、インドから中国に布教に来た際にこれを伝えたとされる。

伝説によれば、禅宗(「座禅」もヨガである)の僧・達磨大師がインドの格闘技を中国に伝道した。その際に禅の修行に僧達が耐えられるように、心身を鍛える術を記した『洗髄経』『易筋経』を与えた。それが現在の少林拳(十八羅漢拳、達磨拳などがある)、になったと言われている。 Wikipedia「カラリパヤット」から



もしそれが単なる伝説でなく事実であるとすれば、達磨の教えの中には、これまで見て来たのと同じように、初めから、涅槃の境地に至るための「悟り」という一つの側面の裏側に、憎しみや怨念に基づく終わりなき「戦闘」(武術)という、もう一つの側面が備わっていたことになる。また、禅そのものが極めてヒンドゥー教と密接な関わりがある。
 
こうして伝統的な戦闘法に、悪霊に由来する超自然的な力を加えて生まれたのが少林拳なのである。それは日本にも伝来する。




菩薩達磨は中央アジアやインドから渡来した
仏教の僧侶であった。
そして彼こそが少林寺にその拳法を伝え―
少林寺の僧侶にトレーニングを施した者だったという。




そのコンセプトは後に東南アジアや日本に伝わることに…
そして日本では…これらの秘伝を授かった”気の達人”がいた。

伝説によると、彼らは、少林寺の僧侶と同じ能力を持った上――
大声を上げるだけでモノを破壊できたという。
現在でいう”気合い”だ。





その目的は、敵を脅かし、攻撃にエネルギーを加えることにある。
しかし、”気の達人”になると、そのダメージは相手の細胞にまで及んだ。
また、彼らはやけどを負わず、自分の体の周りに火を起こしたという。



むろん、「気の達人」といった人々が日本に実在したのかどうかも分からないが、いずれにしても、解説者は、このように他人の人体に危害を加える悪魔的戦闘法が、継承者を失って廃れつつあることを惜しむ。そのようにして、廃れつつある技の中には、「気」によって相手を死に至らしめる技さえも含まれているという。

真偽はともかく、これらの秘伝の多くが”親から子”
”師匠から弟子”に伝授されず、失われていった。
そして、多くの術が今も消えつつある。

例えば”点欠術”
その意味は”デス・タッチ”…”ドラゴン・タッチ”


 
習得者は手元から”気”を引き出し―
24時間周期内に活発化する特定の時間に
相手のツボを攻撃すると―
48時間以内にその人は死亡する。
このテクニックを使えば、
その人の内蔵は破裂してしまう。



このように他人を即座に死に至らしめることのできるほどの破壊力を持つ戦闘法を、Eden Mediaは、悪霊に由来するものだと非難もせず、警戒する必要も訴えず、むしろ、これらの力が魔術的なものではないとみなして、このエネルギーを「神の賜物」として積極的に活用すべきだというのである。

「これらはすべて”マインド”が可能とする一例だ。
”禁断の魔術”を使わずにな…
我々は皆超能力で交信できる。
DNAや遺伝も関係するけどな…
例えるなら、離れ離れの双子が互いの
痛みを感じ取れるという話だ。
同じ服装や行動をし…
以心伝心の仲だ。
これらは無視できないだろう。」

我々は神の賜物を最大限生かすべく、これらを取り入れるべきだ。
戦いの為でなく…利益でもなく…名声でもなく…
我々とその周りを癒すためにな。
それも”思考”のみでな。」


 


悪霊に由来するパワーを「神の賜物」と呼び、これを「最大限生かし」「取り入れるべきだ」と偽りを語る 解説者のわざとらしい不気味な語り口調にも注意したい。男女が光り輝いているのは、彼らが「覚醒」によって「変容」を遂げつつあることを意味するのだろう。




5.Eden Mediaは超人的な人体の変容を通してバベルの塔の構築を目指している

こうして、Eden Mediaは、戦いや殺人のために編み出された悪霊に由来するパワーでも、「人を癒す」という善良な目的のためならば利用可能であるかのように語り、異教的な起源を持つ悪しき力を退けるどころか、これを積極的に「活用」するよう信者らに推奨し、反聖書的な思想を宣伝する。
 
一体、何のためにそのようなメッセージを投げかけているのであろうか? むろん、人々を「アセンション」に導き、神に逆らう戦闘員として超人化するためである。

こうしたことは、ペンテコステ運動にも顕著に見られる特徴である。たとえば、ペンテコステ運動の流れを汲むKFCのDr.Lukeも、アセンションが流行った2012年頃からしきりに「ロゴス(言葉)ではなくデュナミス(力)」を強調していた。
  

「まことに. 神の国は言葉(logos)ではなく、力(dunamis)である-1Cor 4:20. その神の国には3種類の時制がある。それはイエスと共にすでに到来した(初臨の時代)、今到来しつつある(教会時代)、そして完全に到来する(再臨と千年期) 。この神の国の中に生きること。これがCUBEの生活だ。」

「何度も繰り返すが、時代はすでに相転換している。私たちがシェアすべきは正しい信仰信条でもなければ、キリスト教の伝統的儀式でもない。霊の領域に存在する神の国だ。それは明確な現れをもってその存在を自ら証明する。すでに時代は霊の時代。人は自分の魂の理解できない事柄、知性のフレームに収まりきれない存在、感情と相容れないものに対しては拒否反応を示す。これが魂の自然な傾向だ。」

Dr.Luke霊の時代:サドカイ性からの離脱 2012/03/31から抜粋



むろん、こんな解釈は暴論であり、神の国が言葉ではなく、力であると言ったパウロの「言葉(ロゴス)」は、ロゴスなるお方としてのキリストを指すのではなく、心高慢になって、パウロを悪しざまに言っていた口先だけの信者たちのむなしい見せかけの信心の言葉を指していた。そして、後半に言われている「力」も、パウロ自身の超人的能力を指すのでなく、神の霊的支配を指す。

だが、Dr.Lukeは、以前にも記したように、「祈りとは波動である」などとして、無内容な音声としての異言を集会で長時間に渡り語り続けることを推奨するなど、意味内容としてのロゴスを退けて、力だけを追求するという誤りにますます傾倒して行った。

そのようにして「デュナミス(力)」を追求することは、まさに超自然的なパワーを発揮することを飽くことなく追い求めた歴代のペンテコステ運動の指導者たちの特徴でもある。ペンテコステ運動の指導者たちも、同じように、パウロが述べた以上の聖句を、前後の文脈もなしに引き合いに出し、自分たちの超自然的なパワーこそ「神の力の現れである」と言って、超常現象を誇示していたのである。

そのようにして知性を退けて、行動ばかりを重視する傾向は、「人間の本質とでもいうべきは、理性的、知性的なものでなくて、むしろ情性的、意欲的なものである。」と述べて、知性によって物事をわきまえることを軽んじ、人間は知性よりも行動が先んじる生き物だと定義した東洋思想の思想家の考えにも重なる。
  
しかし、聖書が警告しているのは、すべての霊、すべての力が、神の霊から来るものではなく、悪霊に由来する力もあるため、それが一体、何の霊に由来するものであり、誰の支配がそこで成立しているのかを見極めなさい、ということである。

神の国の支配は、正しい信仰信条と一体であり、それなしには成立しない。ロゴスとしてのイエス・キリストのすべての御言葉と、デュナミスとしての神の国の霊的支配は完全に矛盾なく一致する。

「正しくない者が神の国を受け継げないことを、知らないのですか。思い違いをしてはいけない。みだらな者、偶像を礼拝する者、姦通する者、男娼、男色をする者、泥棒、強欲な者、酒におぼれる者、人を悪く言う者、人の物を奪う者は、決して神の国を受け継ぐことができません。」(Ⅰコリント6:9-10)
 
以上のような資格要件を満たしていない者が、神の国の継承者となれるはずがない。これはほんの一例に過ぎず、要するに、神の御言葉を守って生きていない者が、神の国に入ることは決してないのである。

にも関わらず、神の御言葉を守り、御言葉に従い、御言葉の中にとどまる、という資格要件を無視して、ただ「力」だけを追い求め、これを身に着ければ、それが神の国の現れにつながると主張することは、根本的な偽りである。

彼らは実際に何かの「力」を発揮するかも知れないが、聖書の御言葉を軽んじる者たちの「力」の出所は、たった一つしかない。それは悪霊に由来するパワーである。ニューエイジの目的は、堕落した肉に働く悪霊に由来するパワーを通して、人体に眠っている未知の力を引き出し、人体を変容させて、神のような「超人」を生み出すことにある。

ペンテコステ運動のような偽りのキリスト教も、それに従い、聖書の御言葉でカモフラージュしながら、超人への「道」を目指しているのである。しかも、その偽りの教えの特徴は、常に「集団で超人化する」ことを目指すところにある。

本物のキリスト教が、常に個人的な信仰に根差すものであり、個人が自主的に信仰を通して自己を否んで日々の十字架を負い、神の御言葉を守ってキリストに従うことを求めるのに対し、偽りの教えは、常に集団で超人的な力を行使して神に近づこうとする

すでに見たように、東洋思想においては、個人は個人のままでは意味をなさず、集団の中で自己を手放し、集団(全体)と一つとなって初めて意味を持つとみなされている。そこで、東洋神秘主義が最終的に目指すのも、個人が修行を通じて「神のようになる」ことだけでなく、集合体としての人類が変容を遂げて、人類という種族が「神のようになる」ことなのである。

そこで、彼らは自分たちが究極的に目指している超人的な人体の変容さえ、集団で行おうとする。個人的なレベルでなく、集団的なレベルで超人的なパワーを発揮することにより、世界の変革を目指すのである。
 



また”マスター・マインド”という手法がある。
これは同じ意識を持つ者が集う行為を言う。
この行為により、宇宙に放たれるエネルギーの量が増幅する。
もし十分な人が集まり、同じ目標やアイディアが放出されるなら、
それはグローバルな影響を及ぼすことも…

これを実演したのが、90年代の超越瞑想者たちだ。
大人数でワシントンDCに集まった彼らは
犯罪率の低下を実現することに。
より多くが集まると、犯罪率が低下した。
これからはエネルギーを利用した。



   
むろん、超越瞑想者の集団などはキリスト教とは何の関係もない。Eden Mediaは、ヨガも、武術も、瞑想も受け入れ、もはや見境なく何でもありになっている。

私たちは、以上のような集団的な試みが、何を意味するか、聖書を通して知っている。「犯罪率を低下させる」などの聞こえの良い言葉に欺かれてはならない。同じ意識を持つ者同士が集まり、悪霊に由来する「気」を集団で行使し、連帯して超自然的パワーを発揮して、全世界を思うがままに操り、塗り替え、自分たちの力で地上に幸福社会を打ち立てようという試みは、もちろん、未完に終わったバベルの塔建設の再開の願望を意味するのである。

「 全地は同じ発音、同じ言葉であった。時に人々は東に移り、シナルの地に平野を得て、そこに住んだ。 彼らは互に言った、「さあ、れんがを造って、よく焼こう」。

こうして彼らは石の代りに、れんがを得、しっくいの代りに、アスファルトを得た。 彼らはまた言った、「さあ、町と塔とを建てて、その頂を天に届かせよう。そしてわれわれは名を上げて、全地のおもてに散るのを免れよう」。

時に主は下って、人の子たちの建てる町と塔とを見て、言われた、「民は一つで、みな同じ言葉である。彼らはすでにこの事をしはじめた。彼らがしようとする事は、もはや何事もとどめ得ないであろう。さあ、われわれは下って行って、そこで彼らの言葉を乱し、互に言葉が通じないようにしよう」。

こうして主が彼らをそこから全地のおもてに散らされたので、彼らは町を建てるのをやめた。これによってその町の名はバベルと呼ばれた。主がそこで全地の言葉を乱されたからである。主はそこから彼らを全地のおもてに散らされた。 」(創世記11:1-9)

<続く>

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