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私ではなくキリストⅣ

「私は、神に生きるために、律法によって律法に死にました。私はキリストと共に十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。」(ガラテヤ2:19-20)

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キリストの内に隠れる(3)

人は、自ら発した言葉によって、自分の霊的な世界を規定し、霊において創造する。

だが、言葉は誤りやすい不完全なもので、私たちの思いを必ずしも正確に表さない場合がある。だから、キリスト者の信仰告白は、決して言葉だけが全てなのではない。

キリスト者は、自らの言葉と、心の思いと、態度とで、自らの霊的世界を規定して行く。

むろん、悪魔と暗闇の軍勢は、この世を支配下に置いて、ありとあらゆる厄災と混乱を日々、そこにもたらし続けている。

その混乱に満ちた世に身を置いていながら、信者は悪魔の支配とは全く別の、キリストの統治をこの世に確かにもたらしている存在なのである。

キリストの統治とは、すべては御子の御業によって、永遠に完成された、という統治である。それは混乱ではなく秩序と調和に満ち、何の欠けたところもない、神の御心にかなう統治である。
 
そして、信者の「統治」は、主と共なる霊的な創造行為であり、信者自身の言葉と、思いと、態度によって、その統治内容が規定されて行くのである。

キリストによって新しく生まれた人は、神の命に基づく霊的統治の力を知り、これを引き出すべきである。それによって悪魔に勝利する方法を見つけるべきである。

もし注意深く自分の心と周囲で起きている事柄の関係を観察するならば、信者はたとえ気づいていなくとも、自分の言葉と心の願いによって、霊的統治権を行使していることが分かるであろう。

信者は自分が願っているものを、神に率直に願い出て、実体化することができる。だから、自分が何を願っているのか、心の本当の願いに正直になって、これを言葉にして神に求めなさい。

世がますます悪くなって行くからと言って、その影響に心を支配されて、悪い言葉や、悪い想像や、悲観的で絶望的な思いに明け暮れるのをやめて、自分は神に何をしてほしいのか、心の中にある本当の願いを率直に言い表しなさい。

言葉に出して祈ることも有益であるし、言葉に出さずに心の中で祈っても良い。紙に書き出しても良いし、人に伝えても良い。
 
これは世で言われているような、単なる「ポジティブ・シンキング」やら、自己啓発といった類の話ではない。ただ聖書の神がどのような方であるか、そしてどれほど神が信者を愛して下さり、信者に豊かな命を与えて下さり、信者を常に気にかけて、あらゆる恵みで満たして下さろうと待ち構えておられる方であるか、そのことだけを一心に見つめ、あらゆる状況にも関わらず、それだけを事実として受け取るのである。

もし信者が自分の願いを神に率直に言い表したら、それがすでに霊的な世界において実体化されたことを信じて、受けとる態勢を整えるべきである。少しばかりの時差を置いて、それは現実になる。信者の願いが、御言葉に基づいて、現実になって現れて来た時に、「本当に願いが叶えられるだろうか」などと、不安がっていると、受けとるタイミングを損なう。だから、そうならなくて済むよう、神に何かを願ったら、心の不安を捨て、しっかりと神を信じて、心を期待でいっぱいにしながら、いつどんなタイミングでそれが与えられても、しっかりと握れるよう、忍耐強く待ち続けることである。時間がかかったからと言って、神を疑わず、動揺しないことである。

悲しいことがあっても、落ち込むことがあっても、死のあるところには復活が働くから、神は信者の「損失」に見える出来事を、もっと豊かな祝福で覆って下さることを信じるべきである。何が起きても、神を賛美し、それを神の偉大さと恵み深さが証明されるための機会へと変えて行けることを確信すべきである。

信者はそのようにして、自分の心と思いと態度とをコントロールすべきである。それはただネガティブな気分に落ち込まないといったことではなく、常に神のご性質、神のご人格、神の御思いに心を向けるようコントロールすべきなのである。
 
この世の状況は移り変わるが、神は移り変わらない。どちらがリアリティかは一目瞭然である。リアリティでないものに翻弄されるのは、最小限度にした方が良い。世の中の情勢がどうあれ、信者を取り巻く状況がどれほど悲観的に見えたとしても、神があらゆる祝福で信者を満たそうと願っておられるその御心は決して変わらないのだ。

だから、奴隷が主人の手を一心に見つめるように、信者は期待を込めて、神を見つめるべきである。

分厚い雲の上にも、常に太陽が輝いているように、世が闇に覆われていようとも、信者がその混乱から目を背け、天に目を向けるならば、そこに光輝く、永遠に変わらないお方がおられ、いつでも、神との同労によって、信者は環境に対する支配権を行使できる。

神のご性質は決して変わらないこと、その神が信者の味方であり、信者と共に生き、歩んで下さることを固く信ずべきである。

エペソ書にあるように、神はキリストにあって、私たち信ずる者を天地の基が据えられる前から選び出し、そしてあらゆる霊的祝福ですでに満たして下さっているのである。

繰り返すが、神はすでにキリストを通して、信者をあらゆる霊的祝福で満たして下さっているのである。この祝福を生きて実体化することが、信者の務めである。

だから、この世の状況がどうあれ、自分が置かれている状態がどうあれ、過去に何が起こったにせよ、そうした一時的に過ぎない状況を見て、恐れに駆られ、悲観的な思いに支配されたり、悩みに落ち込んで立ち上がれなくなるようなことを、可能な限り、避けるべきである。

状況から目をそらしなさい。そして天に目を上げなさい。

状況は一時的なものに過ぎないが、神は永遠に変わらない確かなお方であることに目を向けなさい。そして、あなたはもはや一時的なものから生まれたのではなく、永遠なるお方から生まれたのであり、キリストは永遠にあなたと一つとなって下さり、あなたのために常に父なる神にとりなし、あなたに必要なすべてを供給して下さる事実に目を向けなさい。

心に平安がやって来て、神がどのような方であるかがはっきりするまで、状況から目を背けて、天におられる父なる神だけに目を向け続けなさい。そして、あなたのものである天の祝福と恵みに思いを向けて、これを大胆に地上に引き下ろしなさい。

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ひとこと

神である主、イスラエルの聖なる方は、こう仰せられる。「立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る。」(イザヤ30:15)

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