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私ではなくキリストⅣ

「私は、神に生きるために、律法によって律法に死にました。私はキリストと共に十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。」(ガラテヤ2:19-20)

村上密・杉本徳久の両名を被告とした民事訴訟(第一審)の総括(5)兄弟に『ばか』と言う者は、最高法院に引き渡され、『愚か者』と言う者は、火の地獄に投げ込まれる。

1.兄弟に「馬鹿」という者は最高法院に引き渡される。信徒を馬鹿にする村上密のメール


さて、 第一審の目的は、サイバーカルト監視機構がこの世に存在するかどうかを事実認定することにはなく、そのような機関が存在していないという事実認定が下されたわけでもない。

にも関わらず、一体、なぜ村上密がこの問題について躍起になって否定しているのか、筆者は理解に苦しむ。
 
とはいえ、読者には、次の事実をよくお考えいただきたい。

まず第一に、杉本徳久による当ブログに対するバッシングは、2009年に村上密が当ブログに対する批判記事を発表した直後に始まった。その頃、以下に示す通り、杉本は自らのバッシング記事の中で、村上の記事のURLを引用していた。

 

村上は2009年以降、自らのブログで、それ以上、当ブログを批判することはなかったが、それと入れ替わるように、杉本からの当ブログへの執拗なバッシングが始まった。

さらに、今回の判決で、杉本に賠償とブログ記事削除が命じられると、今度は村上が杉本と入れ違いに、自らのブログで、当ブログ執筆者を標的として非難し、権利侵害を行う記事を投稿し始めたのである。

このようなことを、読者はどう思われるであろうか?

また、第一審の口頭弁論は、昨年12月に終結し、それから判決言い渡しまで、3ヶ月の期間があったが、この間、インターネットでは、日夜、当ブログ執筆者に対する想像を超えるほどの激しい大規模な嫌がらせ行為(権利侵害)が行われた。

今もって続いている掲示板における当ブログに対する権利侵害の書き込みのほぼ9割近くは、村上密を擁護する立場から行われていることも注目に値する。

かつて筆者が親しく交わりを持っていたある信者(すでに他界)が、次のようなことを述べたことがある、

「主監者を見なくても、信徒を見れば、主監者がどういう人間かは大体分かる。」

まさしくその通りであって、ある宗教指導者がどういう人物であるかは、それを取り巻く信者たちの顔ぶれを見れば、おおよそ察しがつくと言って良い。

特に、その宗教指導者を批判した時に、何が起きるのかをよく観察してみる必要がある。ある指導者を批判すると、途端に、本人からただちに非難記事の掲載という報復措置があり、さらに、ヤクザのような無数のコメント投稿者が、寄ってたかって、掲示板で匿名で誹謗中傷を始めるなどの出来事があれば、そのような現象が起きる宗教指導者には、絶対に近寄るべきでないと言えよう。

この点で、村上密(および杉本徳久、唐沢治)を批判した際に起きるインターネット上の集団リンチは、他の宗教指導者には見られない特異かつ悪意に満ちた現象である。
 
村上密を批判した時に起きる、当ブログへのすさまじいネット上のリンチは、2009年から現在まで続いており、このように長期に渡る集団的な嫌がらせ行為は、他の宗教指導者には、全くと言って良いほど見られないものである。

掲示板では、現在も、村上の言い分を鵜呑みにした信者たちが、当ブログに対する批判のみならず、すさまじいほどの権利侵害を繰り広げている。

これほどガラの悪い取り巻きばかりが支持者・擁護者となっている宗教指導者は、プロテスタントではまず他に見たことがない。

こうした大規模なネット上のリンチに、村上密本人がどこまで関わっているのか、関わっていないのかは不明だが、いずれにしても、非常に大きな疑問に感じられるのは当然である。

ちなみに、筆者は今でも、杉本徳久の行為は、杉本が単独でやったものではない可能性が高いと考えている。

まず、村上は第一審において、杉本と共に、筆者を完全に馬鹿にしたメール文通を書証として提出して来た。

何とそこには、村上が欠席した昨年10月22日の口頭弁論に、被告側からは一人で臨んだ杉本が、筆者がこの弁論で述べた主張を歪曲・捏造して、「ヴィオロンが口頭弁論時に、被告らによって自分のパソコンがハッキングされたと主張した」などと、筆者が述べてもいない荒唐無稽な嘘を書き記して、二人で原告を馬鹿にした内容が書いてあったのである。

もちろん、原告はこの訴訟において、被告らが原告のパソコンをハッキングしたなどという主張を一度も提示したことがない。

だが、そのことをさて置いても、これは村上の人間性がよく分かるメールだと思う。
(一つ目以外の画像はすべて村上のメール。)





さらに、次の書面も、杉本が提出して来たものであるが、村上密が内心で、信徒をどれほど馬鹿にしているかがよく表れているメールだと言えよう。

ここでは、いみじくも、杉本と村上がまさに筆者を「馬鹿」と罵ったメールを、二人で示し合わせて訴訟に提出することで合意した様子が記されている。


このようなメール文通を書証として訴訟に提出するなど、筆者から見れば、とてもではないが、訴訟を単なる悪ふざけの場だと勘違いしているとしか思えない愚行である。

むろん、キリスト教徒としても、それは絶対にあるまじき行為である。
マタイによる福音書にはこうある。

「しかし、わたしは言っておく。兄弟に腹を立てる者はだれでも裁きを受ける。兄弟に『ばか』と言う者は、最高法院に引き渡され、『愚か者』と言う者は、火の地獄に投げ込まれる。だから、あなたが祭壇に供え物を献げようとし、兄弟が自分に反感を持っているのをそこで思い出したなら、その供え物を祭壇の前に置き、まず行って兄弟と仲直りをし、それから帰って来て、供え物を献げなさい。

あなたを訴える人と一緒に道を行く場合、途中で早く和解しなさい。さもないと、その人はあなたを裁判官に引き渡し、裁判官は下役に引き渡し、あなたは牢に投げ込まれるにちがいない。はっきり言っておく。最後の一クァドランスを返すまで、決してそこから出ることはできない。」(マタイ5:22-26)


さて、ここで言われている「和解」とは、被告らが唱えたように、提訴や反訴の脅しをかけることによって、自分に不都合な発言をする信者の口を封じようとすることではない。

この聖書箇所が非常に象徴的なのは、「早く和解せよ」と、御言葉が急を告げているにも関わらず、その忠告を退けるなら、裁判官は兄弟を罵った者に不利な判決を下し、その判決に従って、その者は「牢に投げ込まれる」と書いてある点だ。

これは非常に象徴的であると筆者は思う。なぜなら、このメールを提出した時点では、被告らの双方が告訴対象となっていたわけでもなければ、その後、双方に不利な判決が下されたわけでもない。ところが、今や時間の経過と共に、双方に同じ運命が降りかかろうとしているのである。

さて、話を戻せば、このようなメール文通の内容から、私たちは、杉本徳久と村上密がいかに意気投合して、原告である筆者を共に見下し、嘲り、罵っていたかをよく理解できよう。

しかも、二人が原告を罵っていた理由は、ありもしない理由であり、筆者の主張を捏造したものであるから、極めて不当である。また、この文通の内容からは、村上が筆者の提起した訴訟そのものを徹底的に嘲っていたこと、また、杉本の行為をいささかも不法行為であると認識していなかった様子がよく分かる。

このように、杉本は当初から、村上と歩調を合わせ、メールでは意気投合さえしていたのであり、その後も、村上と一緒になって、筆者が彼らの唱える和解条件を飲まないならば、反訴するとの脅しをかけていたが、第一審の最後の口頭弁論において、村上が反訴しないと分かると、「村上さんが反訴しないなら、私もしません」と、村上と歩調を合わせて、反訴を取りやめる態度を見せたのである。
 
第一審では、杉本―村上の明白な共謀関係は立証されていないとはいえ、もしそれが事実であるならば、このように杉本が村上に歩調を合わせて反訴を中止する必要はなかったはずである。

むろん、控訴についても同様のことが言える。村上が不法行為に問われなかったからと言って、杉本の控訴する権利が失われるわけではない。それにも関わらず、筆者が杉本の控訴はあり得ないと予想しているのは、ただ控訴によって、判決を覆せる見込みが薄いというだけではない。

これまで杉本が、常に村上を擁護する立場から筆者に反論し、村上の都合を理由に反訴を見送ったことを考えても、その杉本が、自らの控訴によって、村上を再び不利な立場に立たせるチャンスをわざわざ筆者に与えるとは思えないのである。

さらに不可解なことは、すでに述べたように、杉本の行為が不法行為であると認定されたにも関わらず、杉本が自らのブログで筆者を非難できなくなったことを皮切りに、今度は村上密本人がお出ましになって、自らのブログで筆者の権利を侵害したり、筆者を非難し始めたことだ。

もしも杉本と村上との間にいかなる共謀関係もないなら、なぜ村上は、杉本が当ブログをバッシングしていた間、ずっと沈黙していたのであろうか。なぜ杉本に賠償が命じられるや、長年の沈黙を破って、過去の記事について批判を始めたのであろうか。

こうした事実は、筆者の疑惑をますます深めるだけである。筆者から見れば、杉本は村上の思惑を忖度して行動していたに過ぎず、黒幕は杉本ではない。だが、その杉本が口を封じられたので、村上は仕方なく自分で当ブログ執筆者を非難するしかなくなったのだと見られる。

これまで一度でも村上密のもとに身を寄せたことのあるカルト被害者や、村上の教会にいる信徒らは、こうした現象を、よく見ておくことである。自分も村上から内心ではこのような目で見られている可能性があることをよくよく覚えてもらいたい。

村上の宗教トラブル相談センターとは、このような場所である。学歴があろうと、教養があろうと、同じ教団で子供の頃から育って来た信徒であろうと、村上は自分に盾突く人間を、こういう目でしか見られず、こういう扱いしかできない人間であることを、読者はよくよく覚えて置かれたい。

仮に現時点で、村上が法的責任を問われておらずとも、杉本と一緒になって、信徒をこのように見下し、嘲り、罵り、信徒からの提訴を受ければ、反訴の脅しをかけて、口を封じようとしたことが分かりながら(自分の無実を主張するために信者に反訴の脅しをかける必要はない)、この牧師のもとに身を寄せたいと願う信徒はもはやいまい。

誰がこんな恐ろしい牧師のもとに信仰の相談に行きたいと願うだろうか。行く前に、当ブログに起きていることを参考に、よくよく考え直すことをお勧めする。

村上のメールは、まさに掲示板の誹謗中傷のレベルと同じだ言わざるを得ない。何よりも、杉本があれほど筆者を誹謗中傷している最中、牧師として、いささかも杉本をいさめず、怒りを解くよう説得することもなく、誹謗中傷をやめるよう戒めることもなく、かえって杉本と共に、原告であった筆者を嘲笑する側に立ったことは、村上の牧師としての資質を根本から疑わせる事実であり、今後、宗教界での村上の信用を完全に失墜させる行為であると言えよう。

これを読めば、村上は、日夜当ブログを誹謗中傷している掲示板とも無関係ではないのではないかという推測が生まれるのも致し方ないことであろうと筆者は思う。

このような現象が起きていることを踏まえた上で、読者は、なぜ今、村上がしきりに「サイバーカルト監視機構はない」などと躍起になって反論せねばならない必要性があるのか(しかも、村上が挙げているのは、筆者が何年も前に書いた記事であって、第一審の争点でもない)、今一度、よくよく考えてみられたい。
  
掲示板にも、村上の忖度信者が溢れているが、掲示板のコメント投稿者も告訴対象となっており、間もなく捜査が及ぶことになるので、ここにおいても、村上を擁護する者はいずれいなくなるであろうと見られる。

どんなに最初は取り巻きが多くとも、最後は一人の勝負である。神と人との前で、たった一人で立ちおおせる力が、果たしてこの牧師にあるのだろうかと疑問に思う。

 
2.「サイバーカルト監視機構はない!」と主張する人々による犯罪行為 へ続く 

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