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私ではなくキリストⅣ

「私は、神に生きるために、律法によって律法に死にました。私はキリストと共に十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。」(ガラテヤ2:19-20)

村上密・杉本徳久の両名を被告とした民事訴訟(第一審)の総括(15)―わたしのために、罵られたり、迫害されたり、ありもしないことで悪口雑言を言われたりするときは幸いです。

10.村上密ら牧師による強制脱会活動の手口と、当ブログに対して行われた権利侵害の類似性

義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。わたしのために、ののしられたり、迫害されたり、また、ありもしないことで悪口雑言を言われたりするとき、あなたがたは幸いです。 喜びなさい。喜びおどりなさい。天においてあなたがたの報いは大きいのだから。あなたがたより前に来た預言者たちも、そのように迫害されました。」(マタイ5:10-12)

さて、一つ前の記事では、村上密その他の牧師が率いたカルト宗教からの拉致・監禁という暴力を伴う脱会運動の犠牲者になった統一教会の信者の手記を紹介した。

これを読めば、この暴力を伴う脱会運動で使われた手口が、筆者に対して、村上密・杉本徳久および掲示板の投稿者らによって行われて来た集団的な権利侵害の手法に非常に酷似しているという印象を持たれた読者も多いのではないかと思う。

ただし、前の記事で引用した統一教会の信者の手記の内容を見ても分かるように、こうした一連の人権侵害を伴う強制脱会活動の中で、村上は、自分は提訴されることがないよう、人権侵害に直接関与した証拠を残さないよう巧妙に立ち回って来た。従って、村上自身はこうした強制脱会活動のために提訴されたことはないはずである。

しかし、信者を奪われた統一教会側からは、村上以外の牧師たちに対し、反撃のための提訴が行われた。しかも、当初は、拉致・監禁による信者の脱会活動の暴力性を訴えた裁判は、反カルト運動を率いる牧師や信者の親族らによって、「親子関係の問題」にすり替えられ、敗訴に終わるケースが多かったようであるが、近年、拉致・監禁による脱会活動に対する世間の目は、より厳しくなり、「親子関係」や、「カルト宗教によってマインドコントロールされた信者の救出のため」などという名目では、もはやごまかせず、そんな理由で人権侵害は容認されないという方向へ転じた様子が伺える。

実際に、村上以外の強制脱会活動に関わったキリスト教の牧師や、これを手伝った「職業的改宗活動家」に対しては、拉致・監禁によって信者にPTSDを発生させ、社会復帰を不可能にしたとして、2千万円を超える賠償命令が出された例もある。

統一教会の公式ホームページに以下の記事が掲載されている。筆者はキリスト教徒として、統一教会の理念に賛同することはできないが、それでも、筆者もまた信教の自由を擁護する者の一人として、キリスト教の牧師を名乗る者たちが、「カルト宗教からの信者の救出」という美名の下に、こうした人権侵害を容認して来たことは、あるまじき所業であり、全キリスト教徒は他宗教の信者に対して、牧師らが行ったこの忌まわしい暴力行為から目を背けるべきではないと考えている。
 

後藤徹氏の控訴審で勝訴判決! 被告らに2200万円の賠償命令
2014年11月14日

11月13日(木)午後2時半から、東京・霞が関の東京高等裁判所で、「全国拉致監禁・強制改宗被害者の会」の後藤徹代表が、自身に対する拉致監禁・棄教強要に関与した親族や新津福音キリスト教会の松永堡智(やすとも)牧師、職業的改宗活動家の宮村峻(たかし)氏などを相手取って起こした民事裁判の控訴審判決が言い渡されました。

裁判長は、拉致監禁の事実認定について後藤代表の主張をほぼ全面的に受け入れ、一審被告である兄夫婦と妹の3人に対して総額2200万円の支払いを命じるとともに、同じく一審被告である宮村氏に対しては、上記損害のうち1100万円を、また松永牧師に対しては同440万円を連帯して支払うよう命じました。

 東京高裁は判決で、後藤代表が1995年9月、都内の実家からワゴン車に乗せられて新潟市内のマンションに拉致されて以降、2008年2月に東京・荻窪のマンションから解放されるまでの約12年5か月にわたり、「監禁」ないし「行動の自由の違法な制約」がなされていたと認定。

 その上で、松永牧師については、後藤代表の家族の違法行為を「黙認」「鼓舞」したばかりか、「(後藤代表の)自由を制約して脱会の説得をすることを幇助していた」と判断しました。

 また、宮村氏についても「(後藤代表の)拘束について、これを理解した上で幇助していた」とし、さらに松永、宮村両氏は後藤代表に対して、統一教会の信仰を棄てることを強要していたとして、「共同不法行為責任を負うべきである」と言明しました。

 今回の控訴審判決は、賠償金額以外の点では極めて公正妥当な認定判断を行い、拉致監禁、脱会強要活動を断罪したもので、信教の自由の観点から高く評価できるでしょう。これまで、統一教会信者に対する拉致監禁、脱会強要活動に対して、「親子の話し合い」なる弁明を採用してその違法性を減殺しようとする判決もありましたが、今回の判決によって、今後は、こうした弁明は一切通用しなくなることでしょう。

 後藤徹代表のコメント

 「31歳から44歳までの12年5か月にわたり、同じ天井と壁を見るだけの毎日でした。最後の約10年間監禁されていたのは、表の通りをたくさんの人が行き来する東京・荻窪のマンションでした。現在の日本においてこのような事件が実際に起こるとは最初の頃は信じてもらえませんでしたが、一審判決を経て、今回、より一層踏み込んだ判決を得ることができました。松永、宮村両氏から徹底的に教育され、焚きつけられた結果、家族は長期間の監禁事件を引き起こしたと考えています。こうした犯罪が過去50年近くにわたって行われ、約4300人が被害を受けてきました。中には、自殺に追い込まれた女性や、マンション6階から逃げようとして地面に落下し瀕死の重傷を負った男性もいます。私の裁判を通して、そのような現実を一人でも多くの方々に知って欲しいと思います
<後略>


カルト宗教の信者であろうと、いかなる宗教の信者であろうと、他宗教の信者であることを口実にして、キリスト教の牧師らが人権侵害を正当化するなど、もっての他であることは言うまでもない。もちろん、そんな教えが聖書によって容認されるはずがないのは明らかなので、そうした所業に手を染める牧師が、正統なキリスト教の教えに立っていないことも言うまでもない。

だが、筆者こうした事例を引き合いに出すのは、筆者自身が、村上の支持者によって「カルト宗教の洗脳を受けた信者」「マインドコントロールされた信者」「異端者」などに仕立て上げられ、インターネット上で激しいリンチのような攻撃を受けて来た事実があるためである。

むろん、拉致・監禁による他宗教の信者の強制脱会活動と、当ブログを巡って起きた権利侵害を、すぐさま同一視することはできない。筆者自身は直接的な暴力を振るわれたことはなく、監禁されたわけでもなく、インターネット上で寄り集まって当ブログに対して日夜権利侵害に及んでいる人々の間に、どのような共謀関係が成立しているのか、という点も、未だ明らかにされてはいないからだ。

とはいえ、その点を措くとしても、当ブログを巡って、村上密自身と、村上を支持する人々の側から、インターネット上で、日夜、激しい権利侵害が集団的に行われて来たことは、紛れもない事実であり、その有様は全体として見ると、不思議なほど、反カルト運動の強制脱会の手口に酷似していることに驚かざるを得ない。
 
いわば、反カルト強制脱会運動をインターネット上で実施したものが、当ブログに対して行われた権利侵害だと考えると非常に理解しやすいのだ。
 
当ブログに対するインターネット上のバッシングの発端は、2009年夏に村上密が筆者を非難するために発表した記事にある。

筆者は村上と同じ教団で幼少期から信仰を持ったが、2008年に他教会で起きたトラブルの相談のために、村上の教会を訪れ、解決を得られなかったことをきっかけに、村上の活動それ自体に疑問を持つようになり、2008~9年にかけて、村上の唱えた「カルト監視機構」の構想を検証して批判し、かつ、甲師の物語を発表して、村上ら牧師が行って来た強制脱会運動の問題点を明るみに出した。
 
ると、2009年7月に早速、村上自身がブログ上で、筆者に対する2つのバッシング記事を発表し、これがその後、長年に渡って続くネット上の当ブログへのバッシングの引き金になったのである。

これらの記事で、村上は筆者の指摘した「カルト監視機構」の反聖書性という問題にはほとんど言及することなく、むしろ、カルト監視機構は設立されていないため、筆者の記事は「誤報」であると非難し、さらに、筆者は「交流の少ない所で生活」しており「情報はインターネットが頼り」であると決めつけ、筆者は「話題作り」のための「創作」として「甘っちょろい空想」を述べ、「あなたの世界を形成」しているだけであって、なおかつ、「藪の中から石を投げて顔を出さない無責任な生き方」をしているだけであると決めつけ、筆者が実名を公表せずにブログを執筆している行為を暗に非難していた。

こうした村上の記述は、当初から、あたかも筆者が精神不安定な状態で、引きこもり生活を送り、非現実的な独自の世界観に基づく根拠のない空想を述べているだけであるかのような、事実に反するイメージを読者に抱かせる狙いがあったと言えよう。

要するに、村上は筆者の論に真正面から反論する代わりに、筆者が精神的に不安定な状態にあるかのように示唆する、筆者に対する人身攻撃とも受け取れる印象操作を行うことによって、村上は自分の活動を批判した筆者の論の信憑性を読者に疑わせようとしたのである。

だが、こうした記述は、単なる印象操作にとどまらず、村上自身の願望を反映したものであったように感じざるを得ない。

つまり、おそらくはこの時点から、村上は自分の活動に反対する筆者を、あたかもカルト宗教に入信した信者と同じように、「危険思想の持主」であるとみなし、それゆえ、筆者に考えを改めさせる必要がある、と認識していたのではないかと思われる。
 
そこで、村上はできるならば、筆者が「誤った考え」をことごとく捨てるまで、実際に筆者を自由の制限された、「交流の少ない所で生活」させて、偏った一方的な情報しか受けられない状況に置き、再教育を施さねばならない、という危機感を持ち、これを願望として、以上の非難の中に込めたのではないかと疑われるのである。

その疑惑は、村上の批判がその後、杉本徳久にバトンタッチされて、どのように受け継がれ、発展させられて行くかを見れば、より深まって行く。
 
村上がこうした記事を発表した直後から、杉本徳久からの筆者に対するバッシングが始まった。(杉本は以前には村上を偽預言者と同列に置いて非難していたが、その後、立場を翻し、カルト被害者を助ける牧師が他にいないという理由で、村上の活動を支持するようになった。)
 
次の記事にも杉本のメールを示す通り、2009年11月、村上の活動に疑問を抱いたことをきっかけに、筆者はカルト被害者救済活動そのものと訣別したいと考え、その意思表示を行って、杉本のブログにかつて投稿した1件のコメントを削除してもらえるよう依頼すべく、杉本に宛ててメールを送った。

しかし、杉本は筆者の依頼に激怒して、これを拒否したにとどまらず、筆者が「匿名に隠れている」と非難して、筆者に個人情報を明かすよう執拗に要求し、筆者がそれに応じないことにさらに激怒し、また、筆者が「エクレシアの兄弟姉妹との交わり」の中にいるとメールに記していたことに、とりわけ強い不快感を示し、「あなたからは、一切、謙虚な心が感じられません。そのままであれば、私に限らず、これからも多くの人から拒絶されるであろうと思われます。」などと書き送って来たのである。

杉本のメールの文面は次の記事に掲載する通りであるが、このメールをやり取りした直後に、杉本が筆者をバッシングするために発表した一連の記事で使われた非難の言葉を見ると、杉本の筆者に対する非難は、村上の主張を土台とし、これをさらに発展させて、筆者を中傷するものであった様子が伺える。

一例を挙げれば、

村上「創作」、「誤報」、「甘っちょろい空想」
⇒杉本「妄想」、「思い込み」、「作り話」、「市井の良識から外れた文面」

村上「藪の中から石を投げて顔を出さない無責任な生き方」
⇒杉本「匿名に隠れている」

村上「交流の少ない所で生活」、「情報はインターネットが頼り」
⇒杉本「まともな職に就けず」、「社会的受容を受けられず」

村上「あなたの世界を形成」
⇒杉本「「現実と妄想の区別がつかない」、「精神疾患」、「人格障害」、「宗教洗脳」
 
杉本による当ブログへの非難は、約10年間ほど続けられ、その間、杉本は幾度となく、筆者が杉本にとって不都合な言動をやめなければ、筆者の個人情報を公開すると脅しつける内容のメールを送って来た上、2016年頃からは、筆者を刑事告訴すると予告、さらにその非難の内容は時を追うごとにますますエスカレートして行き、ついに2017年頃には、次のような記述により、筆者の信念をあからさまにキリスト教の異端であると決めつけては、筆者はカルト宗教による重症の宗教洗脳(マインドコントロール)を受けて、現実と妄想の区別がつかなくなり、社会生活を送れない重症の精神障害に陥っているかのように、事実に反して決めつけて誹謗中傷するようになった。

「まともな職にも就けず、強い孤独感、孤立感に苛まれ、社会的受容を受けられず、職業的自尊心も持てない現状に、ヴィオロンが苛立っていることに起因している。キリスト教的な異端新興宗教を次々に吸い込み、極限的に妄想を募らせた結果のことであった。」

むろん、こうした記述が、一審で名誉毀損と認められ、賠償命令が下される対象となったことは言うまでもないが、筆者はこうした杉本の記述のすべては、杉本一人の思いつきというよりも、それ以前から、強制脱会活動に携わって来た村上の願望を杉本が代理で言い表したものであるように感じられてならない。

2009年に村上は筆者に対する非難記事を掲載したが、その記事の反響を見て、牧師としての自分が直接、信徒を非難することは自分にとってマイナスイメージになると考えたのではないか。そして、本当は自分自身がバッシング記事を掲載したかったが、同じ頃、杉本が折よく筆者と対立し、次々と筆者を非難する記事を投稿するようになったので、村上はこれ幸いとばかりに沈黙を決め込んでいただけではないかと見られる。
 
筆者から見ると、杉本が表明した当ブログへの非難は、あらゆる点から見て、村上の願望を代理として言い表したものでしかなく、杉本は村上の願望を忖度してこれをかなえるためにこそ、当ブログや筆者に対して敵対的に行動し、一連の人権侵害に及んで来たとしか思えないのである。

もしも杉本と村上との間に何の協力関係もなく、杉本による権利侵害が、杉本が単独で行ったものであるならば、村上が未だに自らのブログで、一度も杉本に対する判決を明らかにせず、杉本の不法行為を非難していないことはおかしい。

もっと解せないのは、杉本が一審判決により口を封じられたことを機に、その後、2009年以来、当ブログに対して沈黙を守って来た村上が、いきなり10年来の沈黙を破って、直接、筆者に対する権利侵害に及び、筆者を糾弾し始めたことである。

この他にも、たとえば、杉本は筆者を刑事告訴すると言いながら、結局、告訴状の提出にも至らなかったが、その後、村上は、筆者を刑事告訴したなどと記事で発表している。この点においても、実は、筆者を誰よりも刑事告訴したかったのは、杉本ではなく、村上本人だったのではないかと考えられずにいられない。つまり、筆者から見れば、杉本は村上の願望を忖度して行動していただけなのである。

そう考えると、杉本が筆者に「異端宗教にマインドコントロールされて現実と妄想の区別がつかなくなった信者」であるかのような濡れ衣を着せ、筆者が社会生活が送れない状態にあるかのように触れ回り、筆者を精神的に追い詰め、まるで自殺させることが目的であるかのように、ひたすら名誉毀損行為を続けたのは、先の記事で見たように、村上ら強制脱会活動家の牧師たちが、カルトに入信した信者らを「救出(脱会)」させるという名目で、アパートの密室に拉致・監禁し、カルト宗教における集団生活から引き離しただけでなく、社会生活からも引き離し、自分たちに都合の良い一方的な情報だけを与え、自由を奪って棄教を迫りながら、延々と叱責や説得を続けた行為を彷彿とさせる。

ちなみに、筆者は過去に異端の宗教に入信したことは一度もなく、筆者がかつてカルト被害者という言葉を口にしていたのも、ただ単に牧師による行き過ぎたワンマン運営が行われるプロテスタントのカルト化教会でトラブルに遭遇した事実を指すために使っていたに過ぎない。

筆者は幼い頃から一度もキリスト教以外の宗教を信じたことはなく、カルトに入信していた過去もないため、誰かから「異端者」と決めつけられねばならない理由もなければ、説得工作の対象とされる理由もない。そして、筆者は生粋かつ本物のキリスト者であるから、どのような試練を受けとしても、聖書への信仰を捨てるつもりはない。

しかしながら、その生粋かつ正真正銘のキリスト教徒を自認する筆者でさえも、村上ら強制脱会活動家の牧師らによる人権侵害を伴う脱会工作には、絶対に賛同することはできず、かえって統一教会などの他宗教の信者の人権を擁護せざるを得ない。そして、ついに統一教会に入信していたわけでもない筆者までも、村上の支持者によって、統一教会の信者らと同じように「キリスト教の異端新興宗教」に次々と入信しては誤った道を歩いて来たカルト信者であるかのように仕立て上げられたのであるから、こうなってはもはや筆者が強制脱会活動家を擁護する理由は何もない。

マインドコントロールの第一段階は、信者が入手できる情報を、一方的で限られた内容に絞り、それ以外の情報から遮断して、信者自身が情報を取捨選択したり、様々な情報を比較しながら、何が真実であるかを検討することができないように仕向けることにある。

信者を長期に渡り、密室に監禁し、脱会活動に関わる牧師たちや、その影響を受けた親族の言い分以外に情報が入って来ない環境に置くことは、信者が自分自身で物事を客観的かつ公平に判断するための前提条件を奪い去って、マインドコントロールを成し遂げるための第一歩である。

強制脱会活動家の牧師たちは、カルト宗教のマインドコントロールを解くとい名目で、信者を不自由な環境に束縛しておいて、その環境を利用して、今度は、自分たちが彼らにマインドコントロールをしかける側に回った。

以上の記事では、脱会活動家の牧師たちが、信者に「誤った信念」を捨てさせるために、10年以上もの間、密室に監禁し、限られた情報しか与えず、仕事にも就かせず、社会から隔離し、ついには精神を病んで社会復帰も不可能になるほどまでに追い詰めていた事実が確認できる。

まさに形態は違えど、村上とその支持者から、当ブログに対して約10年間にも渡り、しかけられた誹謗中傷を彷彿とさせるような話ではないか? 

つまり、筆者から見れば、杉本は村上を支持し、村上の意向を忖度して動いていたとしか思えないのだが、その杉本が、筆者があたかも「カルト宗教の重症のマインドコントロール」に陥っている信者であるかのように見立てて、ネット上で激しくバッシングしていたのは、彼らの側が、筆者の信念を「誤った考え」とみなし、筆者がこれを捨てるか、もしくは筆者が「棄教」に応じない場合には、その懲罰として、筆者から社会生活を奪い去る目的で、激しい誹謗中傷という「説得工作」を行っていたと見られてならないのである。
 
幾度も述べた通り、筆者にはとてもではないが、以上のような虚偽に満ちたストーリーを杉本が単独で思いついたとは思えないのである。また、当時、杉本ブログには、筆者に向かって「聖書を捨てよ」と呼びかけるコメントも多数、投稿されていたことを見ても、彼らの投稿は、単なる中傷を目的としたものではなく、筆者に聖書に基づく自己の信念を捨てさせることが目的であった様子が伺えるのである。

こうしたネット上のバッシングは、筆者から見て、まさに強制脱会活動家らが、互いに権利侵害に加担している証拠が残らないよう巧みに立ち回りながら、その裏で情報交換を行い、計画的に話し合いながら、「異端者」とみなした信者を社会生活から引き離し、密室で「誤った信念」を放棄するよう、長期間、懺悔や「棄教」を迫るための人権侵害を伴う説得を繰り返していた様子を思い起こさせるものである。
 
彼らの当ブログと筆者に対する「脱会工作」(とあえて呼ぶ)は、今年に入ってからは、特に苛烈を極めた。杉本ブログが一審判決によってとどめを刺されてからは、今度は、誹謗中傷の舞台は村上ブログと掲示板に移り、掲示板では、見も知らない投稿者が、朝から晩まで絶え間なく寄ってたかって集団で、筆者に対する誹謗中傷のコメントを書き連ね、筆者に「誤った信念」を放棄し、村上・杉本陣営に降伏して「棄教」するよう求めた。

そうした投稿はすでに数千件に達しているが、その中には、筆者がジャンヌ・ダルクをきどっているとか、王妃エステルを自称しているだとか、ありとあらゆる方法で、筆者の信念を嘲笑・誹謗することで、杉本・村上の行為を悪事として訴えている筆者が、自らの考えを放棄して、訴えを投げ捨てるよう要求する容が記されていた。

こうした出来事は、筆者から見ると、まさに強制脱会活動家らが、信者を24時間密室に監禁して監視し、そこで絶え間なく信者の考えを誤りであると決めつけては論破しながら説得工作を行っていた様子に酷似するものである。

24時間、まるでラウドスピーカーでがなりたてるがごとくに、一人の信者に対して、「誤った信念」を捨てるよう、罵倒や叱責や嘲笑や非難の言葉をひたすら浴びせ続けるのである。とてもではないが、こうした出来事が偶然に起きうるものだと考えることはできないし、そう考える人もおそらくないのではないか。必ず、仕掛け人がおり、計画的に行われたことであるとみなさざるを得ない。
   
彼らが集団で信者を追い詰めたやり口は、以上に挙げた以外の観点から見ても、強制脱会活動の手法に非常に酷使している。

2017年以後、杉本は筆者のみならず、筆者の親族まで、ブログにおいて揶揄や中傷の対象とし始めたが、掲示板でも同様に、盛んに親族関係を利用した誹謗中傷が起きた。強制脱会活動においては、家族を巻き込んで大々的な人権侵害を行い、信者に心理的プレッシャーを与えて棄教を促すことが定石となっていたことはすでに確認した。

その他、先の記事にも書いたように、筆者の裁判を支援してくれているように見えたカルト被害者たちも、判決と同時に態度を翻したことを考えると、彼らも表向きには村上を批判しているように見えたが、実際には、そうでなかった可能性も考えられる。

先の記事で挙げた手記でも、強制脱会を行う牧師らは、元脱会者や元信者の家族を手先として利用しながら、新たにターゲットとする信者の情報を引き出し、信者を追い詰めていた事実が確認できるのである。
 
また、この他にも注目される点は、2010年頃から筆者は杉本の行為を嫌がらせとして警察に相談を行っていたが、杉本は筆者が警察に助けを求めたことにとりわけ強く反発し、筆者の被害相談を「狂言」だと決めつけて嘲笑していたことである。

2017年以降、杉本は次のような内容を次々と記事に書いた、「(ヴィオロンは)神奈川県警に「被害相談」をしたが、全く担当刑事に相手にされず事件として調べてもらうことさえ叶わずすぐに門前払いになっている。」「神奈川県警に「被害相談」をしたものの、頭がおかしい狂言と扱われ門前払いを受けた」「「迷惑行為」の張本人こそ彼女であって、彼女にはその自覚と認識が皆無である。」 

杉本のこのような記述は、強制脱会活動家の牧師たちや、その手先となった家族らが、拉致・監禁した信者が警察に助けを求めても、かえって信者自身が「精神異常者」ではないかと疑われ、「頭がおかしい狂言」とみなされて相手にされないよう、計画的に振る舞っていた様子を思い起こさせる。

実際に、杉本はこうした記事の発表により、筆者が精神異常に陥っているかのような虚偽のプロパガンダを流布するのみならず、筆者に先んじて、警察官らを自分たちの側に取り込むべく、筆者を中傷する準備書面などの裁判資料を、神奈川警察署に大量に送りつけていたことも判明している。

むろん、杉本は、筆者が司法の場を利用して、紛争解決を試みた際にも、筆者の訴えが虚偽であるかのように見せかけるために、筆者をしきりに精神異常者であるかのように吹聴する記事を大量投稿した。

それらの記事において、杉本は筆者が「司法制度を理解していない」と決めつけ、「ヴィオロンの調停申立書の内容は初めから最後まで意味不明の宗教論、神学論で溢れかえっており、法的な意味は全くない」とか「事実と妄想との区別がつかない彼女の文章」、「一読しただけではったりの虚偽がいくつも混じっていることはわかる」などと決めつけ、筆者の訴えが決して世間の人々に真面目に受け止められることがないよう、あらん限りの言葉で罵倒・嘲笑した。

さらに杉本は、「もちろん、警察官も裁判所書記官も公務員であるが、いざとなればこうして罵り続けてきた「公務員」に助けを求める。」などと、そもそも筆者が警察や裁判所に助けを求める行為自体が、あるまじきものであるかのように非難し、筆者が自分の人権を守ろうと手立てを講じる行為を徹底的に罵倒、否定したのである。

また、杉本は筆者の人権意識そのものが誤りであると決めつけ、「彼女にとっての人権感覚や規範意識は、21世紀の現代国家に相応しいそれではなく、ヴィオロンの脳内のみに通用する空想ユートピアの規範に準拠しており、市民社会の秩序に沿っていない。」とか、「そのような空転した脳内の事実を妄想ではなく現実だと本気で信じ込んでいる点がヴィオロンの洗脳状態を如実に物語っている。」などとして、筆者は「カルト宗教の洗脳」のために、物事の正常な判断がつかなくなって、無意味な騒ぎを起こしているだけであると徹底して中傷した。

こうした記述は、むろん、名誉毀損に相当するのだが、そのことをさて措いても、これはまさにカルト宗教から信者を拉致・監禁によって奪い去った強制脱会活動家が、自らの人権侵害を覆い隠すために、信者を「精神異常者」に仕立て上げた手口とそっくりではないか?

気の毒なことに、何カ月、何年間、もしくは10年以上もの長期に渡る監禁生活の中に置かれた信者たちの中には、その後遺症のために、当初は健康かつ正常であったのに、重症のPTSDを発症したりして、まさに強制脱会活動家の牧師らの望む通りに、社会生活が送れなくなった人々も存在する。もちろん、脱走に失敗して後遺症を負ったり、自殺した人々もいることは、以上の記事に記されている。

筆者も、もしも筆者以外の人間が、筆者と同じ状況に置かれ、これほど激しい人権侵害を伴う「説得工作」を毎日のように受ければ、おそらく2日程度で命を絶つだろうことを疑わない。だからこそ、筆者は実名で裁判に及んだ経験のあるカルト被害者に対しては、無責任に陰口を叩くだけで終わらず、自ら村上ら牧師を告発すればどうかと提案しはするものの、それ以外の無関係の人々に対しては、筆者と同じように告発に及ぶことは、決して勧めないのである。

このような試練は、よほど強力な信仰があって、覚悟のできた人間でなければ、立ち向かうことのできないものである。そして、筆者は信仰によって準備が出来たので、これに立ち向かうと決めたが、それに際して、誰もこの嵐のような中傷に巻き込まれたり、精神的に人質にされたりすることがないよう、あえて戦略として一人でこれに対峙することとしたのである。

(*むろん、この試練を通過すれば、神は筆者の人生に多くの仲間や兄弟姉妹など神の家族を返して下さるであろうが、今のところ、筆者は誰もこうした中傷に巻き込まれることがないよう、周囲の人々に対して相当な配慮を払っている。)

もう一度言うが、筆者は自分を敬虔かつ筋金入りのキリスト教徒とみなしているが、以上のような人権侵害に及ぶ強制脱会活動家の牧師たちが、本物のキリスト教徒であるとは断じて考えていない。

彼らがキリスト教徒を名乗っているのは、うわべだけの偽装に過ぎず、彼らの活動の真の目的は、あらゆる宗教に対する迫害、とりわけ、キリスト教に対する迫害を行って、教会と信者に打撃をもたらすことであり、彼らの活動の本質は、聖書の神に逆らう悪魔的運動であると、筆者はかねてより主張している。

彼らは自分たちの信念があたかも正しいキリスト教信仰であって、カルト宗教にまさるものであるかのように考えているようだが、実際には、カルト的信仰を振りかざし、信者にマインドコントロールを施しているのは、まさにこれらの強制脱会活動家の牧師たちの側なのである。

そして、彼らは巧妙に人権侵害の証拠や共謀関係の証拠が残らないように、手先となる信者を矢面に立たせ、自分たちは多くの場合、陰に引っ込んでいるが、筆者はネット上で行われた集団リンチのような中傷も、強制脱会活動家の強い影響の下で行われたものであることを疑わない。
 
いわば、神の教会と信者に打撃を与え続けて来た本物の「異端者」とは、これら強制脱会活動家たちの方なのである。「カルトを防止する」、「異端を駆逐する」などの理由で、キリスト教界に自前の異端審問所を設け、信者を刑事告訴したり、魔女狩り裁判を行おうと意欲を燃やしつつ、大審問官のように君臨しているこの連中こそ、まさに異端者と呼ばれるにふさわしい人々であって、彼らの率いて来た反カルト運動・強制脱会活動は、筆者のような真実なキリスト教徒にとっては、信仰に対する迫害であるばかりか、キリスト教の恥であり、汚点でしかない。 

この人々は、自らの正体を暴かれないよう、自分たちの活動の危険にいち早く気づいたキリスト教徒を率先して駆逐しようと、異端者の濡れ衣を着せて来ただけのことである。

つまり、反カルト運動すなわち強制脱会活動は、うわべだけキリスト教に偽装しているものの、その本質は、あらゆる宗教に対するのべつまくなしの迫害運動であり、何よりもキリスト教に対する迫害運動なのだと言える。

筆者は2008~9年にそのことを見抜いて指摘したからこそ、それ以後、現在に至るまで、異端者と呼ばれ、カルト宗教の信者と同列に並べられて、彼らの迫害の対象とされ、誹謗中傷による説得工作と、魔女狩り裁判(告訴)の対象にまでされているのである。

だが、筆者にとって異端者のレッテルなどどうでも良いことである。キリストは常に罪人の仲間とみなされてパリサイ人や律法学者から悪口雑言を言われたのであり、強制脱会活動家が他宗教の信者に対して行って来た拷問のような責め苦のことを思えば、筆者はこのような恐るべき人権侵害に加担するくらいならば、むしろ、異端者と決めつけられ、苦しめられる側に立たされることを幸いに思う。

そこで、今、反カルト運動という悪しき異端審問の犠牲とされて来たすべての人々のために、筆者は立ち上がってこれを悪行として世に訴え、教会をこれらの偽りのキリスト教徒の魔の手から奪還したいと考えている。筆者の起こした紛争は、そのための口実に過ぎず、本当の目的は、心の割礼を受けていない無法者どもの手から、教会を解放することにある。

筆者自身も、彼らの魔の手から完全に解放されねばならないが、その他にも大勢、解放されねばならない脅しつけられた人々が存在する。キリスト教徒であるかのように偽って、こうした悪行に手を染めた者たちは、したたかに裁かれ、神の教会から手を引いて、恥をこうむり、退却せねばならない。

* * *

<続く>

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ひとこと

神である主、イスラエルの聖なる方は、こう仰せられる。「立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る。」(イザヤ30:15)

☆☆みなさまへ☆☆
当ブログに対して長期で行われている嫌がらせ事件は、只今、刑事事件として捜査が進んでいますが、某所で悪質な記事やコメントの投稿が続けられているため、犯人に関する重要情報をお持ちの方は、ぜひ神奈川警察署刑事2課へ通報ください。当ブログに関する物騒な記事やコメントを見つけられた方もどんどん通報して下さい。

メールの提供、写真、個人情報の提供を大いに歓迎します。特に、直近になされているコメントについても、投稿者の個人情報(所属教会、氏名、勤務先情報、連絡先)をご存じの方は、ぜひ詳細にお伝えくださいますよう。情報源を明かすことはありませんのでご安心下さい。県警ではなく、神奈川署ですのでお間違いなく。045-441-0110

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