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私ではなくキリストⅣ

「私は、神に生きるために、律法によって律法に死にました。私はキリストと共に十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。」(ガラテヤ2:19-20)

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わが思いを知られる主

「主よ、あなたはわたしを探り、
 わたしを知りつくされました。
 あなたはわがすわるをも、立つをも知り、
 遠くからわが思いをわきまえられます。<…>

 わたしの舌に一言もないのに、
 主よ、あなたはことごとくそれを知られます。
 あなたは後ろから、前からわたしを囲み、
 わたしの上にみ手をおかれます。
 このような知識はあまりに不思議で、
 わたしには思いも及びません。
 これは高くて達することはできません。<…>

 わたしはあなたをほめたたえます。
 あなたは恐るべく、くすしき方だからです。
 あなたのみわざはくすしく、
 あなたは最もよくわたしを知っておられます。」(詩篇139編1-14節より)

今週は、一週間、雨の予報だ。
今日は仕事を再開する前の最後の一日、果たさねばならない用事があった。

朝から降っていた土砂降りの雨が、ブログ記事を書き上げた頃に、ぴたりとやんだ。何やら一時は日まで差して来て、窓の外に、晴れ間らしき様子さえ伺えた。

「行ってくるね」と、ペットに声をかけてから、またちょっと書きなおそうと、パソコンに向かい、試行錯誤しているうちに、さらに数十分が過ぎた。

だが、外へ出ると、傘が要らない。

こんなことがこれまでに何度あったか。激しい土砂降りの雨を、主に止めていただいたことが今まで何度あったか。

「あなたのことを私は覚えていますよ。あなたのこれまでの苦労も、重荷も、何もかも、私は知っています。知っていて、こうして常にあなたを気にかけ、寄り添い、あなたのために最善を尽くしています。だから、しっかりしなさい。私があなたの味方です。私はいつもあなたと共にいます。」

主がそう言って下さっているとしか思えない、天の采配。
 
往路、運転中も、歩いて目的地に着くまでの間、雨は完全に止んでいた。アスファルトの地面が、ほとんど渇いており、傘は要らない。

用事を終えると、ほんの少しだけ降り始めていた。だが、気にもならないほどの心地よい小雨。傘なしで歩いている人たちもいる。帰路の運転中に、もう少しだけ降り始めた。だが、車を止めて帰宅する間も、ほとんど気にならない。

家に入るなり、ざっと降り始めた。

天を支え、雨を降らせないようにしておられる方が、間違いなく主であることを、心から感じる瞬間だった。

もし神の御心がどこにあるか、目に見える人間のように、表情を通して確認でき、耳に聞こえる声を通して、はっきり聞こえるなら、信じるということは要らなかったろう。

神が何を考え、何を感じておられるのか、いつもいつも、信者は心の内側で、ありありと感じるというわけではない。だが、数知れないあらゆる事象を通して、主がどれほど信じる者を気にかけて下さっているか、理解することができる。とても偶然とは思えない、いや、偶然では決してあり得ない出来事が、信仰者の人生には次々と起こるのだ。

すべてのタイミングに「主」を見るのである。

ウォッチマン・ニーが信者たちとの会話の合間に、よく天を指さして、「彼は神です!」と言ったという話を聞いたことがあった。

筆者も、時折、人に向かって話すとき、自分の人生に起きた出来事を語りながら、そのように言うことがある。「ほら、神様は、確かにいるんですよ。こんなにも信者を気にかけて下さってるんですよ・・・。」

相手がクリスチャンでない時には、「ヴィオロンの話は、結局、いつもそこへ落ち着くね」と言いたげな、遠慮がちな苦笑と沈黙がかえって来るのだが、それでも、聞いた人にも、この現然たる証拠の前に、何も言えはしない。

だが、ほとんどの場合、私はそっと心の中で頭を垂れて、こう思うだけだ。

「主よ、あなたは確かに生きておられます。確かに生きておられ、私を愛し、気にかけて下さっています。それがよく分かりました。

もう泣き言など、誰にも言う必要はないでしょう。あなたが同情して下さるからです。

あなたがどれほどの理解と共感を持って、常に信じる者を覚えて下さっているか、どれほど些細な事柄に至るまで、絶妙に塩梅して、信じる者に寄り添い、守ろうとして下さっているか、今回のことでも、よく分かりました。

主よ、私はもう人の同情を乞いません。助けも求めません。あなたの同情と助けがあれば、十分です。あなたの同情がどれほどきめ細やかで、豊かで、すべてに行き届いているか、よく分かります。あなたの配慮には何の欠けもありません。

主よ、私はこれからも、たとえあなたが目で見えず、手で触れられず、あなたの御心が、耳で聞こえる形で発せられずとも、あなたがどのようなお方であるか、決して忘れはすまいと思います。あなたは偉大な方です。あなたは日々重荷を担われる主、まことに、我らのために重荷を担われる主です…。」
 
<2016年9月>
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ひとこと

神である主、イスラエルの聖なる方は、こう仰せられる。「立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る。」(イザヤ30:15)

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