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私ではなくキリストⅣ

「私は、神に生きるために、律法によって律法に死にました。私はキリストと共に十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。」(ガラテヤ2:19-20)

Emi姉妹のこと(1)

Emi姉妹に出会わせていただいたことを、神に感謝します。

主にあって、兄弟姉妹は一つなのであり、そのうちに、区別などありません。なのに、たとえわずかな間にせよ、どの団体に属して生きるべきか、属さないで生きるべきか、などといった虚しい議論にそれたために、姉妹に出会うのが遅れてしまったことを、私は反省しています。

そこには、後からやって来た者特有の気後れ、という隠れた原因があったものと思います。私は、文章の中でこそ勇気ある人に見える時があるかも知れません が、実際には、すでに出来上がっている人間関係の中に、後から入っていくなど、考えるだけでも、恐れを感じます。

さらに、欠けだらけの自分の人生行路を振り返ると、誰かに紹介されるより前に、逃げ出したい思いに駆られます。小心者はいつも、何か理屈をつけては、知らない場所へ向かわなくてよい理由を探しています。

しかし、交わりの前で、ためらい、足踏みしていた私を、ごく自然に、兄弟姉妹に引き合わせて下さったのが、病床にあるEmi姉妹でした。姉妹の周りにいる と、私のペースではありえないほどに、次々と、自然に、人の輪が広がっていきました。それは、姉妹の賜物であったのか、あるいは奉仕だったのでしょう。

奉仕と言っても、Emi姉妹が完全にへりくだって弱さに甘んじておられたがゆえに、それは姉妹の奉仕だと気づかれることもなかったのです。私が出会った 時、Emi姉妹はすでに何の奉仕をする力もなくなって、ただ横になっておられました。そこへ私がお見舞いという形で、自分の有り余る力で、愚かな働きをし に行ったのです。しかし、実際には、そこで奉仕しておられたのは、Emi姉妹でした。

Emi姉妹からこれまでにいただいた二通のメールを紹介します。初めてメールをいただいたのは、主が私の人生に介在して下さり、死へ向かっていたかのよう に思われた私の運命が、はっきりと変えられた昨年8月25日直後のことです。(この時に私に何が起こったのかについては、「2009年8月25日の記事」をご参照ください。)
今から思うと、姉妹はその時、すでに、自分の人生に限りがあることを見据えた上で、私を招いて下さっていたのでしょう。
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