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私ではなくキリストⅣ

「私は、神に生きるために、律法によって律法に死にました。私はキリストと共に十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。」(ガラテヤ2:19-20)

この世から解放される(2)

ある意味では、今日、この世は生きている力であり、容赦なくその対象を追いかけ回し、捜し求めているのです。死刑は宣告されましたが、それは将来になっては じめて執行されます。しかし、死は確定しています。死刑判決を受けた人には、死刑囚の独房の中で死を待つ以外に、何の前途もありません。同様に、この世は 裁きの下において何の前途もありません。

この世の体系はまだ「巻かれて」おらず、神によって終結させられてもいないと、あなたは言います。しかし、巻かれることはすでに定まっている事柄です。もしわたしたちがこの点を見るなら、完全に違ってきます。

ある人は、禁欲主義を用いてこの世から救い出されることを求めます。そして、バプテスマのヨハネのように、食べることも飲むこともしません。それは今日の 仏教であり、クリスチャンの信仰ではありません。わたしたちクリスチャンは食べることも飲むこともします。しかし、わたしたちは食べ飲みする時、食べ飲み がこの世に属することであり、この世と共に死の判決の下にあることを、わたしたちは認識しています。ですから、食べ飲みすることはわたしたちを支配するこ とはできません。<…>

 わたしたちは、この世は閉ざされるよう定められていると言うことができます。戦士たちが小羊と戦い、主の主、王の王である小羊が、死と復活によって彼らに打ち勝った時、バビロンは倒れました(啓十七・十四)この世にはもはや前途はないのです。

 キリストの十字架の啓示は、この世に属するすべてが十字架を通して死の判決の下にあるという事実を、わたしたちに見いださせます。 わたしたちは続けてこの世に生きて、この世の物を用います。しかし、わたしたちはこの世を用いて、自分の前途を建て上げることはできません。なぜなら十字 架は、この世に対するわたしたちのすべての望みを粉々に砕いてしまったからです。わたしたちは心から言うことができますが、わたしたちの主イエスの十字架 は、この世に対するわたしたちの希望を滅ぼしてしまいました。わたしたちはこの世の何のためにも、生きているのではありません。<…>

 わたしたちに必要なことはただ、<…>わたしたちがいかにこの世を愛しているか、またこの世がいかにわたしたちを愛しているかを見いだすことだけです。わたしたちはこの世から逃れてそれを避けるかもしれませんが、この世は必ずわたしたちを追ってきます。しかし、この世が滅びる定めにあることをわたしたちが認識するやいなやわたしたちは必ずこの世に対するすべての興味を失い、またこの世もわたしたちをつかんでおくことができなくなります。わたしたちはこの点を見さえすれば、自動的にサタンの体系全体から分離されるでしょう。


<引用つづく>
 
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ひとこと

神である主、イスラエルの聖なる方は、こう仰せられる。「立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る。」(イザヤ30:15)

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