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私ではなくキリストⅣ

「私は、神に生きるために、律法によって律法に死にました。私はキリストと共に十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。」(ガラテヤ2:19-20)

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その聖なる住まいにおられる神は、みなし子の父、やもめの保護者(2)

[2016年夏]

つい最近も、岡山から美味しい桃とお米が送られて来た!

岡山と言えば、桃と葡萄の産地だが、かの地では恵まれた気候ゆえ、一年中、何かしらの果物や野菜が採れるのだ。

岡山県人の多くは、まるでロシア人がダーチャ(別荘)で家庭菜園を営むように、野菜や果物を自家栽培している。だから、もともと自然災害のない土地なのだが、万一、金融危機のようなものが起きても、この土地の人々は自給自足できるだろう。

それにしても、関東では一個当たり相当に高い値段でしか手に入らない果物が、産地から直送されるというのは、何とも言えない贅沢な幸福である。

いやどんなにお金を積んでも、そんな贅沢はなかなか味わえはしない。天の子供の特権である。

冷蔵庫の扉を開けると、桃のかぐわしい香りがいっぱいに立ち昇る。
コーヒーの香りもだ。

そんな冷蔵庫とは、筆者から見ても、まるでおとぎ話の世界である。CMのように、扉を開けると、梅酒が立ち並んでいる冷蔵庫ではなく、桃が立ち並んでいる冷蔵庫である(笑)。

コーヒーは、焙煎したてのものが送られて来るので、玄関に荷物を置いた時点で、すでにコーヒーの香ばしい香りが漂う。

そして、近所のスーパーでは、鮎や、ニジマスや、さんまや、メバルや、新鮮な魚がいつも安い値段で売られているので、毎日のようにセールで買って来ては、グリルで塩焼きにして調理している。

これが農薬なしで育てられ、精米直後に送られて来るお米と何と良く合うことよ!

筆者は幼い頃、祖父について行って、よく高梁川を船で漕いで、鮎釣りを見せてもらった。鮎を採るためには免許が必要だったが、祖父はそれを持っていたのである。帰宅すると、採れた鮎を早速、塩焼きにする。塩だけで味付けしても、それはそれは美味なのである。

こうして覚えた味は今も忘れられないので、今も鮎を塩焼きにすると、子供時代を思い出す。家庭菜園で採れた焼きなすも全くもって美味である。

家庭菜園で採れたキュウリは、塩さえ要らない。そのままかじっても、ほんのり甘みが漂う。

農薬なしの野菜には、独特の自然さがあり、口にした瞬間から、何かが違うということが分かる。
  
さて、私自身は地球の片隅に存在するつつましい庶民の一人に過ぎないのだが、こうしてみると、贅沢というのとは全く違う意味ながらも、真に豊かな生活を送っていると思う。

それもこれもすべて主のおかげである。
私にはこうした平和が、すべて神が備えて下さった恵みであることが分かる。
  
郷里ではみな元気にやっているようだ。祖父母はすでに90を超え、両親が退職してからオープンしたお店は、はや10年目を迎えようとしている。最初は2年と続くかどうか分からないと思われたのだが、お客が途切れることもなくやって来るのだ。
 
何と麗しい光景であろうか。ハレルヤ!

だが、郷里の人々は、果てしなく営利を追い求めるだけの生活からは距離を置いて、この先、地元の存続のために何をして行くべきかをみなで知恵を寄せ合って考えているようだ。
  
筆者の人生には、いつも保険というものはなく、すべてが一見、行き当たりばったりに見えるかも知れない。明日のことは分からない。だが、毎日、毎日、神の恵みは信仰者の生活にとって十分である。いや、十分すぎるほど十分なのである。

今年が明けてすぐに、筆者は幾度かジョージ・ミュラーの信仰について書いた。ジョージ・ミュラーは数多くの孤児をただ信仰だけによって養うために、ぎりぎりのところまで試されたことがあるという話を読んだ。

以来、この一年間、筆者は、信仰が訓練されることを主に願い求め、その訓練を無事に通過して来た。前年に比べると、実に色々な種類の「試験」があった。いつも100点ではなかったかも知れないが、それなりに及第点は取れたと自負している。それは確かに訓練だったのである。

こうして、天の経済によって生きるということを、筆者は実地で試し始めた。ジョージ・ミュラーが試したことが、いつの時代も、信じる者には誰でも同じように法則として当てはまることを実際に理解したのである。
 
天にはいつも備えがある。そのことを毎日、毎日、あらゆることを通して思い知らされている。

おそらくこの先はますます、天の経済によって生き、天の富を地上に引き下ろす秘訣を学ばなければ、地上でも、普通に生きることが難しい時代になって行くのではないかと考えている。

だから、そこまで困難な時代が来るよりも前に、筆者は、財産の天への移行、天への移住を試みているのである。その引っ越しは順調に進んでいる、と言える。

この地上の信仰者でない人々は、どこかの団体に雇用され、あるいは自分の職業を営むことによって、生活の糧を得て生きているが、「人間を採る漁師」である信仰者の糧は、天から来るのである。これはおとぎ話ではなく、現実である。

神の国とその義を第一にして生きてさえいれば、すべてのものは添えて与えられると聖書にある。人間が採れるだけでなく、鮎も採れるようだ。川に行かずとも、免許がなくても、だ。

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ひとこと

神である主、イスラエルの聖なる方は、こう仰せられる。「立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る。」(イザヤ30:15)

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