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私ではなくキリストⅣ

「私は、神に生きるために、律法によって律法に死にました。私はキリストと共に十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。」(ガラテヤ2:19-20)

この世からのエクソダス(1)

「こういうわけで、わたしたちは彼の死の中へとバプテスマされることを通して、彼と共に葬られたのです」(ローマ6:4)

「全て神から生まれたものは、世に勝つ。…世に勝つ者はだれか。イエスを神の子と信じる者ではないか。」(Ⅰヨハネ5:4-5)

この世の体系はそもそもサタンの支配下にあるが、この終わりの時代に、世に臨む悪と偽りの力は、ますます深まっていくものと思う。

一つ前の記事で、教会(エクレシア)とは、神の御心においてすでに完成している霊的な実体であって、これから人間(信者)が努力によって築き上げるものではない、ということを書いた。

しかしながら、今も、この地上においては、信者たちが自分の好みに任せてばらばらに作り上げた団体や組織が「教会」という名で呼ばれているし、信者たちは一生懸命に、それらの組織や団体を拡大させることで、「教会」を成長させようと努力している。

だが、残念ながら、それは本当のエクレシアの実体とは全く関係のない地上的な事柄に過ぎないのである。
 
だから、このような地上的な「教会」の模造品はいずれ、この世の体系に完全に巻き込まれて堕落し、この世の他の宗教を含めて、みな反キリストの支配へと集約されていくだろうことを、筆者は予想しているし、また聖書もそのように警告しているものと考えている。

むろん、そこに含まれるのは、地上的なてんでんばらばらの組織や団体としての「教会」だけではない。国家や、企業や、その他のありとあらゆる、人間が己が身を守るために作り出した地上の組織がそこには含まれており、いわば、地上のあらゆる組織や団体全体が、悪鬼化して行くという現象の途上に、我々は身を置いているものと筆者は考えている。

そんなことになるのは、そういった一連の組織や団体が、もともと神の霊によって生まれて来たものではなく、地上にいる人間がより集まり合って自分たちの罪を隠し、互いの弱さをかばいあい、守り合うために生まれた「イチヂクの葉同盟」のようなものに過ぎないからである。
 
また別の場所でも詳しく書きたいと思っているのだが、そういった組織のすべては「母子家庭」の様相を帯びている。

たとえば、PTAなるものを考えてみよう。大抵、会長は男性である。この世の企業においても、信者たちが「教会」と呼んでいる集まりにおいても、牧師や、リーダーはたいがい、男性である。だが、こうしたリーダーは一種の「お飾り的」な存在であって、人前でのスピーチや、訓戒など、注目される栄光ある仕事を独占してはいるが、実際には現場からは遠く離れており、現場においては何の役割もはたしていないも同然である。その団体の一番重く、つらい仕事はみな女性たちが担っている。

つまり、そこには現然たる男尊女卑のような差別があって、リーダーの下にあって、虐げられている女性たちは本当の意味で幸福ではない。それはこの地上的な組織としての教会も同じことである。そのようなところから始まって、その団体には、様々な序列と差別の仕組みが造り出され、子供たちが軽んじられていたり、役員が幅を利かせていたりする。

リーダーが栄えある仕事を独占するだけで、実際にはリーダーとしての役割を果たしておらず、果たすことも求められていないお飾り的存在なので、リーダーは配下にいる人間を養い、育てることができず、そのために、その組織は、常に栄養不良の状態にあり、ある意味、リーダーは不在(もしくは「父不在」)と言っても良い、寄る辺なく頼りない状態にある。これが企業ならば、常に社長が出張にばかり出かけて、社を不在にしているようなものだ。その無責任で弱々しいリーダーの下に、彼の果たし得ないすべての仕事を代行するための女性たち・子供たちの集まりがあって、当然ながら、そこで、リーダーからは置き去りにされて、地味で報いの少ない仕事を引き受けている「女子供」のような弱い人たちは、心が満たされるはずもない。だから、争いも発生する。そして、リーダーがお飾りであるという認識が強まれば強まるほど、リーダーは敬われなくなって行き、もはやリーダーが指令を下しても、現場はそれを無視するまでになり、秩序が秩序として機能しなくなる。

こうしたことは、地上の組織がほぼすべて「リーダーが不在」であるか、「リーダーがリーダーとしての役割を果たせない」一種の「母子家庭」の様相を帯びているために生じて来る現象だと筆者は考える。そこには大黒柱となるべき「父」がいないので、どんなにそこで女性と子供たちが力を発揮しても、本当の安心感は決して生まれて来ないのである。また、大黒柱が精神的に不在であるからこそ、リーダーの指令への違反や、現場の暴走といった反逆的な現象も発生するのである。

そんなことになるのは全く無理もない。なぜなら、真の「父」は天におられるただお一人の神の他にはなく、まことのリーダーはキリストしかいないからであって、地上の組織は、みな天的な組織の移ろいゆく影のようなものに過ぎないからだ。だから、キリストではない、地上の目に見える人間のリーダーを据えてこれにつき従う組織は、結局は全部、「母子家庭」にならざるを得ないのである。それが筆者の持論である。

すでに述べた通り、そういったことは、別に教会という名で呼ばれている地上の組織だけでなく、国家であれ、企業であれ、どんな団体であれ、同じように起きている。どんなにそこでリーダー格の人々が権威を帯びて、勝ち誇っているように見えたとしても、結局のところ、それは名目に過ぎず、実際には女性たちがその団体をけん引しており、その組織はその男尊女卑的な制度だけから見ても、事実上、「父不在」の「母子家庭」なのだと理解できる。そのような制度の下で幸福になれる人はいない。

さて、本題に戻ると、そんな中で、クリスチャンは何をすべきなのか。

エクレシアの実際により深く入り込むことである。

幸いなことに、我々は母子家庭には生まれておらず、父によって置き去りにされた子供たちでもなく、リーダー不在の組織に生きているわけでもない。なぜなら、我々には天におられるまことの父がおり、この保護者は、最も寄る辺ない者に最も深い愛を注いで下さる方であり、我々はキリストによって上から生まれた者であって、キリストこそ、信者にとってのまことの伴侶であり、世の終わりまで、決して信者を捨てないと言っておられるからだ。

信者の使命とは、声を大にして、キリスト教界がますますこの世と妥協しつつある危険を叫び、それを押しとどめようと努力することではない。おそらく、どんなに叫んでみたところで、誰も地上の組織や団体がより一層、深く悪に身を委ねて行くその動きを変えることはできないであろうと筆者は思う。

地上から生まれたものは、しょせん、滅びゆく地上の成分からできており、信仰なくして、これを劇的に変えるなどということは誰にもできない相談だからだ。そして、信仰は極めて個人的な内面の過程であって、外的な感化によって変えうる領域ではない。

世的な教会の罪を非難するための各種のキャンペーンや、世から遠ざかるためのあれやこれやの術策が、人の内面を変え、人間を真理に導きいれることはない。

キャンペーンによってこの世を堕落から救うことなどできはしない。信者が反キリストや暗闇の勢力と同じ土俵に立って勝負しようとしても、それは無意味な所業である。

だから、この世が、この先ますますひどくなっていくことは、誰にも止められない相談なのである。筆者はそう思う。

だとすれば、そんなことにこだわっているよりも、信者はこの世の混乱した有様から目をそらし、自分自身の内面における「キリストの成分の増し加わり」についてよくよく考えてみる方がはるかに有益である。

信者の人生においてものを言うのは、信者自身とキリストとの真の結合の度合いが強まることだけである。つまり、信者の内面で、キリストがより信者自身と結びついて、はっきりと力強く働かれるようになることだけである。

信者は、この世の力によってこの世に立ち向かうのではなく、この世とは全く性質の異なる別種の力によって、この世に勝利するのである。

信者はこの世の偽りの影響力からは、すでに十字架によって隔絶し、死を経てよみがえられたキリストの命の支配する領域の中で生きている。そのことを明確に思い出し、神の命の力をこの世に向かって行使する秘訣を見いださなければならない。その時だけ、信者の存在が、この世に対して大きくものを言うようになるのである。

だから、この世の混乱した有様がどれほどひどく見えたとしても、それは恐れるに足りない。信者は、自分の内におられる方が、世のすべての権威にまさる権威であることを思い起こし、その方の権威を実際にこの地上で行使して行く必要がある。

この世の有様は変えようがない。だが、この世とは全く違った立ち位置から、全く異なる性質の権威と力を行使するのである。その時に、思いもかけなかった形で、この世の様々な現象が、御名の権威に服するということを信者は見るようになるだろう。
 
日々、小さな一歩からかも知れないが、もし本当に、信者が神から生まれた者ならば、彼は自分がキリストと共に世に勝つ者であることを実際に見るはずである。

「全て神から生まれたものは、世に勝つ。…世に勝つ者はだれか。イエスを神の子と信じる者ではないか。」(Ⅰヨハネ5:4-5)
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