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私ではなくキリストⅣ

「私は、神に生きるために、律法によって律法に死にました。私はキリストと共に十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。」(ガラテヤ2:19-20)

信仰(3)

だが、主は信じる者にとって真実、確かなお方である。不思議な方法で、主は私の置かれた状況の全ての局面において働かれたのだった…。

いよいよ内定をもらった会社に返事をしなければならないというその前日、私は疲労困憊しながらセンターに出勤した。センター内の空気は、TSRたちが一斉 に架電するその呼吸のために、サモア島かとみまごうほどに熱気を帯び、かつ、よどんでいた。眩暈がしそうなほどに酸素濃度の薄い空気の中で、疲労をこらえ て何とか架電を続けている最中、若い上司が私に声をかけた。「ビオラさん、五分、いいですか?」

またダメ出しか、と思いながら立ち上がると、果たして、その通りだった。顧客との会話の録音テープを再生して聞かされ、顧客との会話がかみ合っていないと 注意を受ける。そう言われても、予想外の話の展開になれば、上手く返事が出来ないときもある。だが、杓子定規な若い上司には、私の未熟さを十分に考慮でき るほどの懐の深さがなかった。

研修生は全員、日々、力の限界を振り絞ってノルマを達成しつつあった。だが、上部からは、注文の上にも、注文が続く。私の心は我慢の限界に達していた。何 とかこらえて注意を聞く。だが、上司はそれで終わってくれなかった。彼はさらにダメ出しを続けようとした、「そもそも、あなたの口調はメリハリがなくて、 単調すぎるという指摘が来ているんですよね…」

その言葉を聞いた時、ついに堪忍袋の尾が切れた。もうこれ以上耐えられない。これほど努力し、営業成績もそれなりにあげているというのに、今度の注意は、 「会話が単調」? きっと、この職場は、永遠に私の努力を認めてくれる気はないのに違いない。それどころか、会社のカラーに合わないと判断した人材はどん どん切り捨てるつもりなのだ。それならば、こんな手の込んだ方法を使わず、いっそ早くクビにしてくれた方がよほどましだというのに…。

怒り心頭に達した私は、上司に向かって反論し始めた。お言葉ですが、私にはこれ以上の努力はもうできません。私が提供しているものに対して、対価があまり に割に合わないからです。私たちはみんな、毎日、200%の努力をしていますが、それに引き換え、会社が、私たちに提供してくれている利益の薄さは何なの でしょう。会社は私たちに明日の雇用さえも保障してくれていないのです。すでに3人の研修生が、研修中にクビになるか、やめて行くかしました。私たちも、 今月中にノルマを達成できなければ、来月の雇用はないという恐怖に日々、追いたてられています。なのに、そんな中で、不安を押し殺して、顧客に安心を売る ことが求められているのです。

しかも、試験の判定基準はあいまいで、クライアントが私たちに何を求めているのか、それさえ、明らかにされていません。これでは、暗中模索もいいところで す、まるで見えないハードルに向かって飛べと言われているのと同じです。電話は声が全てであり、私たちがわずかでも不安を感じていれば、それが声を通じて 全て顧客に伝わるのです。にも関わらず、これほど不安材料が山積みにされた状況の中で、どうやって顧客に安心を与えることができますか。私にはこれ以上、 クライアントのご期待に添えそうにもありませんから、今日付で退職したいと思います、書類を用意して下さい!

若い上司は当惑の色を見せて、弁明しようとしたが、私を説得するのは無理であった。ついに私は別の上司のもとへ連れて行かれた。それは採用面接の際に初め て会った上司だった。いつも能面のように無表情で、じっと人の目を見据えて話す、感情の読み取れない男性であった。だが、悪い人でないことだけは分かって いた。彼は最初の実技試験の前に、私が落とされることのないよう、前もって注意点を指摘して、私の不得手な部分について特訓してくれたことがあったし、私 が日曜出勤できない理由を、唯一知っており、それなりの敬意を持って配慮を示してくれた上司だった。
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ひとこと

神である主、イスラエルの聖なる方は、こう仰せられる。「立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る。」(イザヤ30:15)

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