忍者ブログ

私ではなくキリストⅣ

「私は、神に生きるために、律法によって律法に死にました。私はキリストと共に十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。」(ガラテヤ2:19-20)

信仰(4)

「ビ オラさん、ずいぶん、ご不満がたまっておられるようですね。何でも、彼から聞いたところによれば、退職という話題まで、もののはずみで飛び出したとか?  しかし、人伝てに聞いた話というのは、大概、内容が正確でないことの方が多いのですよ。ですから、直接、あなたのお考えを聞きたいですね…」

それから、上司と私とは互いににらみあって、戦争のような会話が始まった。私は現行の研修システムの理不尽さや矛盾点、雇用形態における明らかな問題点を 矢継ぎ早に指摘し、この会社には体質改善の見込みがないと思うことや、私の退職は思い付きではなく、数週間前から考えていたことであると話した。それに対 して、上司は極めて冷静に統計を提示しながら、研修システム、ノルマの数値設定の合理性を示そうとした。彼は話の初めにこう言った、「私はこの仕事に就く まで7年間のオペレータ暦がありますが、その期間を振り返ってみても、こういった仕事には、そもそも雇用の安定というものはないのだと痛感させられます よ…」

そんな説明で煙に巻かれてたまるかと思いながら、私は不信感を露にして反論を続けた。会話は平行線をたどり、ついに、上司は、我々の間には越えがたい溝が あることを認めた。彼は氷のようにびくともしない表情のまま言った、「ビオラさんが願っておられるものを提供することで、何とかお引止めできればと考えま したが、お話を伺って、ビオラさんの退職はやむをえないと判断しますよ…。残念ですが、まあ、仕方ありません。どこの会社にでも、会社独自の方針やカラー というものがありますからね、それに合わない人々は研修中に振るい落とされていくのも、やむをえない一般的な現象かと思いますよ…」

それを聞いた時、自ら辞職を願い出たはずの私も、何か言い返さずにはおれない心境になった。試験で落とされて去った人、自ら辞めて行った人々の顔ぶれが思 い出される。きちんと採用試験を受けて入社したにも関わらず、職を失った彼らの痛みは誰が受け止めるのか…。私はまるで主を知らなかった頃に戻ったよう に、完全に軽蔑的な表情で、冷笑的にこう言い放った。

「それはそれは、中立的でご立派なお考えですよね。そんな風に片付けることができれば、楽でしょうね!」

この一言が、上司の心を刺し貫き、話の流れを変える決定打となったようだった。上司は相変わらず鉄面皮なほどに無表情のままであったが、彼の発した言葉 は、私をはっとさせた、「あなたは、そんな風に考えれば、私が『楽だ』と、考えておられるわけですね。しかも、あなたは、『片付ける』、とおっしゃっ た…」

それを聞いた時、私は、主の御前に、悲しみを感じて、うなだれた。驚くべきことに、上司が私の言葉に真に心を痛めたのが分かった。しかも、彼は自分のため に悔いているだけではなく、私のために心を痛めているのだ。それまで、非人間的な制度を擁護する側に立っていたはずの上司が、突然、人を切り捨てることの 残酷さを心から認めただけでなく、私の口から発せられた皮肉で冷酷な言葉をも、鋭い良心を持って、聞きとがめたのだった。

彼の言葉は、信仰という翻訳機を通して、次のように翻訳されて私の心に届いた、「皮肉な語調はおやめなさい、あなたにはそんな言葉はふさわしくありませ ん。あなただけは、たとえどんな状況に置かれても、それに飲み込まれてはならないのです。たとえ人をモノのように『片付ける』世界に身を置いていても、あ なた自身が、それに染まってはならないのです。いいですか、今後、人を『片付ける』なんて表現を、あなたが自分から使ってはなりません。あなたはそんなも のとは無縁の世界に今、生きているのでしょう? あなたの生きている世界は、人を値引きして切り捨てるのでなく、人を生かす命の世界なのでしょう? あな たの言葉を清く、塩で味つけられた、穏やかで優しいものに保ちなさい。血も涙もない善悪の議論に巻き込まれてはいけません。ただあなたの解決である命に しっかり立ちなさい、命に立って、生きなさい…」
<つづく>
PR

ひとこと

神である主、イスラエルの聖なる方は、こう仰せられる。「立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る。」(イザヤ30:15)

ヴィオロンのブログ

最新記事

アーカイブ

ブログ内検索

カテゴリー